第62話 帰り人よ
両手で銃を構えて、足音を殺しながら
自然と鼓動が速くなり、緊張しているのが自分でもわかった。呼吸も荒くなっていく。背中に流れる冷や汗が嫌に気持ち悪い。
「離れてろ」
そう言うと、暮さんは慎重にドアノブに手をかけた。ゆっくりと握りしめて、少しずつ少しずつ下げていく。
犯人に気づかれないように、音を立てないように、鍵がかかっていないことを確かめた。ここでもし施錠されていたら危なかった。
細心の注意を払って下げたドアノブを元に戻していく。
その顔には大粒の汗が浮かんでいた。暮さんも相当にプレッシャーを感じているのだろう。バレれば即終わりなのだから。
人の命に関わる現場に居合わせていることへの不安感なのか、それともこの張りつめた状況に神経が圧迫されているせいなのか。どちらにせよ日常的に起こるような状況ではない。
大きく静かに息を吐いて、自分を落ち着かせた暮さん。
「五秒後に突入する。おめぇは混乱に乗じて彼女だけを連れて去れ。タイミングは任せるぞ」
「は、はい!」
小声で呼びかけられたので、僕も小声で返す。小さな声さえも犯人に気づかれていないか、心配になってくる。大丈夫……だよな?
「五、四……」
カウントダウンに合わせて、僕も心の中で数えた。
あと三秒。
「三、二……」
この突入が成功するにしろ失敗するにしろ、運命が決まってしまう。
ミスは絶対に許されない。僕がやらなくてはならない。
ここまで来てもはや迷いはなかったが、代わりに芽生えたのは途方もない緊張感だった。彼女を救いたいという気持ちで無理やり誤魔化す。
この僕が他人と深く関係を持つことに、まだ躊躇はあるけれども。
それでも、僕は……。
「警察だッ!! その場から動くな!」
暮さんは大きな声を上げながら部屋の扉をこじ開けた。
部屋の鍵がかかっていなかったのが本当に不幸中の幸いだ。
「な、な……くそっ!」
犯人らしき声が奥から聞こえる。暮さんの突入に明らかに動揺しているのが分かる。開かれたドアの隙間からちらりと中の様子を窺うと、ロープか何かで縛られている女性が数人見えた。手を後ろで拘束され、口に猿ぐつわを噛まされていた。
服装から見て旅館の従業員が二人と……智恵だ。
智恵も開いたドアの方を見ていたようで、覗き込んでいた僕と一瞬目が合う。濡れた大きな瞳が丸く開かれる。わずかだが口元を緩めた、ように見えた。
……気づいてくれた、よな?
気づいてくれたのならそれでいい。変な言い方だが、彼女にも助け出される準備ができるというものだ。
あとはタイミングだけだ。このまま僕が突っ込んでいっても、犯人が武器を持っていて牽制されたらお終いだ。なんとかして暮さんが気を引いているうちに、助けなければ。
「うごくな、武器を捨てろ。手を挙げたまま膝をつけ」
かちゃりと、音を鳴らしながら銃を構えている暮さん。
「ま、ままままて! おまえこそおちつけよ、う、うつなよ」
「だったら早く……」
そこまで言った時だった。
犯人はにやりと笑うと、奇声を上げながら手元に隠し持っていた小型の爆弾らしきもののピンを外して放り投げた。
「へ、へへっ」
「なっ、しまっ――!」
激しいフラッシュ。
一瞬にして部屋の中は強い光に包まれる。
まさか閃光弾か……!
間一髪のところで、ドアの後ろに隠れた僕はぎゅっと目をつぶる。視界が闇に溶け、ぎりぎりのところでその閃光から身を守ることができた。
だけど、今なら! 犯人の視界にも入らない今なら!
このタイミングしかないと、そう確信した僕は部屋の中に飛び込んだ。散らかっている部屋で足がもつれないように、一歩ずつ踏みしめて進んで行く。
誰かがうめくような声。
誰かが窓を開けた音。
悲鳴と罵声が交互に飛び交った。
目をつぶりながらも智恵を助けたいという一心で手を伸ばす。手前側に座っていたのが智恵のはずだ。ドアから一番近くにいた彼女の腕をつかむ。
手でつかんだ感覚だけで智恵だとはっきり断言できる力なんてないけれども、それでも僕が助け出したのは智恵だ。きっと。まちがいない。
引っ張った腕を僕の胸に抱え込む勢いで、そのまま外へと飛び出した。調子の悪いことに、部屋から出るときの段差で彼女と共に倒れこんでしまった。
やがて強い光はどこかへ霧散していった。
その隣には……確かに智恵がいた。
手を後ろで縛られているせいで身動きはできないようだけど、それでも命に別状はなさそうだった。
「いって……」
「んん……」
廊下に出るときに飛び出したせいか、そのときに体を打った痛みが残っていた。
「うぅ……ん」
その衝撃で猿ぐつわがずれたようだった。
智恵がうめく。
僕と同じく体を打ってしまったのだろうか。それとも、犯人に何かされたのか!?
「と、智恵だいじょうぶ? どこか……」
焦って彼女を縛っているロープをほどきながら、智恵の体に異変がないかを確かめようとした時だった。
「ゆ……ん」
「え、なに!?」
智恵が何かを言っているようだが、うまく聞き取れない。倒れたままの姿勢だから、余計に口が遠くなっていた。
「ゆうま……くん。どうして、来てくれたんですか? 待ってて、言ったのに……」
「それは……でも、智恵が心配で!」
今更だけど、思い出した。
僕がこの旅館に戻る前に、智恵が忘れ物を取りに行くと言った時に彼女が言った言葉を。
待ってて。
確かにそういわれたんだ。
僕がロープをほどき終えると、智恵は体を起こした。
「でも……ありがとう、ございます」
涙で顔をむちゃくちゃにしながら智恵は抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと!?」
「うわー! ううぅ……ひっく、あぁー!!」
僕にしがみつくようにして泣き始める。
恐怖から解放されたことに安心したからだろうか、僕の服をぎゅっと握りしめて放そうとしない。まるで赤子のようだった。
「えっと……」
こういう時なんて言えばいいのだろうか。何をしてあげればいいのだろうか。
やっぱり僕にはわからない。
結局泣き止むまで智恵の傍にいてあげることしか思いつかなかった。
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