第26話 僕の嫌いな僕という人間
結局
家の前で僕は足を止めた。それにつられて、隣でも足音がやむ。
両親が僕に残した一軒家。一人で暮らすには広い、広すぎる家。それを智恵は見上げるようにして、どこか目を見開いているように見えた。
僕だけが生活しているといっても、所詮はまだ高校生の身だ。学業で精一杯なのに、家事や雑務やら税納のことやらでしなくちゃならないことはたくさんある。だから実際には叔母さんが一週間に二、三回やって来ては家事を手伝ってくれている。あとは難しい書類のことはまかっせきりだ。いつかはと思ってはいるものの、なかなかそちらのほうにまで手が回らない。
もちろん、義眼のこともあるのだけど……。本当に頭が上がらない。
それだけの苦労をして、それでも僕はこの家に残ることを決めた。父さんと母さんが残してくれたものだから。
叔母さんも住み慣れた家を離れるのは辛いだろうと、この思い出が残る家に一人で暮らすことを許してくれた。
「悪いけど、帰ってくれないかな」
僕としてはことを荒立てるつもりはないのに、少し棘があるような言葉遣いだと口にしてからそう感じた。
「嫌です。ちょっとでもいいのでお話しましょう!」
「いや、僕はこれからやることがあるから……」
「ちょっとだけですよ? ご両親が出かけているとかですか? でしたら、ご両親が帰ってくるまででもいいので――」
「っ!! ……………両親はもう、還って来ないよ」
一瞬言うべきか迷った。それでも僕は口にしてしまった。
高校生になってまだ、誰にも言っていないことを言ってしまった。
だがその反面、彼女が少しでも同情してくれることでこれ以上踏み込んでこなくなるかと思ってしまった。
そして、後悔する。
自分が何を言ったのかを理解する。
――そうだ、僕は大好きな両親の死を利用したのだ。智恵との接触を遮るために。
ああ、僕はなんてことを………。
また自分を嫌いになってしまう。自己嫌悪だけが僕の心を支配していく。黒くて大きい塊が僕の心をえぐるようにして、体に蓋をしていく。表面は棘で覆われていて、触れば僕の体から血が出てしまいそうだった。
こんなことをしてしまう自分が、僕はひどく嫌いだ。
自分を守るためにやった結果が僕の心を傷つける。
智恵はどう思っただろうか。戸惑うだろうか。同情してくれるだろうか。これ以上踏み込んで、来なくなるだろうか……。
反応を伺うようにゆっくりと顔をあげると、智恵は。
智恵は、泣いていた。
予想外の反応に逆に僕が戸惑ってしまう。同情してくれるとしても、泣くまでとは思わなかった。どうして彼女が泣くんだ? わからない。
「………う、ごめんなさい
これでもかというくらいに頭を下げて謝ってくる。下げた顔から涙がこぼれているのがわかる。濡れた地面をさらにふやかしていく。
「いや別に、気にしてないからさ、その、顔をあげてよ………」
僕が何度か顔をあげるように言うと、彼女はやっと姿勢をもとに戻した。
「学校でなら、……部活でなら、話せるからさ」
彼女を慰めるためとはいえ、自分らしくないことを言う。今喋っている僕は、いったい誰なんだろうか。そんなことを頭で考えていた。
「そうですね。わたしも楽しみにしてます」
目元は濡れているが、それでも笑顔はきれいなままだった。先程まではあった元気さもどこか失われてしまい、簡素な応答が残る。
「では……私は、帰りますね」
僕の返事も待たずに、智恵は一礼してくるりと背を向けると、来た道を戻るように歩き出した。
何だかよくわからない感情が胸に残っているのをどうしていいかわからず、結局僕は彼女の後ろ姿が見えなくなるまで玄関の前に立ち尽くした。
雨雲はもうどこかへ消えていた。
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