第15話 月乃亭 改稿
交易都市クーヨン
中央広場の一角に貴族専用の宿屋、月乃亭が建っていた。
内装は豪華で煌びやかな調度品が多く飾られているのだが、派手すぎる装飾はなく、上品さを損なわない絶妙なセンスの良さを感じるのだ。
興味本位で入った俺は、赤髪の受付嬢に貴族の遣いと勘違いされるも、誤解を解くついでに、この国の宿屋のシステムを教えてもらっている最中である。
整理すると、都市内部に一般人が泊まれる宿屋は、通常存在しない。
これは、見知らぬ者が住みつかないようにする治安維持の側面が強い点と、宿屋内の調度品の窃盗や破損の保証金の問題があるようだ。
なので、都市内部にある宿屋は、身分確かな貴族または大商人やそれに準ずる者専用になっている。
では、旅人や商人はどこに泊まるかと言うと、内周城壁の外に隊商宿と呼ばれる酒場や倉庫が一体となった、まさにファンタジー世界の宿屋があるらしい。
城壁が一つしかない都市は、少し離れた場所にあるみたいだ。
「勉強になります」
「いえ、私も手が空いてましたから」
微笑み返す彼女に礼を告げて、店を出ることにした。
「またいらして下さいね」
社交辞令なのだろうが、片目でウィンクしてくる姿は、とても魅力的だ。
いつか世界を冒険する時に、役に立つなと満足げな笑顔で、月乃亭を後にした。
いや、後にしようと思ったのだが、
「あなた、私のものになりなさい」
上機嫌で出口に向かう俺と入れ違いに入ってきた少女が、ひと目見て立ち塞がると唐突に告げてきた。
…いきなり何言ってんだ?こいつ。
俺より少し身長の高い細身の少女だった。
年齢も同じくらいだろうか?
ただ、その瞳は年齢以上の落ち着きがあり、自信に満ち溢れているようにも見える。
そんな少女は、金色の長い髪に青い瞳を宿している。
その瞳には意志の強さを感じるも、あどけなさを残す少女の顔立ちは可愛らしくもある。
ただ白い胸元と合わさった真紅のワンピースの上に、黒いローブのような衣服を纏っていて、いかにも貴族様という風貌であった。
そんな彼女が突然目の前に現れて、告げた言葉がこれである。
腕を組み、得意気な表情を浮かべながら、こちらを見つめている。
俺は突然のことに動揺するも、それを顔に出さないように努めながら、聞き返すことにした。
「…どちら様でしょうか?」
頭のおかしい子か、貴族とは頭がおかしいものなのかと考えながら、失礼のないように返答する。
「ノース侯爵家の長女、マリオン・フロレンスよ」
そんな俺の心境を無視して、胸を張り堂々と自己紹介を始めるのである。
…貴族位の違いなんて習ってないぞ。
俺が困惑していると、
「あなたの名前は?どこの貴族の奴隷なのかしら?」
右手の奴隷紋を気にした様子で見つめて、尋ねてくる少女であった。
「アリスと申します。貴族様ではなく、錬金術師様の奴隷でして…」
「錬金術師?良いわ。お父様にお願いして、あなたを買うように交渉しましょう」
そう告げて小悪魔的な笑みを浮かべると、俺の手を取り、宿屋の中へと歩き始めるのだった。
その手のひらは柔らかく、少女特有の甘い香りが香水の匂いと混じり、鼻腔をくすぐる。
「あの私を買いたいとは、なぜでしょうか?」
だが、俺の足は止まる。
どう考えても、訳がわからないからだ。
「そうね…」
彼女の足も止まる。
そして、振り返ったその表情は、真剣そのものだった。
…告げられた言葉は、予想もしない言葉だった。
「私、可愛いものが好きなの」
満面の笑みを浮かべて、当たり前のように答える彼女。
…頭がおかしい子だ。
俺は彼女の手を振りほどくと、
「失礼します!」
大通りに向かって、一目散に逃げ出した。
初めて貴族を見た。
初めて貴族と話した。
あの感覚は、別世界の住人のようだ。
——私、可愛いものが好きなの
その端正な顔立ちを満面の笑みに変え、言い放った一言が頭を過る。
「…俺は、犬や猫じゃないぞ?」
大通りを走りながら、呟くのであった。
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