第3話 妖精の詩
王都エルム 第七城壁区画 移民街
すっかり暗くなった辺りを横目に、少し重くなった腰袋を下げて、一人歩く。
「あまり稼ぎにはならなかったけど、まぁ足りるでしょう」
あの自警団は分前を平等に配っているのか、ねぐらに溜め込んでいなかったのだ。
派手に描き過ぎた芸術を汚すように、個別のポッケを漁るしかないのである。
そして、気づけば夜になっていた。
小柄な体格に似合わず、ジャラジャラと鳴らした硬貨の大袋。
余計な荷物を早く捨てようと、私の足取りは速く、移民街のもっとも古い酒場へと辿り着いていた。
第六城壁の城門近くに建てられた年季の入ったその建物。
窓からは酒場らしい灯りが漏れ、入り口には酒場を示す看板と共に、もう一つの看板が立て掛けられている。
それをいつものように嘲笑うと、扉を開けた。
「いらっしゃ…」
カウンターで、カップを磨く店主がその無骨な風貌から精一杯捻り出した愛想笑いも、私の姿を視認すると瞬時に消えた。
「元気そうですね」
「元気そうですねじゃねーよ。もうツケは利かないからな」
見てくれだけはそれなりに自信のある美少女の笑顔を向けても、返ってくるのは拒絶の笑顔。
心当たりがありすぎるソレを無視してカウンターの隅へと座る。
「ったく…ツケは利かねーって言ってんだろ。何年分溜まってると思ってるんだ?」
「…さぁ、わかりませんね」
わからないから、しばらく立ち寄らなかったのだ。
そして、他の店でもツケが溜まり、首が回らなくなった。
闘技場で稼ぐ手段は、何十年も前に使ってしまっている。
やり過ぎた伝説と共に、出禁になった以上、人々が忘れ去るまで、あと数十年は使えない。
だが、それも今日までなのだ。
不敵な笑みを溢して、私は硬貨の詰まった大袋を勝ち誇ったように、机の上に置いた。
「…足りるはずです」
「…おいおい」
そう足りるはずなのだ。
…足りなければ、ツケを清算した他の店達で飢えを凌ぐとしよう。
ブツブツと独り言を呟く店主が、硬貨を数えて帳簿と照らし合わせている。
そして、その独り言が終わると、
「…足りねーよ」
その一言に私は、
「…そうですか」
席を立とうとした。
…否、逃亡である。
「待てよ。足りねーけど、ツケは利いてやる」
「いいんですか?」
「ああ、あと僅かだしな」
そう言って、店主はいつもの葡萄酒を私の前へと出す。
次にサラダだ。
何も言わなくても、いつものが出てくる馴染みの店。
「なあ、あんたいくつなんだ?数年ぶりに来たってのに、何一つ変わっちゃいねぇ」
その言葉を聞き、私は押し黙る。
不都合な真実が一つと、単純に自分の歳がいくつなのか、暫く開いていないステータスを見ないとわからないのだ。
「それどころか、あんた俺がガキの頃から変わってねーだろ」
「昔は遊んであげたのですから、もう少しサービスを良くしてくれても良いんですよ?」
「何年もツケを許すなんて、あんただけだ。…で?」
店主は、ずっと聞きたかったであろう答えを求めてきた。
だから、
「…エルフの血が濃いんですよ」
嘘をつく。
嘘をつくが、様々な人種の血が入り混じるこの街で、その嘘を看破るのは難しい。
だから、ここに住んでいるのだ。
「…そうか。俺は獣人の血が少し混じってるらしい」
「…珍しい事じゃないですね」
「…そうだな」
そう言って、口を動かしながらも、仕事を忘れていなかった店主は次に肉料理を差し出す。
ナイフとフォークを動かし、それを口に運びつつ、一仕事終えてエールを豪快に注ぐ店主に顔を向けた。
「美味しいです。昔から変わらない味ですよ」
「あんた好きだったからな、先代のその味が」
正確には、先代の先代のそのまた先代の…思い出せないくらい前の味なのだが、それは言わない。
店主はエールをぐいっと流し込むと、
「先代は、妖精の詩が好きだったからな」
「…ああ、あの詩ですか」
「ただの詩だと思ってたが、あんたを見てると先代の気持ちが、わかるような気がするよ」
「でしたら、信心深くもう少しツケの期間を…」
「…わかるような気がするって言っただけだ」
調子に乗るなと言うように、店主は顔を背けた。
私は、その短い詩を思い出す。
——その幼い妖精さんが人族の耳でも、追い出してはいけない——
——その妖精さんが、いつまでも外見の変わらない美少女でも、聞いてはいけません——
——妖精さんは不器用です——
——もし、妖精さんが困っていたら、親切にしなさい——
——その妖精さんは、きっといつまでも見守ってくれます——
そして、遠い昔を…
——バカな名無しさんは私がいなくなったら、きっと野垂れ死にます
——それか、大悪党になるのです
——だから、ルルは名無しさんが困らないように…
「…おまえのおかげで、今日も生きてるよ」
遠い昔を思い出し、呟く。
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