21.5


 ──いいこと、お前は妾の子なのよ。若様の剣の稽古で、調子に乗って勝ってしまったそうね。駄目よ、二度と若様に勝るなんて真似はしないで。妾の子、しかも女に負けるなんてこと、あの御方の子供なら有り得ないのだからね。



 母は、何度もそうやって私を言い含めていた。あの御方・・・・と言って母が心酔するのは、私の父親で、どうやら偉い人だということは、まあまあ昔から知っているけれど。



 ──妾。所詮、妾の子。妾でしかない女め。流石は容姿しか取り柄のない売女だ。名家の恥の母子共が。


 罵られて罵られて、毎日が辛かった。莉珠リージュという名を与えられて、呼ばれることは全くなかったけれど、初めての私の所有物は、宝物だ。勿論、妾の子になど姓はやらないと言われて、名しか残らなかったけれど。



 罵られ続けた日々は続いたけれど、母の愛に似た別物の洗脳的なことをされたけれど、正妻の子である異母兄は私を憎んでくれなかったけれど、それなりに幸せだったと思う。生きているのなら、取り敢えず良かったと思って、毎日生きていた。


 皆が若様という異母兄は、よく分からなかった。一緒に勉強させられて、暇があれば話しかけられる。嫌いじゃない、だって優しいと分かっていたから。母すら呼ばない莉珠リージュという名を、毎日笑顔で呼んでくれて、忘れたくても忘れられそうになかったから。

 ひょっとしたら、家族とはこう言うものなのかと思わせたのは異母兄だ。ずっとこのままでいられないと分かっていても、願い祈る。


『明日は、幸せになれますように』




 それが一変したのは突然。父が母を売女と蔑み、私を母の婚外子と言ったから。どういう意味か、流石に私も分かった。


 母が売女なら、身を売り子を成していたということ。私を父の庶子ではなく母の子として扱うのなら、つまり母と他の男の間に生まれた子供だという意味だ。

 怒り狂った父は、私と母を殺そうとした。母は馬鹿だったし、常に妊娠しているような女だったから、身篭った子のせいで動けなくて死んだ。私は異母兄の嘆願のお陰で、何とか死を免れている。



 それから、下女として働かされることになった。異母兄──若様から、色々なことを教えてもらって、私は馬鹿から常識知らずぐらいにはなったと思う。

 この国が、フゥーということ。彼が父──皇帝の長子なので、いずれ跡を継ぐということ。……そして、私が口封じのために殺されるのを一時だけ回避しただけで、またいつか殺されるだろうということも。


 馬鹿ではなくなった私は、直ぐに決めた。若様は、その決断を認めてくれた。

 『奴隷として、密かに売ってください』と。合理的で当然とも言える判断だと、今でも確信している。けれど、若様は悲しそうな顔をしたままだった。莉珠リージュと呼ばずに、ルフィーナという新しい名前を与えてくれると早々に別れた。




 ──私の行き先は、マリーノ公国という小さな小さな国。奴隷として売られても、私は愛想笑いを忘れない。ただ、名乗る時につい莉珠リージュと言いかけるのが常だった。

 馬鹿ではない常識知らずな私は、ここで強かな小娘になる。歳の割にませているが、出自のせいで幼女にしか見えなかったのだ。だから敢えて幼く振る舞い、働いていた場所が襲われても子供らしさを演じて、見逃して奴隷商人に売ってもらった。


 大丈夫、生きているのなら幸せなのだから。いつの間にか忘れていた祈りを、また毎日願うようになった。やっぱり昔の優しい異母兄はとても珍しかったのだと痛感する。



 次の売られ先は、スラーヴァ王国。そこで私は、本当に救われる。

 特殊性癖幼女趣味を持った男に強姦されるならと逃げて、修道女長様に拾われたのだ。お陰で私はこれまでの日々が地獄のようだったと知って、この人は当たり前のように幸せを与えてくれて、だから女神様のようだと崇められる。


 修道女長クラーヴディヤ様は、本当に不思議な人だった。子供を失った母のような絶望感を抱いているのに、私達を分け隔てなく愛してくれる。掴みどころのないのんびりとした性格は、私にも大きく影響していた。





 ──毎日が楽しかったとは言い切れなくても、幸せだ。そう思っていると、あっという間に過ぎた数年の後に、新しい修道女が入ってきた。

 名前をヴィクトリアと言う、如何にもと言ったお嬢様のような人で、どことなくクラーヴディヤ様と似ていた。後で聞いたら、王族は大体従兄弟みたいなものだから、と言われたけれど。


 それにしてヴィクトリア──ヴィーナは、本当に綺麗だなと憧れてしまう。不信感を抱いたり、嫌ったりする必要性がないのだ。堂々としているのに落ち着きがあって、ふわふわしているのに纏う空気は突き刺さる程に尖っている。

 似ているからかクラーヴディヤ様と同レベルの奇妙な人……下手すればもっと上かも。知識量から窺える年不相応な大人っぽさ、思わず庇護したくなるか弱さ、大人顔負けの妖艶な立ち居振る舞い。全部が全部、ちぐはぐ。


 ともすれば警戒する要素ばかりなのに、気がつけばすっかり絆されて傍にいたくなる。

 でも、見せてくれる全てだけが本当の彼女じゃないぐらい、私にも分かっているのだ。不思議なぐらい強くて、賢くて、格好良くて……多分、どこかがとても、脆い人。




 ──大丈夫だよ。私は、ヴィーナを信じてるから。全部知ってる訳じゃないけど、近くにいるなら、予想ぐらいできるもん。



 私は、もう莉珠リージュではいられないのだ。そして、癇癪持ちの子供でもなかった。

 だから、そうやってらしくない姿も認めるから。



 そんなに悲しそうにしないで。貴女の思いは伝わる筈だから、絶対に。

 言えないのなら、告げる勇気が行動に移せないのなら、私が助けてあげる。




「──さっきから黙って聞いてみれば、もどかしくってしょうがない! 言いたいことがあるなら、早く言うものなの!」

「フィーナ……?」



 子供っぽい言い分に、流石に自分でも恥ずかしさが募った。けれど。


 私は、妾の子でも莉珠リージュでもない、ルフィーナは。貴女が思うよりずっと、格好つけたがりなだけの人間なのだから。

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