第16話 マリオン・フロレンス 改稿
錬金術師エリーの店
貴族は頭がおかしい、という認識は訂正しよう。
ただ満面の笑みで話しかけてくる彼女は、間違いなく頭がおかしい。
彼女の名は、マリオン・フロレンス。
王都の北、ノース侯爵領を治めるフロレンス家の長女だ。
年齢は、私より2つ上の15歳。
ちなみに、この都市は王都の西に位置し、王室直轄領となっている。
王都から近く、四方に街道がある為、交易都市として栄えているそうだ。
…なぜ、こんなに知識が増えたって?
それは、
「アリスちゃんに、次の質問。五等爵を答えなさい」
「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵ですね」
一度見聞きすれば、大抵の事は覚えられる頭でそらんじる。
もう何問目かもわからないし、いい加減解放してほしいものだ。
俺は店の椅子に座りながら、大きく伸びをして答えた。
横に座るマリオンは、満足そうに頷くと、吐息を耳に吹きかけるように囁く。
「…では、その違いは?」
そんな甘い囁きは、明らかに俺の反応を楽しんでいるようで、悪戯っぽい表情をしているのがわかる。
「公爵は、王族か属国になった元王族。侯爵は、国境隣接地帯の大規模領地を治める武闘派、頭がおかしい…」
俺は答えながら、彼女を離すように肩を押す。
「伯爵は、中規模領地を治める王の補佐官、領地を持たないのは宮中伯で…」
だが、押した手を掴まれて、逆に引き込まれてしまう。
「…子爵は、侯爵、伯爵の寄子であり侯爵領、伯爵領内の都市を治めて…うわッ」
彼女を押し倒す形で、体勢を崩してしまい…。
気がつけば、俺はマリオンの顔を間近で見つめることになる。
「続けて?」
「…男爵は、領内の町や村を治める者」
彼女の青い瞳を見つめながら、静かに告げる。
「…正解…ご褒美よ」
そう微笑むマリオンは、乱れた金色の髪をかきあげると、俺の腕の下でそっと瞳を閉じた。
その表情に魅入られるように、自然と唇へ視線が移動する。
——ゴクリ
そんな生唾を飲み込む音が、大きく聞こえた気がした。
「あら?女の子同士なのに気にするの?」
目を閉じたまま小さく笑い、挑発するように問いかけてきたのだ。
そんな姿に魅了されそうになったが、頭を振って冷静になる。
…女の子同士…
彼女は高位の貴族、事後にバレたら首が飛ぶかもしれない…。
そんな危機感が警鐘を鳴らし、ゆっくりと起き上がる。
すると、その気配を感じ取ったマリオンも、つまらなそうな顔で起き上がった。
「ふーん」
目を細め、見定めるような嫌な笑みを浮かべる。
…こいつ絶対Sだろ。
「ねえ、侯爵の説明だけ、頭がおかしいってなに?」
それは、この状況に至るまでを思い出す。
この関係が始まったきっかけの出来事を…。
——話は三ヶ月前に遡る
月乃亭から一目散に逃げ出した数日後、彼女は騎士団を引き連れて店に現れた。
「いらっしゃ…い?」
いつもの通り、笑顔で客を迎え入れる俺だったのだが、その姿を確認して固まる。
…どうしてここが?
いや、貴族なら調べさせれば、すぐわかるのか?
「探したわ、アリスちゃん」
そう告げた笑顔からは、静かな怒りを感じるのだが、表情からは何を考えているのか、全くわからなかった。
いや、怖いから…。
「マリオン様、入口は封鎖しておきます」
「…ええ」
そんな碌でも無いやり取りが、聞こえてきた瞬間だった。
「…ッ!?」
部屋の温度が急激に冷たくなるような寒気を感じ、反射的に後ろを見た。
勘違いではないようで、違和感を感じた騎士団も同じ方向を見ていたのだった。
そこには、
「…誰かしら?」
二階で熟睡しているはずのご主人様の姿。
それなりの付き合いの長さになった俺には、非常に機嫌が悪いのが感じ取れた。
…ヤバい。
俺の勘が、理屈のわからない警鐘を鳴らしている。
だが、
「…エリー先生?」
「…あら?」
マリオンが呟いた一言に、ご主人様が反応すると、部屋の温度が急速に戻っていった。
そんな様子を見守っていた騎士達は、緊張を解くと一斉にため息を吐く。
「錬金術師って先生の事でしたのね」
「…どうしたのかしら?」
不思議そうに、首を傾げるご主人様。
「先生、この子が欲しいの」
そんな彼女の言葉を聞いたご主人様は、俺の方を振り向く。
相変わらずの無表情だ。
そして、マリオンの方へ向き直ると、
「…ダメよ、便利だもの」
変わらぬ表情のまま告げた。
「エリー様、彼女とはどういう関係なのです?」
俺はマリオンとご主人様を、交互に見つめながら尋ねた。
「…家庭教師をした…」
…なるほど。
そう俺が納得した時だった。
「マリオン様…」
一人の騎士が不満げな表情で、ご主人様に向かって一歩前に出る。
「やめろ、あの方は…」
それを即座に止める隊長らしき騎士は、こちらの会話を邪魔しないように、何かを騎士に耳打ちしているようだ。
「あなた達は外に出ていなさい」
「ですが…」
「…二度は言わないわ?いい?」
その様子にマリオンは、苛立つように騎士達に告げる。
騎士達は無言で頷き、全員が外に出るまでマリオンは言葉を発しなかった。
「先生、金貨二枚で店を貸切にしてもよろしいかしら?」
「…金貨二枚ッ?」
「…あら?」
貴族とは異世界の住人なのだろう。
俺が驚いた声を上げると、マリオンは楽しそうに微笑み返す。
「…騒がしくないなら、いいわ…」
「やったぁ」
エリー様は興味がなさそうに呟くと、マリオンは嬉しそうに俺に抱きついてきた。
…女の子の匂いがする。
良い匂いだ。
彼女の小さな膨らみが腕に当たり、少し鼓動が早くなるのを感じた。
思わず顔を赤くしながら、彼女を突き放す。
そんな俺達を残して、エリー様は二階の階段を登る。
「…おもしろい…」
そんな呟きが聞こえた気がした。
それから三ヶ月、マリオンは暇を見つけては店を貸し切りにしていた。
猫をあやすように、俺の頭をなでる。
ここは、猫カフェではないはずなのだ。
…やはり彼女は、頭がおかしい。
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