第56話 規格外の饅頭

「そろそろ智恵ともえも戻ってきているかな……」


 鬼頭きとうさんと別れてから甘味処で少し時間をつぶしていた僕は、携帯で時間を確認する。店員を呼んでもう一杯ココアを注文し、ちびちびと飲んでいた。

 入口の方を確認したとき、のれんから顔が出ているのに気付いた。

 ぴょこんと顔が出て、目が合う。


「あ、お話は終わりましたか?」

「あ、うん。待たせちゃってごめん」

「何のお話だったんですか? とても気になるんですが……」

「えっと、それは……。言えないんだ、ごめん」


 これは鬼頭さんとの約束だ。

 智恵だから言えないのではなく、おいそれと口に出すべきではない内容だからだ。

 僕の用事で待たせた上に、秘密にされるのは気分を悪くしてしまうだろうか。そう思ったが、「それなら仕方ないです」と智恵はあっさり引き下がった。

 てっきりしつこく聞かれると思っていたが、まあいい。

 会計を済ませて店を出る。いい具合に太陽が傾いていた。


「それより聞いてください雄馬ゆうまくん! ここの温泉街で限定の食べ物をいただくことができたんですよ!!」


 興奮した口調でなにかが包まれた紙袋を僕に渡してくる。なんだろうか、見る限りはただの饅頭まんじゅうのような……。


「温泉街の一通りのお店を回りましたが、これが一番おいしかったのです。さあ、雄馬くんも一緒に食べましょう!」


 紙袋から二つの饅頭を取り出すと、その片方を智恵は僕に手渡した。本当に見た目は普通なんだけど、あの智恵が言うんだからなにかがあるに違いない。例えば味がごく一般的なものとはかけ離れているとか。


「早く食べてみてください。絶対においしいですから!」


 嬉しそうに催促してくる。絶対に、と来たか……。

 ここまで太鼓判を押されると、食べるしかないよなぁ。僕も少し期待半分不安半分といった状態だが、まあこれも思い出の一つということで。

 嫌な予感がしつつも、勇気を出して一口食べてみる。すると瞬間で口いっぱいに甘みが広がった。それも尋常じゃないくらいの甘みだった。


「甘っ!! なにこれ甘すぎない!? けほっ、めちゃくちゃ甘いんだけど……」


 さっきのココアで口の中が甘味だらけだというのに、それを上回る勢いだった。

 いったい何を入れたらこんなに甘くなるというのか。角砂糖をかじってもこんなに甘みは満たされないだろうに……。

 そんな僕の反応が受け入れなかったのか、


「おいしくなかったですか!? 私はこれとても気に入ったんですけど……」


 智恵は残念そうな顔をしながらもぱくぱくと例の饅頭を食べていく。あっという間に完食してしまった。


「ねえ、これはいったい何が入っているの? とても普通の饅頭とは思えないんだけど」

「グラブジャムンを真似たそうです」

「グラム……?」

「インドにある世界一甘いお菓子ですよ。一応レシピも教えてもらったんです!」


 ふふん、と得意げに笑いながら小さなバッグから折り畳まれた紙を取り出す。


「牛乳、レモン汁、グラニュー糖、シロップなど入れてるみたいです」

「へぇ……」

 

 言われたところで、僕には想像は出来なかった。普段料理はしても、お菓子を作ったことはないからだ。 

 すると智恵は説明したきりじっと黙ったまま、僕の持っている饅頭を見つめる。……まさか僕の饅頭を食べたいなんて言うんじゃないだろうな。いや、まあこれ以上は僕は食べれないから食べてもらえると助かるんだけど……。さすがに僕が口をつけたものには……。

 試しに手にした饅頭を上下左右に揺さぶってみると、智恵の目はしっかりと饅頭にロックオンされていたようで寸分たがわず見つめてくる。なんか犬みたいだな……。

 投げたら取ってくる、みたいな。

 さすがに投げないけど。


「えっと、智恵、さん?」

「っは! な、なんですか雄馬くん。どうしましたか?」

「いや、あの、食べたいならあげようかな、って」


 そう言って饅頭を差し出す。だが、智恵はぶんぶんと首を横に振って否定の意を示した。だというのに、視線はそのままくぎ付けだった。


「いえいえ! これは雄馬くんに買ってきたものですから、私が食べるわけにはいかないです」


 ダメなんです、と顔を横にそむけても視線だけは変わらない。


「いや、僕は饅頭が苦手だから……智恵に食べてもらえると嬉しいかなって」


 饅頭が苦手ってなんだか落語みたいな言い訳だな。それだと大量に渡されてしまうじゃないか。まあこの場合、苦手なのはだけなんだけど。

 すっと饅頭を彼女の方に差し出していると、


「そ、それなら、仕方ないですね……。私が代わりに食べてあげます! こ、これは雄馬くんのためですからね!」

「そ、そう」

「代わりに何かお渡ししますね」

「いや、別に……」

「いや、あとでお渡しします! プレゼントです!」

「な、なんのプレゼント……」

「そ、それは……! で、ですからきちんと覚えておいてくださいね!」


 なぜか僕にプレゼントをすると言って聞かなかった。言っている時点で、果たしてそれがプレゼントになるのかという疑問はさておき、楽しみにしておこう。

 饅頭を手渡すと、嬉しそうに頬張り始めた。そこまで美味しかったのなら、もう少し自分の分をたくさん買ってこればよかったのに。

 それにしても本当においしそうに食べるよなぁ。見てるだけなら僕も食べたくなってくるんだけど、実際はめちゃくちゃな味だって知ってしまっただけに恐ろしい。

 完食するのを待ちつつ、この後の予定を考える。ここまで来る途中でおすすめの場所を案内するという建前で来たわけだが、実質甘味処に寄れた時点で目的は達成しているんじゃないかと思う。

 みんなと落ち合う時間まではまだ時間もある。

 鬼頭さんとの時間の分だけデートの時間は減ったわけだから、どうにか埋め合わせもしたい。

 

「ん、あれ? 雄馬くんに渡す――。どこかに置いてきて――――、でもそれなら――――。まさか……」


 ん? よく聞こえないけど、なにか智恵がつぶやいているような……。鞄の中を探っている様子を見ると、何かを探しているのだろうか。


「どうしたの? なにか探してるんだったら手伝うけど……」

「ひゃっ、雄馬くん!? な、なんでもない……あ、いや、忘れ物をしたので取りに戻ろうかと」

「忘れ物? どっかのお店で?」


 智恵が回った店を一軒一軒探すとなると相当大変だぞ。店側も把握していてくれればそこまで大変じゃないだろうけど……。


「いえ、おそらく旅館の方かなって……。バスですぐ行ってくるので、雄馬くんはここで待っていてください!」

「じゃあ、僕も行く、……って聞こえてないか」


 僕の言葉を待たずに智恵は走っていく。

 どこか焦った感じがした。肩にかけたバッグを落ちないように抑えながら、バス停まで駆けていくのが遠目に見えた。

 そんなに大切なものだったのだろうか。ん? というか、旅館に置き忘れるってどういうことだ? 初めから持ち歩いていなかったってことだよな……。

 まあ慧悟たちと待ち合わせるまでには戻ってくるだろう。

 僕は近くにあったベンチに腰掛けてじっくり待つことにした。


「それにしても、なんだったかな。何かを忘れているような……」


 なにか大切なことを……。

 絶対に忘れてはいけないことを……。

 温泉街に来る前に言っていたことを……。

 考えろ、なにか、なにか関係のある……。智恵、旅館、一人で……。


「そうだ‼ 旅館のことを義眼で見たんだった!」


 なんでこんな肝心なことを忘れていたんだ。何をやっているんだ僕は。みんなを旅館に行かせないために、そもそもこの温泉街に来たんじゃないか。

 どうすればいい! 今から追いかけて間に合うか?

 いや、考えたところでわからない。

 僕は荷物を片手で担ぐと、そのまま全力でバス停へと向かった。

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