第17話

「マジでゴメン」

 怒鳴り込んできた女性、軟玉なんぎょくいちごさんは、穏やかな避難者グループの中で唯一といっていいトラブルメーカーだ。五歳の息子、シオン君がいることを理由に仕事には一切貢献せず、それどころか自分を優遇しろと勝手な権利ばかりを主張しているらしい。

 そんな厄介者の息子の行方が分からなくなった。

 軟玉さんを知る人達は面倒に巻き込まれる前にいち早く避難したのだが、天河君達は気絶した僕のせいでバックヤードを離れることができなかった。見張り役の虎目君が出入口で留めようとしたものの軟玉さんの勢いは抑えられず、結果として部外者の僕と杉石君までシオン君探しに駆り出されることになってしまった。

「くそ、なんで俺達まで……」

「マジでゴメンって」

「でも二人とも、食料足りなくなったらまた来るだろ? あのおばさん、執念深いからな。形だけでも手伝っておかないと顔見るたびに発狂するぜ」

 今後もお世話になるなら軟玉さんとの接触は避けられない。杉石君は険しい表情で舌打ちする。

「……まあいい。ただし、危なくなったら俺と瑪瑙君は先に行くからな」

「命が掛かってるからな。それは止めないよ。まあ、危ないことなんてないと思うけどな」

「攫われたって喚いてたが違うのか?」

「ああ。いなくなるのはこれで三回目だ。またおもちゃ売り場で一人遊びでもしてるんじゃないか」

「そうに決まってんよ。マジでメイワク。つーかさ、あのババア昨日、宝石盗もうとしてたよな。方解さんが止めてたけど」

「捕まらなけりゃ何してもいいと思ってんだろ。ああなったらおしまいだよ」

 そこから天河君と虎目君の陰口は止まらなかった。軟玉さん親子に抱える不満は相当なものだったのだろう。彼等は互いに夢中になって悪態を吐きながら、二人で先に進んでいく。

 置いていかれないよう歩速を早めようとした矢先、杉石君が僕の腰に腕を回す。

「……隙があったらすぐ逃げる。準備を忘れないで」

 彼の耳打ちに小さく頷き、アウトドア用リュックサックの感触を確かめる。方解さんの了承を得て譲ってもらった品だ。中には缶詰やレトルト食品が詰まっていて、当面の食料には困らない。

 それに、杉石君がバイクを見つけてきてくれたおかげで行動範囲が広がった。革製のグローブと丈夫なブーツも見つけられたし、遠出の準備も万全だ。当初の予定とは大分違うが、遠征の成果は充分に得られたといっていい。後は波風を立てずにこの場を離脱するだけだ。

 そういう油断。気の緩み。

「あ。あれじゃね? ……なんか隣に知らない女いるな」

 虎目君が前方を指差す。小学校一年生くらいの男の子と、白いワンピースを来た茶髪の少女が手を繋いで歩いている。

「とりあえず呼んでみるか。おーい!」

 天河君が呼び掛けると、少女は足を止めた。緩慢な動作で振り返る。

「ひっ」

 JCだ。道中、僕と杉石君を襲った、頭のいい茶髪の個体。

「ふふ♡」

 視線がかち合う。恐怖と驚きに固まる僕をじっとりと見定めた彼女は、遠目でも分かるくらいとびきりいやらしい笑みを浮かべた。




「うおっ。めっちゃカワイイ」

「待て!」

 JCに向かってふらふらと歩き出す虎目君を、天河君が慌てて止める。

「あんな娘、ウチのグループにいない」

「関係ねーだろ」

「あるに決まってんだろ! とにかく、方解さん呼ぶから動くな」

 天河君はまだ確証を持てていないみたいだ。服を着るJCなんて聞いたことがないから当然だ。襲われた僕でさえ、普通の少女と見間違った。

「……ふーん」

 警戒して一定の距離を保つ天河君達を見回すと、JCはつまらなそうに息を吐き、少しだけシオン君を引き寄せる。人質のつもりか。ほんの弾みで体液がかかる近さにいるので迂闊に手出しできない。

「あいつらを盾にして逃げよう」

 杉石君が小声で酷薄な判断を下す。彼の言うとおり、茶髪のJCは他人を庇って逃げられるほど安い相手じゃない。だが、なけなしの道徳心が見捨てるという選択を迷わせる。

 いや、迷うな。なにがあっても杉石君に従うと決意したばかりじゃないか。

 邪魔な罪悪感は心の奥にしまい、杉石君に頷き返す。危なくなったらすぐに逃げる。最初の取り決め通りだ。息を殺してゆっくりと後ずさる。

「イヤアアアアア!!」

 直後、喧しい女の悲鳴が響き渡った。

「シオンがっ! アタシのシオンがあっ!!」

 最悪のタイミングで軟玉さんが追いついた。普段から怠けているせいで体力が余っているのか、張りのある声量で何事かを捲し立てている。

 しかし、動かない。行方不明の息子をようやく見つけたというのに、近寄る素振りがない。JCの異質さを本能で感じているのか、その場に留まり喚くだけだ。

「学生くんたち、いるかー!?」

「こっちッス!!」

 軟玉さんに気を取られているうちに、天河君の要請を聞いて駆けつけたであろう二人の成人男性が合流する。

「あれ、シオンくんの隣にいる女の子がJCですかね。でも、服着てますし」

「とりあえず見張りましょう。見失ったら大変ですよ」

 彼等は軟玉さんの隣に並び立ち、退路はますます狭くなる。気づかれぬうちに逃げるのはもう無理だ。杉石君は歯噛みして、拳を固く握りこむ。

 誰も彼もが動けない。軟玉さんの叫び声が響く中、膠着状態が続く。

 そんな均衡を崩すよう、JCがゆっくりと指を上げた。

「こーかん♡」

 喋った。いや、それよりも。

 何て言った?

「交換……?」

 僕とシオン君を?

「くそっ!」

 いち早く意識を取り戻した杉石君に腕を掴まれる。強引に突破するつもりだ。彼に引かれるまま、軟玉さんと応援二人の包囲網に向かって走る。

「待てや!!」

 しかし、阻まれた。喚くだけだった軟玉さんは機敏な動きで立ち塞がり、僕だけを正確に突き飛ばす。踏み留まることはできず、無様に尻餅をつく。

「瑪瑙くん!」

 杉石君が振り返る。その隙を狙って、応援の男二人が左右から彼を取り押さえる。

「離せ!!」

「クソガキ! シオンを見殺しにする気かあ!!」

 杉石君は激しく身を捩るが、振り解けない。完全に取り押さえられた彼を軟玉さんが罵倒する。

 助けを求めて天河君と虎目君に視線を送るが、自分達を見捨てて逃げようとした者に情けがかけられるはずがない。へたり込む僕に注がれるのは、怒りと憐れみが綯い交ぜになった視線。自分じゃなくてよかったと、心の底から安堵する視線。

 もう、逃げられない。

「駄目だ! 行くな!」

 覚悟を決めて立ち上がる。真っ直ぐに姿勢を正し、正面のJCを見据える。

「やめろ、やめてくれ! これ以上自分を傷つけないでくれ!!」

 悲痛な叫びを背中に受けながら、JCに向かって歩みを進める。近づくにつれ、彼女の輪郭がはっきりしてくる。

 無意識に思い出さないようにしていたのだろう、今まで考えもつかななかったが、その綺麗で愛らしい顔はたしかに妹の面影があった。牡丹が今も生きていたら、こんな風に育っていたのかもしれない。

 JCまで、後五歩の距離で立ち止まる。

「その子を、放してくれ」

「ふふふ♡」

 JCが手招きする。もう二歩前に出ると、彼女はシオン君の手を放した。ひとまずの目的は達せられた。

 しかし、シオン君はJCから離れようとしない。それどころか、折角離れた手をもう一度繋ぎ直す。

「こいつ、おれのだから」

 彼は得意げな顔で、僕を挑発するように吐き捨てた。

 綺麗な女の子を独占しようとする男児にありがちな所有欲か。手を繋いだだけの相手に抱くには過剰であるし、発露するには時と場合が明らかに間違っている。

「は?」

 JCは心底不愉快そうな顔になり、繋がれた手を強引に引き剥がす。裏切られた表情で固まるシオン君を無造作に蹴り倒し、冷えた瞳で彼を見下ろす。

「プッ」

 シオン君の顔面目掛けて唾を吐く。細かな飛沫は彼の瞳に着地する。

「アギィッ」

 飛沫感染。粘膜接触。錆びた金属を擦り合わせたような断末魔を上げて、シオン君は爆散した。未来ある尊い命の終わり際にしては、あまりに呆気ない最期だった。

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