第7話
無事に辿り着いたコンビニは綺麗なもので、暴徒に襲われた形跡もない。危険な美少女が彷徨く事実さえ忘れてしまいそうな静けさの中、僕等は各々距離を空けて座っていた。
「状況を整理しよう」
杉石君が低い声色で言う。周囲を警戒する意味もあるのだろうが、一番の理由は彼女の存在だ。暴れ出すこともなく、然りに体を擦り付けてくる少女は、彼等からすれば得体の知れない恐怖である。
「まず、それについて。瑪瑙くん、説明してくれるか」
「う、うん」
こういう報告は短くまとめた方が良い。というか、話すことは一つしかなく、実際に皆も目にしたのだから説明は不要かもしれない。
この少女の体液を摂取しても感染しない。
状況は体育の先生が破裂した時と同じなはずだが、僕の体は無事そのものだ。遅効性に変異したとすれば感染力がないとは言い切れないが、今のところ体調も変わりない。おそらくは無害だろう。
だから、重要なのは彼女の今後の扱いである。
いずれ開設されるであろう研究機関に引き渡すか。それとも、交渉材料として手元に置き続けるか。
僕等はただの学生で、世界を救う義務はない。金剛さんの家で息を潜めるのが安全な気がするが、何らかの機関が設立された場合、きっと避難所の機能も含んでいる。どちらが良いか、僕では判断がつかない。
そういう浅知恵をべらべらと喋り、結局は杉石君達に結論を丸投げしてしまった。限られた情報で最適解を出せる訳もなく皆が結論に窮する中、金剛さんが手を挙げる。
「瑪瑙くんが特別って可能性はないの?」
「え?」
「君が抗体を持ってる可能性」
考えてもみなかった。
僕が破裂しないのはこの少女が特別だからと思っていたが、僕自身の体質に起因する可能性も、たしかにある。
「じゃあ試してみる。ちょっと出てくるね」
「えっ!? ちょっ、待てって!!」
「え?」
杉石君に止められた。腕を掴まれ、強引に座らされる。
「もし抗体がなかったらどうすんだよ!」
「この子が無害って証明になると思ったんだけど……」
「そうじゃない! 君が死ぬかもしれないんだぞ!」
そのあたりは織り込み済みで、僕が破裂したとしても構わない。無能が一人減るのだから、グループとしては寧ろプラスだろう。
しかし、杉石君の必死の形相を前に自棄とも聞こえる主張を唱えるのは憚られる。彼等のために僕はどんどん身を切っていくべきなのだが、口を噤んで頷くことしか出来なかった。
「……それじゃあ、これはどうするの? 危険かどうかも分からないまま連れて行くのは反対だけど」
はっきりと意見を述べた玻璃さんに杉石君が振り返る。激情は形を潜め、酷く冷たい目をしている。
「あいつにやらせればいいじゃないか」
顎をしゃくった先にいる彼がびくりと肩を強張らせた。
顔中血で染め上げられ、鼻がへし折れ、歯抜けになった彼はずっと陳列棚に隠れるようにして膝を抱えている。
僕を突き飛ばした後の短い時間で一体何があったのか。拳の皮が少し捲れた杉石君と関係があるに違いないが、質問できる雰囲気ではない。
「真珠にそこのJCの体液を飲ませよう。そいつが特別か、瑪瑙くんが特別なのかがハッキリする」
「残酷すぎじゃない?」
「会長、こいつは瑪瑙くんを盾に逃げたんですよ。また死にかけたら、同じようにするに決まってる。そもそも、こいつを連れていくつもりもないしな。瑪瑙くんを危険に晒した罪は実験体になることで償ってもらおう」
杉石君の口調には隠し切れない怒りが滲んでいる。
当事者の僕としては、体に異常はないし新たな希望も見えたのだから特に気にしてはない。しかし、行動を共にするとなると、たしかに信頼には欠けるかもしれない。
どちらにせよ、僕が口を挟む場面ではない。議論の終わりを黙して待つ。
「仮に真珠くんに実験台になってもらうとして、誰が見届けるの? 破裂して体液が飛び散る可能性だってあるのよ? 危険過ぎるわ」
「俺がやります」
「あのねえ、杉石くんは必要なの。そんな簡単に危ない目になんて合わせられないわ」
話は真珠君で実験する流れになっているようだ。苦言は呈したものの、玻璃さんは実験自体に対して否定的ではないらしい。自らのゆく末を悟ってか、真珠君が更に縮こまっていく。
「じゃあ他に誰が行けって言うんですか」
「……そうね。もしも立ち会うとするなら、言い方は悪いけど、あまり交渉で力になれない人でしょうね」
玻璃さんがちらりと横目で僕を見る。
彼女と同意見だ。そも、僕は完璧なグループに紛れ込んだ予定外の異分子で、本来なら校内でのたれ死んでいるはずだった。体を張ることでしか役に立てないのだから、今回の実験にも当然同行すべきだろう。
「ぼ、僕が」
玻璃さんの意図を汲み、手を挙げようとしたが、少女が急に抱きついてきて動きを制される。
妙なところで会話が止まり、突き刺さる視線が痛い。肝心なところで締まらない僕に呆れてか、金剛さんが溜め息混じりで口を開いた。
「……瑪瑙くんはダメだと思う。真珠くんと二人きりにしたら、また危ない目に遭っちゃうよ」
「じゃあ他に誰がいるのよ」
「あんたが行けばいいんじゃないか」
「は?」
杉石君の一言で空気が凍った。玻璃さんは信じられないといった表情で固まっている。
「俺は必要。金剛は家までの案内や、親御さんへの説明のためにも必要。瑪瑙くんは危ないから無理。残りはあんただけじゃないか」
「は、はぁ?! ちょっと待ってよ! 私はここまで、みんなを先導して──」
「あんたが何かを決めたことがあったか? 意見をまとめて、それだけだ。その程度のまとめ役なら俺一人で充分だ」
まさか、杉石君がそんな風に考えていたなんて。
玻璃さんは今にも掴みかかりそうなほどの勢いで立ち上がり、怒りに燃える形相で杉石君を強く睨みつける。
「ふざけないでよ! なんで私が行かなきゃならないの?!」
「さっき説明しただろ。死ぬと決まったわけじゃないし、少しは役に立ってもらわないとな」
杉石君はあくまでも冷淡な態度を崩さない。感情に任せた主張は効果がないと察したのか、玻璃さんは苦虫を噛み潰したような顔で拳を握り締める。
「……わかったわ。少し時間をちょうだい」
玻璃さんの呟きに誰も答えず、ただ沈黙が流れる。気まずさからもたらされる雰囲気は、外の危険に怯えるよりもずっと重苦しく感じ、僕は逃げるように視線を逸らす。
そういう弱腰な僕だからこそ気が付けたのかもしれない。
ショーウィンドウに手を付いた全裸の美少女がじっとこちらを覗いている。
僕と目が合いはにかむ様子は、溜め息が漏れそうなくらい華やかで、とびきりいやらしく見えた。
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