ログ:赤い双眸(3)

 反撃を躱し、機体に殴打を撃つ。撃つ。撃つ。何度も撃つ。接触した自分の四肢から不快な音が鳴っても無我夢中で殴り続けた。

 そして――気がついたら空中に放り出されていた。衣服の裂け目から己の身を通っていた液体が弧を描き宙に軌跡をつけている。地面に落ちる衝撃。胸からドクドクと何かが溢れだす感覚。口内には苦い味。真っ白になった頭で考える。何が起きた? 視線だけ動かして周囲を見ると機械兵に吊り下げられたゲイツが手足を力なく虚空に垂らしていた。此方を見ていて視線が合う。光のない目が何かを訴えかけている。視線を自分に戻すと理解した。

 そうか。自分もやられたのか。だがそれでも。歯に力を入れ肘を立てる。このカラダはまだ動かせる。機械兵さえあれだけ殴れば損傷の一つはしているはずだ。必ず一矢報いてやる。ゲイツを救わねば。その思いだけでエリサは砕けた拳を地について体を起こした。

 視軸を向けた機械兵には傷一つついてなかった。五体傷痍のエリサの顔を見下ろすばかりで嘲るように立つだけだ。無機質な二つの光に躊躇いは無い。

 エリサの顎はいつしか震えていた。ゲイツはもう動いていない。

 乾いた笑いが不意に漏れ出す。

 一滴の血すら流れていない奴らに血塗れとなって抵抗する自分達。

 ……不公平な命の交渉が歴史にいくつ刻まれてきた?

 機械よ。お前達は何を求める。人類と機械は共に生きていく理想を掲げなかったか。我らはいつ道を違えた。お前達は何故生まれてしまった。呪い雑じりの尋問が混濁した意識を蹂躙する。エリサの笑いは止まらない。

 高度知的無機生命体アトルギア。人類が創り出した滅びの兵器。血の通わない悪魔の殺戮者。命に価値を持たない者。人類はまた自らの子に敗れたのだ。踏み躙られた正気は原形を失くし胡乱な虜となった少女の視野を暗幕が覆った。少女を玩弄するような声が意識に問いかける。

『お前のせいじゃないか』

 誰の声かも分からない。死んだゲイツの顔が此方を向いた。少女を見つめる瞠目は世にも怖ろしい表情だった。エリサが目を背けた先には無数の亡者が顔を上げて待っていた。ずりずりと蠕動音を奏でながら闇より少女に近づく者が何処かにいる。少女は膝を砕かせて這う這うの体で後ずさる。呻吟が響く。亡者の嘆きが少女の頭を狂わせる。悲痛、憤怒、苦悶、憎悪。善意を打擲する負の感情が胸の臓器を締め上げてエリサの喉から人ならざる音色が上がった。

 身体の内から飛び出す本能。少女は絶叫しながら亡者の顔に爪を立て腕を横薙ぎに一旋させる。亡者は裂かれて消滅し金切声を名残らせた。だけど少女は気づいていない。次の亡者に飛び掛かる。そして無慈悲な処罰を右手で下した。感情が漏れ出し続ける。エリサは亡者を消滅させる。次から次へと抵抗しない彼らの顔を獣の様に裂き続ける。暴れ狂う少女の心を鎮める者は何もない。目につく全てを引き裂き尽くし虚空を何度も掻きむしる。無音の中で少女の叫び声だけが響いていた。

 やがて疲弊が極限をむかえエリサはその場に崩れ落ちた。胸を激しく上下させ乱れた蒼髪を揉みしだきうつろな瞳で茫漠の空に孤独を見た。闇が何処までも広がっている。これまでも、これからもエリサを包むのは変わらない。天命より定められた酷虐の星が少女を慈しむ様に呪縛の微笑で見守っている。逃げる場所は無い。

 いつだって天暗の星がエリサの人生を見つめている。

 虚空から声が聞えたのはその時だった。少女の名を呼ぶ声が聞えた気がした。身動みじろぎ一つも億劫なのに不思議と首がするりと向いた。

『エリサ』

 優しい温もりを感じる音を耳は拾った。よたりよたりと声のする方へ進みだす。少女の壊れた心が求める救いは闇のどこかでエリサを招き込んでいる。呼び声がまた聞こえた。一も二もなく追いかける。たちまちあたりが光を含みだした。射してきた光の方から声が――エリサの名を呼ぶ声がした。エリサは光の中に足を踏み入れた。その先で待っていたのは、

『たすけて』

 亡者の朽ちた顔だった。にわかに白んだ世界が崩れ去り闇と燃え盛る村々の景色が広がりだした。青白くなる少女の前には機械兵が立ち並んでいた。彼女をじっと見つめていた。悪魔達の赤い双眸。

 少女のあげた絶叫は世界の音を否定した。エリサを呼び込む声がする。エリサ。エリサ。エリサ――少女に囁くその声は亡者の誘いか悪魔の招きか。愛しい人を呼ぶように繰り返される少女の名。真綿で首を締めるように蝕まれていく少女の心。エリサ。エリサ。機械が呼んでる。滅びの子供が楽しそうに彼女の名前を。

 誰かが叫んだ。

 ――エリサ!

 掛け布を跳ねのけ飛び起きた。

 全身が汗で濡れている。

 頬に貼りつく髪をかき上げて額に手をやる。

 機械はいない。どこにも亡者の顔はない……。

(……夢だったか)

 冷えた指先が熱を持つ額に心地よい。開け放たれた窓から朝の日差しがさしこんでいる。景色も、昨日と変わらない。一つ溜め息をつき枕元を見ると隣でゲイツが倒れていた。

「何しているの」

「……君の頭突きだったら機械兵もイチコロだね」

「……おはよう」

「……おはよう、エリサ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る