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「それにしても、本当に見事な碧眼ですね。これ程透き通った美しい瞳は、シュトラースブルク公国でも見かけません」

「……お褒めいただき、光栄でございます。しかし、わたくしの先祖はシンクレアの忠実なる民ですので。母はさぞ喜ぶことでしょう、他国の王族から讃えられるのが好ましい人でしたから」



 誰も彼も、目よりもずっと珍しい銀髪を褒めてくるものだから、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 遠くを見通すような薄く淡い瞳も、暗闇を照らす星の如き輝きを放つ銀髪も、母方譲りだ。とは言えど、母をそれを受け継がず、隔世遺伝として私に現れている。全くもって不思議なことに。


 シュトラースブルク公国の主一族は、金髪碧眼の儚げな容姿の美人が多いことで有名だ。スラーヴァ国王陛下は、さり気なく女性を口説く言葉を口にされる。どうすれば嬉しくなるのか、まるで本物の女性のように知り尽くしているのだ。

 ……まあ、それで私まで淑女扱いされては溜まったものではない。『シスター』呼びは大歓迎だし、『フロイライン』はシュトラースブルク語なのでさして不快感はないが……。『レディ』などと言われれば頭を掻きむしりたくなるし、『マドモアゼル』なんてもう吐き気と胃痛と精神的ショックで立っていられなくなりそうなものである。



 ──そんなことはどうでもいいのだけど。さっさと陛下もご用事を済ませて欲しいものだが、やんごとなき御方のご機嫌を損ねれば、この修道院が危ないのだ。


「──では、そろそろ本題に入りますか。単刀直入に聞きましょう、王宮に来ませんか?」

「は……? いえ、失礼だとは存じますが、どのような意味でございましょう?」

「……簡潔に言うならば、王妃になってほしいと」



 ──成程、多分別の言語に親しんでいたから、聞き違いに決まっている。でなければ、意味が分からないし拒否したいのだが。


 私がそれとなく断ろうとする前に、修道女長様が私と国王陛下の間に立ち塞がった。毅然とした態度は様になっている……ではなくて。こんなことでお手を煩わせられないのだけど、止めるべきか否か迷ってしまう。止めたとしても、私はこの方の押しには弱いのだから、絶対に無理な話だ。



「国王陛下、面白くない冗談は受けないのですよ。……あまりにも度が過ぎれば、顰蹙を買うでしょう」

「……おや、それはご承諾いただけないということで?」

「まだ粘りますか? 私は実の娘のように思っておりますから、せめて思い合う人と結ばれて欲しいと願っています。私が男でなくって良かったわ……兄様よりも父親らしくあろうとしますからね」


 ……駄目だ、そろそろこのままだとまずい。

 修道女長様は敵意を敬語だけで誤魔化そうとしておられるし、国王陛下は冷ややかな空気を纏い始めていた。後ろに控えているだけで情けない限りだが、この件に関しては当事者なので介入して良い……筈、多分。






「──ッセルゲイ!! 呼ばれたから来たというのに、指定場所にいないと思えば──!?」

「あー、ごめんね、ギル。どうしても彼女・・に会ってみたくて。ところでなんでここにいるのかな?」



 ……嘘だ。こんなことは、有り得ない。なぜなら、彼は王太子だから。

 なのにどうして、スラーヴァまで?



「お前の後継に選ばれたからだろうが。それとも、説明もなしに異国の王宮に放り込むつもりだったか?」

「いや、別に。シンクレアそっちの王位は第二王子に移ったんだね。………………おや? 成程そういうことか。じゃあ、ギル、健闘を祈るよ」

「は? いや待て、何を──」

「──ヴィクトーリヤ嬢を口説く権利は、やっぱり君にしかないみたいだから、返そう」

「……まさか、王妃になれと言ったのか?」

「さあ? 合流地点で、先に待っているよ」



 目の前で二人が和やかに会話しているのを、どこか他人事のように眺めてしまった。……正確に言うと焦点は定まってない。虚ろな目だと思う。顔色が青白くなければ、まだ幾分か誤魔化しが効いただろうが……血の引いていくこの感覚からして、いつも以上に真っ白い筈だ。


 ──シンクレア王国第一王子ギルバート・アレクセイ・オブ・シンクレア殿下。即座に跪くべき相手を見て尚、私は体が硬直したままだった。唇と手の震えが顕著になる前に、修道女長様に話しかけられる。



「……ヴィクトーリヤさん。あとは任せてくれないかしら。無理は駄目よ?」

「は、い……ですが、わた、私だけがいつもいつも逃げ出して何もリスクを背負おうとせずに無責任な行動ばかりその上誰かに迷惑をかけてばかりでもうこれ以上逃げたら──」



「──しっかりなさいっ!」



 小声ながらも、よく響くその声は、しっかり私の心に届いた。


 ……ああ、また取り乱してしまったのか。顔色だけが酷くなって、それなのに真顔に愛想だけ貼り付けた表情は剥げている。

 情けなさで消えてしまいたくなるけれど、怖いと叫びたくなるけれど。……それでも。私が決めた選択だけは誰にも口出しする権利はないのだから、その結果を見届ける義務は果たさなければ。



 ──ふと、口の端が痛む。唇を無理に吊り上げるようなそれは、笑みとは程遠いようでいて、少しの進歩だった。……大丈夫、きっと、もうすぐ自然に微笑むようになるのだから。


 心を決めると──令嬢時代の名残で修道服をふわりと広がらせながら、すばやく平伏した。突然の行動にその場にいた誰もが目を見張る。

 修道女長様く呆けて口を開け、国王陛下は玩具を見つけたような輝きを瞳に宿し、殿下は──



「──セルゲイ、彼女に理由を聞け」

「…………ヴィクトーリヤ嬢、どうして平伏しているのでしょう?」

「はい、お答え申し上げます。一先ずは、先程までの陛下及び殿下へのご無礼をお許しくださいませ。……陛下がご所望の答えですが、今のわたくしは修道女でもただの平民でない微妙な身分であります。修道女長様は神への敬虔なる信徒故、平伏せずとも許されていますが、わたくしは神父様からの祝福を賜っておりません。その為、このような行動を致しました。御前での斯様な行動はさぞやご驚愕されましたでしょう。もう一度、ご無礼を深くお詫び申し上げます。陛下と殿下を敬愛する民として、幸多からんことをお祈り致します」



 ……かなり長々と、だらだら続けてしまった。だけど質問に誠実に答えるのは平民として当然のことであり、私の言っていることに間違いはない。更に祝福を祈る言葉も半ば義務であるし、シンクレア王国とスラーヴァでは国教が違うことに配慮して神に祈らないのが最良だった。


 ふと思えば、令嬢だった時分もこんな風にまくし立てて貴族の相手をしていた。常にポーカーフェイスなのが余計に恐怖を煽る。しかも、普段はもう少し柔らかくおっとりとした語り口だったこともあって、尚のこと獲物を追い詰める姿は想像できなかったようだ。

 懐かしくも憎々しい思い出に浸っていると、やはり殿下も気づいたのか息を呑む音が聞こえた。国王陛下はもう笑みを隠そうともせずに忍び笑いをしているらしい。



「……成程。ヴィクトーリヤ嬢、先程のように顔を合わせて話しましょう。どうぞ気楽に」

「ありがとう存じます。では、お言葉に甘えさせていただきますね」


 突然きびきびし始めたからか、陛下の笑みが深まっている。……ああ、これはもしかしなくても修道女長様を心配させているパターンだ。後で青い顔をしながら問い詰められるに違いない。


「さて。くだんの件についてですが……当事者であるヴィクトーリヤ嬢も交えてお話したいのは山々ですが、後見たる修道女長殿のご機嫌を損ねれば、溜まったものではありませんね。別室は可能ですか?」

「国王陛下、まあまあなんとも面白いご冗談ですわ。石女の私はともかく、立派な淑女・・・・・であるシスター・ヴィクトーリヤを殿方と二人っきりにするとは……面白くって、思わず顔が引き攣りそうですよ」



 ……スラーヴァ国王陛下の発言で元気を取り戻されたのは結構なのだが、やっぱり好戦的すぎると思う。修道女という立場にあるおかげで許されているのは分かっているが、いつ咎められるか気が気では無かった。私とは違い、あの方は守るべき人が多過ぎるのだから。

 とは言えども、何年も何年も怨念を振り積もらせてきた相手に対して、憎まれ口を叩かずにはいられないだろう。しかも、不敬を気にせずに言えるのだから、今の内にとでも思っているはずだ。



「……スカーレット──いや、シスター・ヴィクトーリヤ。不敬は許す、反逆でなければ永久にだ。……そこで聞きたい」

「何用でございましょうか?」


 剣呑とした雰囲気が漂い、思わず身構えそうになる。

 修道女長様も国王陛下も、それを察したかのように別室へ移動している。目の端に写った光景を見届け、二人っきりだという状況に改めて焦り出した。……何も、ないと思うけれど。



「──お前は……俺が嫌いか? 殺したいほど、憎いか?」

「……っ、は……?」


 それは、絶対にありえないはずの、問いだった。

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