第29話 再会と別れ 改稿

錬金術師エリーの店 一階


その日、店の前には一台の馬車が停車していた。


お洒落な装飾が施された茶色い箱型客車の周りには、重厚な鎧を着込んだ騎士達が立ち並び、馬の世話をする従者の姿も見られる。

彼等の物々しい雰囲気を感じ取ったのか、大通りに続く路地裏は閑散としていた。


そして、店内には騎士達の主の姿が、窓越しに透けて見えている。


金色の髪を揺らしながら、青い瞳を真っ直ぐに向けていた。

その眼差しの先には、西洋人形のような少女の姿。


「その身と引き換えに、何を望む?」


マリオンは芝居掛かった口調で、語りかけてくる。

可憐な容姿をしているのだが、口元は僅かに歪んでいた。


「賢者の書を…」

 

俺の言葉にマリオンの表情が、更に緩む。

その様子をエリー様は、無表情で見つめていた。


——あなた、私以上に忠誠心なさそう


時は、一ヶ月前に遡る。


——王宮魔導師の私の紹介かしら?


そんな期待させる言葉の後に、彼女が発した言葉は、あまりにも素っ気ないものだった。

優秀な人材を集めてはいても、忠誠心の欠片もない者は当然、推挙できない。


そして、充分な期間観察した彼女は、俺に忠誠心が生まれない事を、見抜いた。

ただ面白そうに、あなたが望むならと…。


要するにエリー様は俺を手放した。

マリオンと引き合わせて。


貴族は、己の騎士に賢者の書を与える。

また、侯爵や伯爵は金銭を積んだものにも、便宜を図る力があるそうだ。

侯爵家であれば容易な事だろうと言った。


「ふふ、私の可愛いアリスちゃん」


新しいおもちゃを手に入れたマリオンが、嬉しそうに俺の腕に抱きつく。

柔らかな膨らみが当たる感触は心地よいが…。


右手の甲には奴隷紋が青く輝いていた。

所有者は、既にマリオンに移されている。


見慣れた店内、奥には寝泊まりを過ごした物置小屋。


…あっという間の一年だったな。


そして、エリー様と目が合う。


——その目は、見せない方が良いわ


それは、奴隷紋の所有権を移す処理を観察していた時にかけられた言葉だ。


「仮処理として、主人の一定範囲内に変えます」


奴隷商人の言葉によれば、これで外周城壁から出ても色が変わらないらしい。

どういう原理なのか、魔力を瞳に込めて作業を眺めていた。


魔力の塊がただ動いているようにしか見えなかった。

ただ俺の緋色の瞳を見て、マリオンは綺麗と笑みを浮かべていた。


そして、処置が終わった時にエリー様から耳打ちされたのだ。


——わかる人にはわかるから


そんな事を思い出し、奴隷紋に目を落とす。


「さあ、行きましょう」


マリオンが俺の手を引く。

顔を上げた俺は、またエリー様と目が合う。


彼女は何も言わない。

決して短くない時間を共に過ごしたというのに、互いに一度も別れの言葉を、口にしていなかった。


…いや、別れの言葉なんて似合わないな。


怠惰なご主人様と、身の回りの世話をする奴隷。

互いに深く干渉する事のないそれだけの関係なのだ。


別れの言葉なんて、対等な関係ではないのだ。


俺は彼女から視線を外す。

後ろ髪を引かれる思いで、マリオンに手を引かれると一歩踏み出す。


そして、外の扉に向かってまた一歩。

エリー様の姿はもう視界に映らない。


もうここに戻ってくる事はないだろうと思いながら進む。


そして、


「…アリス」


聴き慣れた声色から、聴き慣れない単語。

俺の足は止まる。


彼女が名前で呼ぶ事など滅多にないのだ。

俺は振り向いた。


「アリスちゃん?」


繋がれたマリオンの手が離れる。


「……」


ご主人様と視線が交差する。

相変わらずの無表情だが、少し困っているように見えた。


「…こういう時、なんて言うかわからない」

「…俺もですよ」


さよならと告げれば、それが真実になりそうな気がする。

だが、またねとも言えるような関係でもないのだ。


「…エリー様らしい言葉を下さい」

 

だから、笑顔で彼女に告げる。


「…それは難しい事を言うのね」


彼女は珍しく苦笑いを浮かべた。

だから、


「…行ってきます」


俺は自然と言葉が漏れた。


「ええ、行ってらっしゃい」


彼女も自然と言葉を返す。

これが、俺達の関係性なのだろう。


そして、エリー様はゆっくりと俺に歩み寄り、優しく抱き寄せると、耳元で囁く。


「…あなたの狂気が…変わりませんように…」

「…はは」


まったく彼女らしい言葉だ。

…俺という人間をよく観察した彼女らしい言葉だ。


こうして、俺達は別れた。

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