第5話
「ふざけんな!!」
真珠の顔面を思い切り殴る。体重を乗せて真っすぐに振り抜いた拳は鼻血と共に前歯を一本抜き飛ばした。
「い゛でぇっ」
顔を抑えて蹲る真珠の髪の毛を掴んで引き立たせ、もう一度顔面を殴りつける。鼻の骨が折れたらしく、完全にひしゃげた。
「ちょっと、杉石くん?!」
会長が肩を掴み止めようとしてきたが、感情を抑えられそうにない。
捩って振り解き、真珠の耳を引っ張って頭を引き寄せると同時に、こめかみに膝を突き立てる。焦点の定まらない瞳は脳が揺れている証だ。あと数発打ち込めば死ぬかもしれない。
死んでも構わない。本気で人を殺そうと思ったのは初めてだ。
ついに倒れ伏した真珠は涙と血でぐしゃぐしゃになった顔面をそれでも庇おうと地面を転がるが、許すつもりは毛頭ない。胸倉を押さえつけて体を固定し、右目を目掛けて拳を振り落とす。
熱い。真珠の血か、俺の体温かは分からない。ただ、頭は湯気立つほどに煮え尽くし、制御は効かない。理性さえもが、こいつを殺せと叫んでいる。
「あ゛、あん゛なヤ゛ツ、なんの役にもたたね゛ぇだろうが!!」
喧しい口に拳を振り下ろす。残った前歯もへし折れて、打ちつけた頭蓋骨から何かが決定的に壊れた音がする。
最初からこうすればよかった。こいつが瑪瑙くんにしていたことは知っていた。
ただ、彼は目立つことを嫌い、助けを求めなかった。自分が耐えれば何事もなく過ぎ去るのだとひたすらに口を噤む姿を前に、俺は踏み込むことができないでいた。
いつか。いつか。先延ばしにした結果がこれだ。下劣なカスが生き残り、瑪瑙くんは死んでしまった。
「お前が死ねばよかったんだ」
襟元を引き絞って頸動脈を締める。真珠の手がバタバタともがつくがすぐに力を失い、顔が鬱血して水揚げされた深海魚みたいに膨れ始める。
「死んじゃうよ」
金剛が俺の腕を掴む。上背があるせいか女にしては力が強い。身を捩るだけでは外れず、腕を振り回してようやく逃れる。
「なんだよ」
「瑪瑙くんが大事なんでしょ」
「あ? だから、瑪瑙くんをこいつが──」
「瑪瑙くんは生きてるよ」
感情の読めない仏頂面で、金剛は当たり前のように言った。
「だから今決めないといけないのは、学校に戻って瑪瑙くんを探すか、ここで待つか、コンビニに向かうかの三つ」
俺を早く動かすために出まかせを言っているのか。
こいつらには俺が必要だ。非常時にはどうしたって男手がいるし、俺には集団を引っ張る決断力がある。会長は不満を垂れるだろうが、近いうちにリーダーの立場は入れ替わる。
だが、そんなことは関係ない。会長や金剛と行動しているのは、騒ぎが起きた時に偶々近くにいたからだ。助ける義理はない。
何より、瑪瑙くんを軽んじて自分達だけ助かろうという魂胆が気に入らない。
「……だったら、俺は瑪瑙くんを探しに行く。あんたらは好きにしてくれ」
「わかった。じゃあ、わたしも行く」
「あ?」
「学校に戻るんでしょ? 早くいこ」
「ちょっと待てよ。あんたは俺に諦めさせるつもりで」
「そんなこと言ってないけど」
意図が分からない。金剛は本当に瑪瑙くんが生きていると信じているのか。だとしたら、その根拠はなんだ。言葉が足りなすぎて会話が上手くいかない。
「あー……、質問変えるぞ。さっきから瑪瑙くんが生きてるって言い張るが、根拠でもあるのか?」
「瑪瑙くんは運が良いから。多分生きてると思う」
なんだそりゃ。
呆れて物も言えない。隣の会長も我慢ならないのか、声を張り上げる。
「そんな理由で皆を危険に晒すつもり!? 金剛もさっきの真珠くんの話を聞いたでしょう!」
「大丈夫だと思うけどな。あ、ほら」
金剛が指を指す。先を追って視線を上げると、物陰からこちらを伺う人影が見えた。
小さな背中を丸め、こじんまりとした小動物のような立ち姿を見間違えることはない。
「まっ、待たせて、ごめんなさい」
瑪瑙くんだ。本当に生きていた。
肌着だけになっているのは、それだけの危険に晒されたからだろう。ぐっと気持ちが込み上げて涙が出そうになるが、みっともない真似はできない。堪えて笑顔を取り繕う。
「無事で、よかった」
声が詰まってうわずった。
だせえ。けど、瑪瑙くんは気にしてない風にえへえへと笑う。訳の分からない化物の前に突き飛ばされて、死の危険を潜り抜けたばかりなのに気丈に振る舞う瑪瑙くんを見て、俺は思わず駆け寄った。なんというか、抱き締めたかった。
「あっ」
瑪瑙くんが一歩退がる。
男同士とはいえ、気持ち悪かったか。それとも、真珠の血で汚れたこの体のせいか。その場の感情で軽はずみな行いをしたことに気がつき、一気に背筋が冷える。
「あっ、違くて。その、僕に近寄らない方がいいと思う」
瑪瑙くんは俺を拒絶したわけではないらしい。ワタワタと手を振り否定するが、然りに後ろを確認している。
「後ろに何かあるの?」
金剛が端的に聞いた。三人の視線を一身に受け観念したのか、瑪瑙くんは親に隠し事を打ち明ける子供のようにおずおずと横にずれる。
「は」
一瞬、息を忘れた。
瑪瑙くんの後ろには、JCがいた。
「なんか、懐いちゃって」
申し訳なさそうに言う瑪瑙くんの腕をJCが絡め取る。潤んだ瞳で彼の顔を見つめたかと思うと、急に唇を合わせた。
「んむっ」
啄むようなキスを繰り返し、一呼吸置いて深く交わる。長く、唾液を流し込む濃厚なそれを受けても瑪瑙くんは目を白黒させるだけだ。
「……破裂しない?」
会長がポツリと呟く。
JCの体液を摂取しても、JCにならない。それは地獄と化したこの世において、最も価値のある証明であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます