第18話
「ギャァアアアア!!」
軟玉さんが絶叫する。例の赤い液体は体の大きさに比例するのだろう、シオン君の破裂は今まで見たものの中で最も小さく、出来上がった液溜まりもごく小さいものだった。
「ふー……」
JCはひと仕事を終えたとでも言いたげに息を吐いた。ゆっくりと僕に向き直り、華やかな笑みを作ってみせる。
「ふふ♡」
口元に散った赤い体液が綺麗な花弁に見えてしまうほど可憐な微笑みに数瞬気を取られた隙に距離を詰められた。白魚のような指がそっと両頬に添えられ、唇をなぞられる。
またキスされる。あの暴力的なまでの快楽を注ぎ込まれる。
彼女の唇が近づく。怖い。だが、拒めない。いけない、駄目だと頭で分かってるつもりで、体は待ち望んでいる。
妹を拒めなかったあの日から、僕は何一つ変われていない。そうして再び、同じ過ちを犯すことになるのだと絶望に耽り──
「グッ」
そうはならなかった。
唇が触れ合う瞬間、JCの頭が仰け反る。白い喉元が晒され、食い込むのは電気のコード。
方解さんがJCの首を、背負うようにして締めている。全身を調理場用の防護服に包んでいるのではっきりとは分からないが、大柄な背中には見覚えがある。
「ゲェ」
JCは苦悶の声を漏らし、白目を剥きながら喉を掻き毟る。人間が締め殺されるのと同じ苦しみ方だ。それでも方解さんは躊躇なく締め上げ続ける。
「ゲ……」
嗄れた声を最後にJCは力尽きた。
だらりと腕の力が抜けて頭が重そうに垂れ下がる。抵抗がなくなったのを認めると、方解さんはコードから手を離した。死体となったJCは力無く床に落ちる。
助かった。五歳児が破裂し、その赤い液溜まりの上に美少女が横たわる惨憺たる光景ではあるが、僕の命は助かった。失ったものに対し救えたものはあまりに少ないけれど、とにかくお礼を言わなければと方解さんに頭を下げる。
「ありがとうございます。助かり──」
そこまで言いかけて、声帯が凍りつく。
方解さんの目。化け物を見る目で僕を見下ろしている。そこでようやく、自分の置かれた状況に気がついた。
体の前面をべったりと濡らす赤い体液。触れられた時に付着したのだろう、口元にも赤色が残っている。粘膜接触はしていないにしても、何一つ変化がないのは奇異に映る。
なにより僕は、JCから直々に指名された。一番近くにいた虎目君でも、スタイルの良い天河君でも、美形で好青年な杉石君でもなく、見るからに取り柄のない僕を選んだ。
偶然の被害者とは思えない。
「おまえは、なんなんだ」
猜疑心に満ちた抑揚のない口調。周囲の視線が一層冷たく突き刺さり、無言の圧力に心臓が押し潰される。方解さんが半歩、にじり寄ってくる。間近で見る彼の体は大きく分厚い。その太い指で殴られたら、死んでしまうかもしれない。
真珠君に襲撃された時とは違う、凍てつく敵意。誰かが武器を手にするような音まで聞こえて、ますます体が硬くなる。
「走れ!!」
杉石君。はっと意識を取り戻して振り返る。
拘束を引き剥がした彼が猛然と駆けてくる。黒皮のグローブがはめられた手が差し伸べられ、反射的に握り返す。
「捕まえろっ!」
方解さんの号令で四方から男達が殺到するが、杉石君の足の方が速い。彼に導かれるまま男達の腕の合間をすり抜け、僕等は一塊になって逃げ出した。
「はひっ、はひっ」
後ろから激しい足音が迫ってくる。息は上がり、腿はがくがく震えているが、止まるわけにはいかない。
「あそこで撒くぞ!」
杉石君が背の高い陳列棚群を指差す。返事をする暇はない。二列目の棚に差し掛かったところで鋭角に曲がり、じぐざぐに走り抜ける。曲がり際の視界の端には、追いかけてくる男の集団が残っていた。
距離は離せたが振り切れていない。躓きそうになりながら走り続けるうち、正面にエスカレーターが現れる。
「跳ぶぞ!」
「えっ」
抱え上げられた。
杉石君は全速力で下りのエスカレーターに突撃する。
「舌噛むなよ!」
杉石君は僕を抱えたまま、一足跳びでエスカレーターを降った。三段跳びの如く迷いのない勢いで降り、中腹に差し掛かったところで一際高く跳び上がる。
「わ」
睾丸が縮み上がりそうな浮遊感。日常生活では見ることのない高い視線は、景色を遅れさせて見える。徐々に近づく下の階。杉石君の腕にぎゅっと力が入る。
どん、と骨の奥を揺らす衝撃と共に着地した。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫だ、早く行こう」
人間一人を抱えて大ジャンプという離れ業を披露したにも関わらず、杉石君は眉一つ動かさない。僕を丁寧に床に下ろすと、手を握り直して再び走り出す。
大胆なショートカットは功を奏した。走るので精一杯で振り返ることはできないが、追いかけてくる足音は聞こえない。
「一旦隠れよう」
杉石君に引かれて洋服店に入り、カウンターを飛び越えて裏の物置に駆け込む。所狭しと衣類が積まれた狭い空間に逃げ場はないが、外からは見えない。
ようやく足を休められる。そう安堵した途端、膝から力が抜けた。床にぶつかる寸前で手をつくが汗に塗れた手のひらでは体重を支えきれず、結局は滑るようにして横倒れになってしまう。
「ご、ごめん」
情けない。杉石君の方が僕なんかよりずっと疲れているはずなのに。
急いで起き上がろうとしてまた転ぶのを繰り返していると、杉石君は膝を下ろして僕の肩を抑える。
「俺があいつらを引きつける。瑪瑙くんはその隙に駐車場まで逃げろ」
「だ、駄目だよ! あの人達は僕を追ってる。僕が囮に」
「頼むから」
色素の薄い褐色の瞳。彼に真っ直ぐ見つめられると、何も言えなくなる。
「すぐに追いつく。ちょっとだけ待っててくれ」
杉石君は柔らかく微笑んで、物置の外に駆けていく。僕を何度も助けてくれた優しい背中が遠ざかる様を、引き留めることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます