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「……修道女長様、お客様とは……」

「ええ、予想通り、平民ではないわ。貴女を……『ヴィクトーリヤ・ナザーロヴナ・マルシェヴァ』をご指名ね」

「まさか、今のわたくしを知っておられる方ですか?」

「きっとね。……でも、修道女扱いはしていなかったの」


 シスター・ヴィクトーリヤと呼ばなかったということは、私個人に要件があるのだろう。できれば、手短に済ませてもらいたい。



「お断りはできませんでした……ごめんなさい」

「いえ、修道女長様も無下にできない御方なのでしょう。でしたら、早々に用件を終わらせてお帰りいただければよろしいのです。……これでもわたくし、猫被りは慣れたものですの」

「ちがっ――……何もできなくてごめんなさいね。頑張って、としか言えないのだけど」


 何か続けようとした修道女長の言葉は、扉の前に来たことで止められてしまった。内側に聞こえないような小さな声で、柔らかな応援をもらってしまい、つい驚いて扉にぶつかってしまう。

 ……しまらないのだ、こういう時ばかり。乙女ゲームの世界なら、ここでドヤ顔でグッジョブとかやる筈なのだけど。まさか、私がヒロインがじゃないせいで、余計に情けないシーンが増量中なのだろうか? いやでも、朧気な記憶の中では自信満々な顔しかない。




 ――私の頭がぐるぐると思考している最中、修道女長は不安げに声をかけてくださっていた。だが、あまりの痛みに涙が出かけている私にはその声も、もう一つの人影にも気づけなかった。



「――大丈夫ですか、フロイライン?」

「っ……ぁ!?」



 脳を揺さぶるような声色は、よく知っていたもののような気がして。



「……残念ですが、お客様。ここはシュトラースブルク公国ではありません」

「おや、シンクレアの公用語ではありませんでしたか。なら、マドモアゼル――」

「――まあ、ご冗談がお上手で。わたくしは修道女ですので、どうぞ『シスター』とでもお呼びくださいませ。名乗り遅れました、ヴィクトーリヤ・ナザーロヴナ・マルシェヴァでございます」



 なんて悪質な冗談。ここ最近の悪夢を思い出させる。


 あの囁かれ続ける夢はめっきり見なくなったのだけど、代わりに知らない記憶ばかり思い出していた。可愛いメレディスに虐待なんて見させられないと無理に遠ざけていた記憶も、殿下から戴いた贈り物をクローゼットを奥底に隠していたことも、あの人・・・に依存されきっていた記憶も。

 全てを剥き出しにさせるここ数日の夢は、私の恐れていたこと。


 それを、この目の前のお客様とやらは、無理に思い出させてくる。顔も声もその姿形も全てが私を苦しめようとしている。




「――恐れなくても結構ですよ、シスター・ヴィクトーリヤ。何せ、私は酷い粘着質な従兄弟とは大違いですからね」

「従兄弟……ですか」

「はい。あれも悪い奴ではありませんが、如何せんご令嬢に対する配慮が足りないので。あれと同類にされては、溜まったものではありませんよ」


 ……もしかしたら、この人は私が何を言いたいのか、正確に分かっているのかもれしれない。というか、そうでないと説明がつかないほど会話が成立しているのだ。

 私の鉄仮面のような表情から汲み取るのは不可能なのだから、ルウェリン公爵令嬢に関しても知っていると見て間違いない筈。私の苦手な人の従兄弟……父方の方は、幼子の時に兄達が次々に急逝したことで家督を継ぐと決まったから有り得ない。母方なら伯父の子供なのだろう、とすれば――



「まあ……! 陛下は、殿下と同類でないと存じておりましたわ」

「それは良かった。……ついでに、あれのことも毛嫌いしないでやってください、繊細なので」



 ――フン。

 鼻で笑うような声が聞こえて辺りを見渡してみるも、誰も何か話した気配がしない。お客様はその声をバッチリ耳に留めてしまったからか、呆れた表情を隠しもしなかった。下手くそな咳払いをすると、怒りもせずににこやかな顔で、私を見つめる。



 セルゲイ・ミハイロヴィチ・リューリク。それが、お客様の本当の名前だ。世に通る名はスラーヴァ国王セルゲイ三世、私の元婚約者ギルバート・アレクセイ・オブ・シンクレア王太子の従兄弟である。

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