第4話 冒険者ギルドの依頼書
古びた酒場
お腹も満たして、葡萄酒を嗜む私は野良猫を撫でている。
強面に似合わず、店主が餌を与えている猫だ。
「…相変わらず、猫が好きなんだな」
「ええ、好きですよ。猫は会話ができませんからね」
「それがなんで好きの理由になるんだ?」
「気持ちが通じ合ってる気がするでしょ?」
ほら、可愛い。
だが、執拗に顎の下を撫でると、気まぐれな猫は店主の後ろへと逃げて行った。
「そういえば、まだあんな看板掲げてるんですね」
「…ん?」
入口に掲げられたもう一つの看板を暗示させる。
「ああ、冒険者ギルドか…」
「冒険者なんて、いないのに」
そう、物語に出てくる冒険者などいないのだ。
遥か昔は別として、今では冒険者ギルドの意味は一つ。
食うに困ったやつが、最後に行き着く先である。
「何代前の店主だか知らねーが、迷惑なもんよ。おかげで垢まみれの汚いやつが、店に来ちまう」
冒険者ギルドなんて風習がなかった王都エルムに、何代前かの店主が、南の王国の風習を聞きつけて、看板を掲げたのだ。
ギルドなんて名ばかりの繋がりのない看板。
だが、店主は歴史を感じるだろ?と言いながら、嬉しそうにソレを掲げていた。
「外せば良いじゃないですか、看板」
「…外したさ。だけどさ、染み付いた垢ってのは、簡単には取れねーのさ」
何杯目かのエールをカウンターに置く店主。
「来ちまうのさ。外したところでさ。金も持ってねーやつらがよ」
「…ははは」
「移民街で一番古いここなら、なんとかしてくれるだとよ」
「確かにここは、色んな人が来ますからね」
少なくなった葡萄酒を置き、窓の外を眺める。
「日雇いの仕事くらいなら、いくらでも聞けるからな。だから、垢の面倒をまた見てたら、気づいたのさ」
「…何をです?」
「この年季の入った垢は、簡単にはつかねぇってさ」
「…まあ、そうですね」
「あんたも垢の一つだぞ」
そう言って、店主は残りのツケを示してくる。
「私の垢は、高いようですね」
「なら、稼いできてくれよ」
私は、はいはいと手をあげて合図をし、店主が目線で促した壁の張り紙へと足を進める。
「文字は読めるんだったよな?」
「ええ、読めますよ」
都市国家の性質上というより城壁で囲まれた街は、最低限の教育環境は整っている。
限られた土地の労働人口が、文字も読めないのでは生産性に支障が出るのだ。
文字も読めない教育環境というのは、生産性を期待されていない農村か貧民街とも呼ばれるスラム街である。
だが、城壁で囲まれた街にスラム街が出来る事は極稀だろう。
治安悪化を招く要因になる為、領主の資質が問われるのだ。
まして、王都でスラム街など出来ようはずもない。
「…出来るはずがないんですけどね」
壁に貼られた仕事依頼を、いくつか眺めながら、別の事を考えていた。
この移民街は、スラム化しているんですよね。
広くなりすぎて、管理が出来なくなったのか、見捨てるつもりなのか…。
クリスの夢を見捨てる?
…そんな馬鹿な…
「…うん?この馬鹿な依頼書はなんです?」
「…あ?ああ、それか」
私が指差した依頼書は、昔よく見慣れた王族が使う羊皮紙が使われていて、よく見慣れた王家の印が押してあるのだ。
——求む 王女殿下の教育係——
「…良く出来ていますが、不敬罪ですよ?」
いや、公文書偽造罪に似たような法があった気がする。
こんな場所では、知らないのだろうか?
問答無用で、死罪だという事を。
「よく出来てるだろ?本物だと思うか?」
店主は、まるで試すような視線を送ってきた。
私は印をもう一度よく観察する。
「…本物にしか見えませんね」
「そうか。依頼料は手付金で金貨3枚だ」
「…はい?」
金貨3枚、あまりの大金に私は間抜けな声を上げた。
なにせ、私の金銭感覚は狂っていたのだ、最底辺な意味で。
「誰でも受けれるわけじゃねーぞ?それを、確信を持って本物だって言った最初の一人にだけっていうのが、依頼者の要望だ」
「こんな場所で教育係を募集するなんて、馬鹿なんですかね?」
「その言葉こそ、不敬罪じゃないのか?」
男は、呆れたようなため息を吐く。
「…本物なんですね?」
あの王族なら、やりかねないと思いつつ確認する。
酔狂はエルム王家の正当な証…でしたかね?
「受けないつもりか?」
「まさか?私は今、借金を抱えた可哀想な雛鳥ですよ?」
金貨3枚?
2年は遊んで暮らせる大金です!
「そいつは良かった…。ああ、言い忘れてたが、面接があるそうだ」
面接は当然だが、妙に安心した顔の男を私は怪しんだ目で見た。
「良かった?私が行くと、そっちにも金貨が入りそうな言い方ですね」
私の言葉に店主はニカっと笑い、
「あんたの垢は高かったな」
清々しい程、商売人の顔で、紐で丸められた羊皮紙を差し出してきた。
「門番に、これを見せろとさ」
中身は見てないぞ?開けるなと言われてるからな。
そんな言葉と金貨を受け取り、私は店を後にした。
「…悪いな。あんたで3人目だ」
店主は一人呟く。
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