Bar「タイムトラベル」

たかしま りえ

第1話 切ない恋心 マンハッタン

「やめとけよ」

 忠司の言葉に斗真は頷くも納得はできなかった。

「そりゃあ、いい女だとは思うよ、俺も。年の割には可愛いし」

「そうだろう」

「でもさ、20歳も上じゃあな」

「あっちは46歳だから19歳だよ」

 斗真の荒げた口調にあきれるばかりの忠司だった。


 医者になったとはいえ、まだ半人前である。祖父の代からの開業医の家庭に育ち、今でも実家暮らしで何の苦労も知らないお坊ちゃまだと非難されても、反論することのできない斗真だった。何とか私立の医大を卒業し、これもギリギリ国家試験にパスした身としては、周囲が猛反対する相手との恋愛なんて無理だということぐらい、自分が一番よくわかっている。

 同棲している彼女の機嫌が遅く帰ると悪くなるからと、忠司は先に居酒屋から出て行った。斗真は独りハイボールのお代わりをしたが、一口だけ飲むと席を立った。どうしても賑やかな場に独りではいられなかった。

 少し歩くと『タイムトラベル』というバーの看板が目に入った。独りで知らないバーに入ったことのない斗真はしばらくドアの前に立ち竦んでいた。すると自分を待ち受けていたようにドアがスッと開いて斗真よりは10㎝近く背の低いバーテンダーの笑顔に迎えられ、自然と店の中に入っていた。


「最初の一杯はビールを飲んでいただくのがこの店のルールになっています」

「それなら、お願いします」

 出されたビールはクラフトビールでとてもフルーティーな味がした。少し頭に血が上っていた斗真にはちょうど良かった。

「46歳のカフェ経営者で8歳の女の子がいるシングルマザーに惚れてしまいました」

 斗真は聞かれた覚えもないのにそのバーテンダーに自分の今悩んでいることをベラベラと話し始めていた。


 斗真がそのカフェに通い始めたのは医師国家試験の勉強に煮詰まった時期のことだった。高校が一緒だった忠司は進学校に通っていたにもかかわらず、大学へは行かずに俳優の道を目指していた。忠司のアルバイト先がそのカフェで、経営者が19歳年上の春菜だった。そこはチェーン展開していない小さなカフェで雰囲気がとても心地よかった。凝り過ぎていないインテリア、素朴な店員たち、何よりコーヒーがとても美味しかった。

 斗真が仕事中の忠司に試験勉強の愚痴をこぼしている時だった、春菜がお手製のチーズケーキをサービスだと出してくれた。

「あっ、僕がこの世で一番大好きなチーズケーキ、何で知っているのですか?」

「あらそうなの。それなら良かったわ。どうぞ召し上がれ」

 その会話をきっかけに、春菜とは忠司のシフトが入っていない時でも話をするようになっていった。

「試験に合格したらお祝いしなくちゃね」

 春菜のその言葉が起爆剤となり、試験勉強に身が入るようになった。何度も何度も叱咤激励され、斗真はやっとの思いで医者になることができた。

 研修医として働くようになってからは、カフェに通うことがあまりできなくなっていた。それでも時々、春菜の笑顔が恋しくなり顔を出していた。とはいえ、恋愛対象として春菜を意識していたわけではなかった。小さな女の子の母親で、シングルで子育てしていることも知っていたし、いくら童顔で年より若く見られるとはいえ、19歳もの年の差は斗真にとっても重要事項だった。それが最近、女性として意識してしまう瞬間に出くわした。


 深夜に仕事が終わって真っすぐ家に帰る気分ではなく、そうかと言って飲んで帰る感じでもなかったので、もう閉店時間だとわかっていたのだか、自然と足が春菜のカフェに向いていた。案の定、カフェは閉店時間を過ぎ客は1人もいなかった。奥に明かりがついているのが見え、そこには春菜の姿があった。斗真は迷いもせず春菜の名を呼んでいた。

 店に招き入れられたのだが、いつもの春菜とは様子が違って見えた。

「このカフェも店仕舞いをしないといけないかもしれないの」

 いつもは明るく強気な彼女がかなり落ち込んでいた。

「パンケーキとかタピオカドリンクとかメニューに取り入れたら良いのだろうけれど、ちょっと抵抗があってね」

 春菜の言葉に何のアドバイスも出来ない自分が歯がゆい斗真だった。春菜は一回り小さくなったように見えた。弱り切った感じが何とも切なく、気が付いたら自分が守ってあげなければならないと斗真は使命感に浸っていた。


「まだ、付き合ってはいないわけだね」

 この店のバーテンダーである真治は言った。

「はい、そうです。でも、こんなに人を愛したのは初めてで・・・」

「愛ね」

「はい、愛です。純愛です」

「だったら、これ飲んで10年後の自分に会ってくれば」

 出されたグラスにはマンハッタンが注がれていた。斗真は一気に飲み干した。

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