第45話 約束の刻

隊商宿、二階の一部屋。

こじんまりとした部屋には、3つの敷布団が敷かれていた。


隊商宿では珍しい光景ではないのだが、陽が落ちた室内の布団に包まるのは、王族と貴族の子女である。


「…守護騎士様は何を考えて、ここに泊まったのかしら?」


王族が暗い天井に向けて、疑問を投げかける。


「違う…ハーフエルフが泊まった」


リリスが天井に、否定の言葉を返す。


王女殿下達は、店主に詳しく聞いたのだ。

そして、この隊商宿に伝わっていた最初の言葉は、ハーフエルフが泊まった事がある…だ。


今でも、この辺りにハーフエルフが訪れるのは珍しいそうだが、その当時は更に珍しかったのだろう。


やがて、誰かが守護騎士物語に結びつけたのだ。


だが、エルム以外では知名度の低い物語のようで、観光地になるわけでもなく、ひっそりと言い伝えられていたのだった。


「ねぇ、どうしてだと思う?」


そんな事を思い出していた私に、王女殿下は問いかける。


「ここに泊まった理由ですか?」


薄暗い天井に話しかける。


「泊まるとこが、ここしかなかったのでは?」

「守護騎士様よ?」


今のエルムの常識で、彼女はその言葉を否定する。


「守護騎士物語…傭兵の街から逃亡劇」

「…そうだったわね」


物語を思い出すように呟くリリスに、王女もまた思い出すように同意した。


「でも、王都へ帰るなら、ここは遠回りだわ」


また今のエルムの常識で呟く王女殿下だが、


「遠回りなら、なぜこの街を通るルートで?」

「お母様に渡された地図のルートよ」


旅慣れていない王女殿下に、王妃は宿場町に泊まれるルートを示したそうだ。


「…ここは大昔、キヌスじゃなかった」


私達の会話を他所に、リリスは呟く。


「…詳しいんですね」


彼女の言う通り、この辺りはキヌスの国境であり、南に行けば大小様々な都市国家の戦乱地帯だったのだ。


「好きな物語…だから」

「私だって、好きだわ」


二人の呟きに、私は二人の部屋に守護騎士物語の本が置いてあったのを思い出す。


二人は物語を思い返しているのか、静かに天井を見上げていた。


静寂に包まれる中、眠気が瞼を重くする。

布団から見上げた景色が歪む。


それは、陽炎のようにゆらゆらと揺れ、


…揺れ?


目を見開き、その違和感を注視する。


…魔素が集まっているのか?


不可解な現象に、身体を起こした時であった。


鈍い鐘の音が、部屋中を駆け巡る。


「こんな時間に鐘の音?」

「なに?」

「……」


時刻を報せる街の鐘の音とは、明らかに異なる鈍い振動。


私達は布団から、起き上がる。

魔道具の照明もない質素な部屋の為、私は部屋を照らす光を灯した。


陽炎のような揺らぎは、部屋の一角へと集まっていた。


「…嘘、もう時間なの?」

「……」


二人には、何かが見えてるようだ。

二人の視線の先を、魔力を込めた両目で再確認する。


そこには、大きな古時計が佇んでいた。

針は、12時を少し過ぎた辺りを示している。

不思議な事に秒針は音を立てて、ゆっくりと逆回りしていた。


「なんだ、これは?」


私は思わず、呟く。

そして、彼女達の方を振り向くとリリスが、私の方に歩み寄っていた。


いつもの無表情だ。

感情の読み取れない無表情だ。

だが、瞳の色は彼女の心情を表すように、黒と緋色が交差する。


「…マブダチ…ごめん」


リリスがゆっくりと口を開く。

そして、


「…お別れの時間」


平坦な口調で、変わらぬ無表情で私に告げる。


…意味がわからない。


古時計と彼女に視線を交差させる。

無駄に高い知力で、思考を加速させる。


私に背を向けて、ゆっくりと古時計の方に向かうリリス。


ただそれを見送っていた。


…なんだ、これは?


同じ結論を、またループさせる。


そして、リリスが古時計の前に立った時、


「来なさい!」


王女殿下が、彼女の手を強引に引いた。


加速した思考に合わせるように、景色がゆっくりと流れる。


リリスを部屋の外へと連れ出す、王女殿下。

深夜の静寂に、階段を慌ただしく降りる音が、鳴り響く。


古時計は彼女達が部屋から出ると、その姿を魔素に変え、部屋の壁をすり抜けた。


外では乱暴に開く扉と、馬の鳴き声に人の声。


「…まさかね」


だが、そのまさかである。


馬の駆ける音が、隊商宿から離れていく。


「なんなんですかね?いったい」


状況を理解できない私は、隊商宿に置いてかれたのだった。

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