第10話
保存の効きそうな食料や飲み物を袋に詰め、手持ちのお金をレジカウンターの下に置き、僕達はコンビニを後にした。
昼下がりの往来は、人間を破裂させる正体不明の美少女が闊歩しているとは思えない静けさである。真っ赤な液体がぶちまけられた後が所々に現れるので被害は間違いなく拡大しているのだが、校内よりも間隔は長い。
人が少ないのが功を奏したか、それとも、美少女と化す確率は五分よりも低いのか。はっきりしたことは分からないが、道中は比較的安全そうだ。
金剛さんの家まで約十キロ。二時間も歩き続ければ、辿り着くはず。
「うー!」
「あう……」
しかし、言葉の通じない少女二人を連れて歩くとなると、想定通りにはいかない。
少女達は僕を挟むように体を密着させるので身動きが取り辛く、歩幅も小さい。コンビニを出て一時間弱が経過したが、道程の三分の一しか進めていなかった。
「……チッ」
背後から玻璃さんの舌打ちが聞こえる。先頭を歩く僕のことは、美少女を侍らせ悦ぶ軽薄な男としか映らないだろう。行軍の遅れは、少女達を切り捨てられない僕の優柔不断が呼び込んだ結果であるし、申し開きの余地はない。
時間をかければ、閑静な住宅街は帰宅してきた人々で溢れ返り、混沌の坩堝と化す。いい加減、別れる覚悟を決めるべきだ。
「あ」
「うん? どうしたの?」
意を決したばかりだというのに、少女につられて足を止めてしまう。前を見詰めて固まる彼女に、膝を曲げて視線の高さを合わせる。
「ちゅ」
頬にキスをされた。少女はしてやったりといった表情で笑い、感化されたもう一人の少女が誘うように腕を引く。
「メノウくん!」
怒り声に反射的に振り返ると、玻璃さんが酷く苛立った顔で手招きしていた。
「ご、ごめん。ちょっと行ってくるから待ってて」
絡んだ指を解き、正面から目を合わせる。少女達は不安そうに瞳を潤ませるが意図は汲んでくれたようで、互いにひしと手を握り合い、その場に留まった。言うことを聞いてくれているうちに、玻璃さん達に駆け寄る。
「貴方、状況分かってる?」
「ご、ごめんなさい。シャッちゃんが急に」
「シャッちゃん?」
焦りで溢した失言を金剛さんに拾われてしまう。
シャッちゃんにコンちゃん。
僕が内心で付けた少女達の呼び名だ。ワイシャツを着せたからシャッちゃん、コンビニの制服を着せたからコンちゃん、という安直な理由である。直に別れるのだから愛称なぞ付けるべきではないと分かってはいたのだが、体を寄せられるうちに完全に絆されてしまった。
甘いを通り越して間抜けな僕に、杉石君が疲れ切った溜め息を吐く。
「金剛の家までは連れて行けないって、分かってるよな?」
「……うん」
「ここら辺が限界だ。一気に走ってサッサと撒こう」
杉石君の言葉に、玻璃さんと金剛さんが頷く。
少女達の足は遅い。杉石君の言う通り、走れば簡単に振り切れるだろう。危険の少ない今こそ、実行に移すべきだ。
頭では分かっている。けれど、首が動かない。少女達から与えられた柔らかな温みが、僕の理性を惑わせる。
二人の愛慕は見せかけだ。死にかけた状況から救い出してもらったうえ、仲間のように扱ってくれた杉石君の本物の優しさとは、比べるべくもない。シャッちゃんとコンちゃんを優先するのは裏切りでしかなく、恩知らずの恥ずべき行いだ。
それでも想像してしまう。少女達と過ごす、仮初めの日常を。
「瑪瑙くん。あいつらは化け物だ。意思なんかない」
「うん。……で、でも、お別れだけは言わせてもらえないかな」
「はあ?! 一刻を争う状況なのよ! この期に及んで──」
僕の腑抜けた言葉に、玻璃さんが声を荒くして叫ぶ。
彼女の怒りはもっともだ。別れを告げたいなどというのは、僕の罪悪感を紛らわすだけの無駄な行いでしかない。
「これで最後だ。用が済んだと思ったら、俺達はすぐに走り出す。君も後を追ってくれ」
しかし、杉石君はどこまでも僕の意見を尊重してくれる。特別扱いに我慢の限界を迎えたらしい玻璃さんが掴みかからんばかりに杉石君に詰め寄るが、彼は争いの場から逃すように僕の背中を押してくれた。
促されるままに振り向いた先では、二人の美少女が手を振っている。
吸い寄せられるように足が動く。誰かに待っていて貰えるという自己肯定感が歩みの速度を上げ、あっという間に二人の元に辿り着く。
「あうっ」
コンちゃんが両手を広げた。シャッちゃんの助言だろうか、控えめな彼女にしては積極的な主張だ。目的は半ば忘れかけ、抱擁に応えようと一歩を踏み出したところで──
曲がり角から男が現れた。
僕と同じ制服に身を包み、ゴミ袋で作った簡易な合羽を羽織っている。
マスクにゴーグル、ゴム手袋に長靴と完全防備の格好をした男は、手にした金属バットをコンちゃんの頭に振り落とした。頭蓋の砕ける音が響き、コンちゃんの頭が潰れる。
死んだ。いとも容易く、コンちゃんは殺された。
男は凹んだ頭から力任せにバットを引き抜き、大きく右に振り被る。
打たれる。だが、体は動かない。驚愕と恐怖に硬直している。
目を見開くだけの僕の体が、とん、と優しく押される。
シャッちゃんが腕を伸ばしている。甘えたな幼児の表情とは違う、母性に満ちた柔らかな微笑み。
バットが横に振り抜かれ、シャッちゃんの首は直角に折れ曲がった。華奢な体は簡単に吹き飛んで、半回転しながら民家の壁際まで転がる。
シャッちゃんとコンちゃんが死んだ。訳も分からないうちに殺された。
金属バットを握る男と目が合う。
目蓋は青黒く腫れ上がり、鼻息でゴーグルが曇っているが、その顔はよく知っている。
「死ねやァ!!」
がなり声に刺激され、神経が反応を取り戻す。
側頭部目掛けて飛んできたバットを咄嗟に屈み辛うじて避けるが、靴底がすぐそこまで迫っていた。肩を蹴られて仰向けに倒され、胸に膝が突き刺さる。
胸骨が軋む。心臓が苦しい。
苦悶に喘ぐ口に、親指が突き込まれる。後頭部をアスファルトに打ち付け、危険な鈍痛が視界を揺らす。
「動くなッ!」
杉石君が助けに入ろうとしてくれたのだろう。だが、真珠君の体は少女達の体液に塗れている。杉石君の拳の皮膚は傷ついていて、取っ組み合いになれば感染してしまう恐れがある。
杉石君が手を出せないことを認めると、真珠君は狂喜じみた笑い声をあげた。親指が横にぐいとずらされ、唇の端に罅が入る。
「テメェが特別なワケねぇだろうが……!!」
ぎらついた瞳がゴーグル越しに僕を睨み下ろす。
真珠君の怒りの矛先は、顔面をずたぼろにした杉石君でも、見捨てた玻璃さん達でもなく、一貫して僕に向いている。執着される理由が分からなかったが、その言葉でようやく理解できた。
彼は、ずっと見下していた僕が尊重され、優れているはずの自分が蔑ろにされる現状に怒っているのだ。
安い矜持。そんなもののために、彼女達は死んだのか。
僕のような出来損ないに他人を恨む権利はない、と必死で言い聞かせて生きてきた。
が、堪えられなかった。心臓の奥からどす黒い感情が溢れ出し、視界が一点に集中する。
指を噛み千切ってやる。
暴力的な衝動に任せて、勢いよく顎を閉じる。
しかし、結論から言って、親指を噛み千切ることはできなかった。
歯が肉に食い込んだ瞬間、彼の体は破裂した。
水風船が割れるような軽快な音と共に、温い体液が顔面に降り注ぐ。主人を失った衣服が赤い液溜まりにぺしゃりと落ち、後には何も残らない。
抗体があるなんて、都合の良い話はない。
僕はとっくに、
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