エターナルビューティ
サンド
第1話
外はもう闇に包まれているだろうか。もうすぐ始まる文化祭最後の大目玉、キャンプファイヤーを心待ちにして、騒いでいる頃だろうか。
黒い布で覆われ、カボチャのステッカーが付けられた、ハロウィン仕様になった廊下の窓を見ながら思う。
ハロウィンと言っても一ヶ月もフライングしているのだけれど。
当然そんな仮装をした窓なので、景色は一切見えない。
クラス展示の受付係を任された生徒は、終了時刻ギリギリまで仕事をしなければならない。
私はまさしくその係で、文化祭のお祭りムードからポツリと取り残されている。そしてこの廊下には隣のクラスにもう一人――。
「ね、ねえ~」
と、ゆっくり風船が浮かびあがるような声が耳に届いた。
悲劇の受付係、もう一人はこの子だ。隣のクラスの、確か……皆川さんだ。
その声が小さくとも、廊下には二人だけだから、その緩やかなふわふわした声が短い廊下中に響き渡る。
「ん~? どうしたの、皆川さん」
心なしか私の口調までも風船のように浮かびあがってしまう。
皆川さんの作り出した、ふわふわした空気を吸ったからだろうか。これが巷で噂の皆川ワールドってやつらしい。夜の廊下に現れた不思議な小宇宙は、私の口調すら巻き込むブラックホールと共に、この退屈な受付係の時間をほんの少しだけ潰してくれるかもしれない。
「えっと……もうすぐファイヤーキャンプ、だけどさ~」
なぜキャンプファイヤーを逆にしちゃったんだろう。
「教室のエアコン切った~? 学校全体のブレーカー落とすから、付けっぱなしだと壊れちゃうよ~」
そんな事、私が忘れるわけもない。
「大丈夫ですよー。うちのクラスのエアコンはもう既に壊れちゃってるからさ。そっちこそ切り忘れはない?」
皆川さんは、風船の飛んでいく方向を見ながら少し停止した後、急に「はわわっ」と変な声を出し、ガタッと音を立てて受付の席を立ち上がる。
「わたし、切ってなかったです!」
風船が割れるような大声をあげて、彼女は転がりこむように背後の暗い教室に入っていった。
エアコンのリモコンの位置が分からないです~! と、また叫んでいたが、電気を付けるという発想に至らないらしい。面白いからあえて放置してみる。
彼女との会話から、ふと思い出した。
隣の三組とは対照的に明るい、背後の四組の教室に、
「小田くん、もうキャンプファイヤー始まると思うから、絵を描くのは一旦中止して教室の電気を切っておいてね」
と、顔も向けずに呼びかける。四組は私のクラスだ。
「あ、はい~。たった今エアコン切りました~」
と、皆川さんが教室から顔を覗かせながら言う。あなたじゃないです。
「うん、キリが良いところでやめるよ」
気のない返事だ。ゲーム中の小学生みたいな。
小田くんは地元じゃ名の知れた絵描きで、うちのクラスはそんな彼の絵を中心とした展示内容になっている。
黄金色に輝くドレスを纏った高潔な女性が描かれた迫力ある絵画だ。
私は絵を眺めるのが特段好きなわけではないのだが、まるで見る人の目を磁石に変えて惹きつけてしまうかのような、強い磁力みたいな魅力がある。
それを彩る深紅の絨毯に、ギラリと輝くシャンデリア。私たち素人が間に合わせで作った、本当ならぼろ雑巾のような衣服、アクセサリー、絵などの展示物も、この教室にかけられた魔法で美しく見える。
これら全てを企画し、作り上げた実行委員の西園寺さんにはもはや脱帽するしかない。
極めつけは四隅にそれぞれ飾られた白いバラ、エターナルビューティ。
残雪のようなそれは、心地よい香りと美しさで、教室の世界観を一層引き立てている。
このエターナルビューティを小田くんはたった今、熱心に描いている。
この時間人は来ないだろうし来たら中断するから、とかなんとか言って。
集中できないから覗かないでとまで言うあたり、やはり、この絵に関してはかなりこだわりが強い。
確かにあの美しさは、絵の世界に取り込みたくもなるのだろうけど。
とりあえず、これ以上は話しかけないでおこう。
「そういえば~えっと……名前……」
受付の席に戻った皆川さんが、また話を膨らませようとしてくる。
そもそも一時間ぐらい近くにいて、それでも彼女と話をしなかったのは、小田くんに気を遣ったからだ。
でも、私はもうこの皆川ワールドから帰りたくない。気にしないことに決めた。
「私、東雲 咲って言うの」
「咲ちゃん! いい名前だね~」
そう言って満開の笑顔を向けられると、こっちまで顔が緩む。名前で呼ばれたから、だろうか。
「あのね咲りん!」
りん?
「私はね、この時間しか受付入ってないんだけど、咲りんはどうしてずっと受付を続けてるのー? それに、自分から進んで希望したって噂で聞いて余計にびっくりしちゃって」
まるで手話のように、身振り手振りで一生懸命に話す姿に、笑いが喉までこみ上げてくる。半笑いで答える。
「なんていうか、頑張りを認められたくて」
ハッとした。喉を圧する笑いも消えた。
口をついて出た言葉に恥ずかしさで熱くなってくる。こちらを捉えている皆川さんの大きな瞳は、一ミリも動かない。
「……あ、いや、気にしないで」
――私の頑張りなんて、西園寺さんに比べたらどうってことはなかった。
一番じゃないといけないのに。一番頑張っている私じゃないと、嫌われてしまうのに。
現にあの人も西園寺さんだけを評価していた。
西園寺さんみたいにもっと完璧だったら。受付ぐらいは頑張らないと。そんな言葉ばかりが脳を駆け巡る。
途端、皆川さんの黒目も窓のステッカーも何もかもが夜の色に溶け込んだ。
停電?
いや、キャンプファイヤーの点火前の演出だ。
ガラッと教室の扉が開く。ビクッと思わず驚く。小田くん以外にありえないのだけれど。シルエットのようにぼんやりとだけ見える。
暗闇は少し苦手だ。
「暗いと絵が描けないね。ちょっと出てくる」
言いながら、早歩きで行ってしまった。もしかしたら小田くんも暗闇が苦手なのかもしれない。
皆川さんは少し離れたところで震えているように見える。
「皆川さん、大丈夫だよ。しりとりでもしようよ」
私はさっきの話が流れで消滅したことに、ただただ安心しきっていた。
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