第18話 僕と一つの申請書

 僕が探求部に入ることを決めた次の日。

 慧悟けいごは僕に一枚の紙を手渡してきた。いわゆる部活の申請書というやつだ。自分の名前、クラス、部活動の名前、そして志望動機。それらの欄が細かく四角で分けられた紙だ。そしてもう一枚なんだかよくわからない紙がついてきた。

 ちなみに一度僕はこの申請書には目を通している。四月の最初に全員に配られているからだ。それでも僕はこの紙に名前を書くことはなかった。もともと部活動など入るつもりがなかったからだ。入ったところでその団体の中で、自分の存在が浮いてしまうのはわかっていた。それが怖くて、握りつぶした紙はゴミ箱に捨ててしまった。

 さて、普通ならば四月に提出しているのが当然の紙なのだが、僕がこの用紙と対面した今日は既に一か月が経過している。 

 別に四月に必ず提出しなければならないという規則はなく、いつ入部しても良いらしいが、その代わりにこうした手続きみたいなものがあるらしい。住所だとか家族構成だとか、そんなことを書く必要が本当にあるのか?

 運動部で大会等に出場するのならばまだわかるのだが、探求部はどう見ても文化部だろうに。

 そんな不満に似たもやもやしたもののを抱えながら、僕は既に誰もいなくなった教室で一人、この用紙とにらみあっていた。

 朝に慧悟から渡されたというのに、放課後になった今も書けずにいる。

 本当に僕が部活に参加してもいいのだろうか。うまく他人と関係を築けるだろうか。そんな不安が心のどこかにある。

 クラスメイトともまともに会話できない人間が課外活動に参加できるというのだろうか。

 結果としてマイナス思考だけが頭の中を巡り、先程から何度もシャーペンを握ったり離したりしている。


「うーん、どうすればいいんだ……」


 ため息とともにそんな独り言が漏れ出た。

 やっぱり慧悟には悪いが、この話はなかったことにしてもらおうか。

 そもそも今回の件は僕の義眼に一端があったのだ。それがなくなった今、慧悟や才条さいじょうさんとこれ以上の関係性を持っていいのだろうか。

 再び『赤の世界樹』が発動した時だけ、慧悟に相談することにしよう。

 自分の中でそう結論付けると、握っていたシャーペンをペンケースへと戻そうとした。


「ん、まだいたのか。早く帰れよ」


 誰かがガラッと教室のドアを開けて入ってきた。ってなんだ、担任の藤崎ふじさき先生か。わすれものわすれもの~と口ずさみながら、教卓の中にあるプリントらしきものを探していた。

 すぐに目当てのものを見つけた先生はすぐにドアの方へと戻ろうとしていたのだが、急に立ち止まって天井を見上げたかと思うと、ふと思い出したかのように口を開いた。


「あー櫟井いちい、お前確か部活の申請書持っていったよな?」

「え、ああそうですが……」


 正確には僕が、じゃなくて慧悟がなんだけど。まぁそんなことはいちいち言わなくていいか。


「ちゃんと書いたら俺んとこ持ってこいよ」


 藤崎先生はニヤリと笑って僕の顔を見た。


「いや、あの、やっぱりやめようかと……」

「いいか? 誰かとの関係性を保っておくのは難しいかもしれないが、それは大切なことだぞ。一歩でいいから踏み出してみろよ」


 僕の声とかぶさって喋ったせいか、先生の耳には僕の言葉は届かなかったようだ。

 そして教えを諭したと言わんばかりに一人でうんうんと頷いて、満足げな笑みを浮かべると教室から出ていった。

 ……。

 やっぱり出さないといけないのかなぁ……。

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