76.貴方のものにされちゃった。
「――今回、もし何かあったら、概念起源を使うつもりだよな? もう使用回数がない概念起源を」
――あの時の、リリスと僕の内緒話。
リリスはしばらくなやんでいるようだった。話すか、話さないか。はたまた、ごまかすか、ごまかさないか。どちらにせよ構わない、僕はもう既にリリスの行動を確信しているし、それを問い詰めるつもりはない。
だから、準備を続けながら黙ってリリスの言葉を待つ。
「リリス……が、一番許せないのは」
やがて、ぽつりと語り始めた少女は、見ればとても小さな背で、けれどもその瞳は、鋭く前を向いていた。
「眼の前でいなくなる誰かに、何もできない自分なの」
「それは――」
僕は、その言葉に対する事実を指摘しようとして、
「解ってるの、それが自己犠牲じゃなくて、自己満足だってことくらい」
――自己犠牲と、自己満足。
相手のことを慮る自己犠牲ではなく、自分の都合だけを押し付ける自己満足。相手の都合など関係ない、ただ自分が良ければそれでいい。
僕もそうだ。ただ、その満足に自分という犠牲を勘定に入れていないだけ。僕の場合は、僕が満足できる結果の中に、僕の生存も含まれているから。
「自分のために犠牲になることが許されるのは、それは自分が失う側に立った時だけだろう。手放す側になった場合に、自分を投げ捨てることは、相手にとっては呪いだぞ」
「うん……きっと、その人のことを一生縛っちゃうのね」
なら――僕はそう言おうとして、やめる。リリスが遮って、続けたのだ。
「でもね。そういう人生も悪くないかなって、リリス思うの」
「……どういうことだ?」
そこで、リリスは料理の手を止めて、未だ眠る百夜たちを見てから、僕を見た。そうして微笑んでから、再び作業を再開する。
何かを、懐かしむように。
「リリスね、おかーさんに言われたの。幸せに生きろって。お別れするときに」
「……それは、呪いだな?」
うなずくリリス。
言葉は、時に人を縛る。生きる理由を失う者に、生きろなどと言ってみろ。その誰かは死ねなくなって、永遠の亡霊のように世界をさまようことになる。
リリスや、僕たちのような存在ならなおさらだ。
それを解っていながら、母はリリスに呪いをかけたのか。
「――でも、その呪いはリリスを動かしてくれたの。動くリリスに、周りは手を貸してくれた」
ああ、それはつまり。
「……呪いも、環境次第ってことか」
それにもリリスは同意した。
リリスは母に呪われた。生きること、幸せであることを呪われて、けれどもそれ故に彼女は動いた。動けば、周囲には快楽都市という自由に満ちた環境が広がっていたから。
だからリリスは幸せであれた。
それを母は理解していたから、それで祈りを残したのだ。
言葉という呪い、祈りという祝福。そうして生まれたのが、美貌のリリスという概念使いだった。
ああ、けれど――
「リリス、ずっと美貌なの。ずっとずっと美貌で、ずっとずっとずっとなの。知ってた?」
「知ってる」
――美貌のリリス。
才能あふれる概念使いは、時として人を人でないモノへと作り変える。師匠が死して幽霊となるように、リリスの美貌は、これまでも、そしてこれからもずっと変わらない。
不老不変。それは僕らと同一の特性だった。
「だから、リリスが幸せに生きるなら、人として生きて死ぬことだと思ってたの。人と同じ一生を、満足行くまで駆け抜けて、最後は誰かに惜しまれながら、満足の行く死を迎えたい」
ゲームにおけるリリスは、その特性を有していながら、80で命を終えた。そこまでにできることをすべてやりきって、最後に満足して終えたのだ。
その最後は、なんというか色々と筆舌し難いものであったけど、こうしてバックグラウンドを明かされてしまうと、
それすらも、呪いであるように思えてならなかった。
「リリスは呪いに生かされてるの。呪いが前を向く理由になって、呪いが背中を押してくれる。だって、それがたとえどんなものであれ、最後におかーさんが私にくれたものだから」
胸をはって、リリスはそれを宝物だと言えるのだ。
ああでも、それでも――
「――それでも、リリスが百夜に呪いをかけることは、幸せなこととは違うだろう」
たとえそれしか、百夜が生きる方法がなかったとしても。
きっと、今のリリスと百夜の関係で、それは幸せの方法になりえない。
ああ、だから。
「――――だから」
僕は、それに応えるのだ。リリスも、百夜も、幸せにはなれなくとも、納得のできる形に収めるために。
◆
「――百夜!」
概念崩壊した真百夜から、百夜が排出される。慌ててリリスが駆け寄って、支えると僕らは真百夜の動向を見守る。
それと同時に、アンサーガの概念起源がゆっくりと効果を終えて消えていく。
背景が研究所に戻ると、真百夜に変化があった。
――うねりが、広がっていく。
「これは……」
「百夜の概念起源、その発露です。時間移動が始まるんですよ」
何かを歪めるように、何かを変質させるように、それは研究所内を覆っていく。僕らが、アンサーガが、同胞が、その様子を固唾を呑んで見守っていた。
「ん、ぅ――」
「百夜?」
そこで、百夜が目を覚ます。リリスに抱えられたまま、周囲を見渡して、僕たちの姿を見つけ、微笑む。安堵の笑み。勝ったのだと目で告げる。それに、百夜はさらに笑みを崩して――
――直後、真百夜をみて顔をこわばらせた。
「あ、ああ――」
「どうしたの?」
「あああ――――!」
そして、リリスの肩から離れ、真百夜へと駆け出す。
――まさか。
「だ、めだ」
「びゃく、や――?」
「――――リリスたちが、対象から、はずれてない!」
直後、光が僕たちを例外なく包んだ。
アンサーガと、同胞。それから僕、師匠、フィー、リリス。そして百夜。全員が一切例外なく、光に包まれる。これは――時間移動の兆候。
「どういうことだ!?」
「ありえないです。百夜起動時には中に取り込まれた人間が、その対象を選ぶことができる! 本来なら、純粋な意思でしか起動できないというのがそもセーフティだったんですが……」
――ゲームにおいて、アルケは純粋な意思でもって百夜を目覚めさせた。
自己犠牲のために、目覚められない少女のために。アンサーガに強要されたとはいえ、自分の意志で。ああ、けれど。
そこから、目的を果たすために行動を起こした。純粋な意思とは無縁な打算極まる目的のために。それは、アンサーガを未来に飛ばすこと。
アンサーガは危険だ、今の人類には、大罪龍が跋扈する時代の人類に、それへの対抗手段は存在しない。だから、未来の人類に任せることにした。託すことにした。
それこそが、アンサーガが七百年後に飛ばされ、活動を開始した最大の理由。
けれども普通ならそんなことはできない。純粋な意思というセーフティがあるから、そういう打算は持ち込めない。だからアルケはそれを一時的に排除するという奇策を取った。
アルケの妹、彼女の概念起源を利用して。
「…………ま、さか」
アンサーガが、ふと気がついたようにつぶやく。
「この百夜は、マーキナーの介入を受けている?」
――――あ。
アンサーガは言う、マーキナーの介入は一人に対して一度だけではないか。
アンサーガと百夜は別存在だ。アンサーガと同胞は同存在で、百夜は違う。
故に、
この百夜にマーキナーは介入できる。
「あ、の――クソ野郎が!!」
叫び、飛び出す。
「ちょ、何を!?」
「待ちなさいよ!?」
止める師匠とフィーを他所に、僕は真百夜へと手をかざす。
「百夜! この百夜の対象を変更できなかったのは、まだこの百夜にエネルギーを送りきれてないからだな!?」
「――――あ、う、うん」
「なら――!」
もうひとりの百夜とも言える、僕のエネルギーをこいつに注ぎ込む!
エネルギーの変換効率では劣るだろうが、エネルギータンクとしては僕は同質で、むしろその総量はこちらの方が多いくらいだ。
組み上げる量も。
――直後、まるで反発のように光に包まれた生まれたばかりの百夜から、猛烈な衝撃が生まれる。
僕らを拒むように、僕を弾き飛ばすように。
「――そんなに、不幸が好きか。そんなに、無様に何かを失うのが好きか!」
叫ぶ。
僕の身体から、エネルギーが抜け落ちていく。凄まじい勢いで、僕はためらわず、全力でそれを叩き込む。少しでも、この百夜に声が届くように。
「勝てると思った瞬間を、ひっくり返すのが好きか! どうしようもない絶望を叩きつけて、屈服するさまを見るのが好き可!!」
それは、その叫びは、
「――そんなに負けイベントが好きか、マーキナー!!」
今、この場にはいない、しかしこの状況でほくそ笑むだろうくそったれの神野郎に、ありったけの敵意を向けて叫ぶ。
「あいにくと、僕たちはそんなに弱くない! どれだけお前に心をバラバラにされようと、僕は生きてる心を救い出す!」
――あの鏡の世界で、まだ擦り切れていない師匠を見つけ出したように。
「僕たちのやりたいは、世界の誰よりも強いやりたくない、を変えてみせる!」
怠惰龍に、娘を頼まれたように。
「お前が引いた、人とそれ以外の敵対の線引は、僕たちが壊してやったぞ!」
死ぬしかないと決めたアンサーガに、諦めを覚えさせたように。
「お前の作った人形は今! 未来を友と共に懸想しているところだ!」
――百夜という神の器に、人の暖かさが宿ったように。
「だから僕たちは、お前なんかには! 絶対に! 負けないんだよ!」
僕は、ありったけの力を振り絞って叫んだ。
――だめだ、足りない。僕のエネルギーが補充されるより、抜け落ちる方が早い。そもそも圧倒的に総量が足りていない。
これは、そうだ。
変換効率が悪いのだ。きっと、マーキナーがそうしたのだろう。どこまでこの状況を見越してやがる、あいつ。
――傲慢龍が撃退されたことで、もはやなりふりかまっていられなくなったか。
ああ、まったく、憎らしくてしかたない。
けど。
「まだ、まだああああ!」
叫ぶ。
まだ、僕の心には意思がある。
負けイベントを変えたいという、意思。意地がある。
「ダメだ! それ以上は君が持たない!」
「もうやめてよ! アンタがそっちに行っちゃったら、アタシはどうすればいいのよ!!」
後ろから、師匠とフィーの声が響く。
――ごめん、師匠、フィー。僕は死ぬつもりなんてこれっぽっちもないけれど。それでも、君たちには謝らないと行けないな。
心配をかけて、ごめん。
でも、僕はまだ行ける、まだ、まだ諦めていない。僕は――僕はまだ、百夜に手を伸ばす。
ふと、その手が光に包まれた百夜から遠ざかっていることに、気がついた。
時空の奔流とも言うべき衝撃の波が、僕を押し流す。僕のエネルギーが底をつきかけて、踏ん張る力すらなくなって。手を離してしまったのだ。
――嘘だろ? 僕が?
この僕が、諦めた? よりにもよって、僕が、ここで諦めてしまうのか!?
――――遠ざかっていく。
百夜が、僕の手から。
――否。
違う、違う。違う! 僕の脳裏には、二つの考えがあった。手放してしまった僕に対する唖然、がむしゃらに、無我夢中になってしまったがゆえに、冷静でなくなった思考。
そしてもう一つ。
それでもなお諦めない、もう一つの冷静な自分。
それは確かに告げていた。
絶対的な信頼を、
百夜に対して向けていた。
「敗因――後は任せて」
「びゃく、や――?」
僕の前を、百夜が通り過ぎていく。
穏やかな、ゆっくりとした足取りで、たしかに前を向いて、振り向くことなく。
百夜が百夜へと手をのばす。
あ、ああ、――それは、それはダメだ。
「まて、百夜――君が、君がそれをしちゃいけない。それをしたら、君は……」
「いいの」
光が、更に強さを増した。
二人の百夜が同時にその力を全力で放つのだ。白光と白光。かつて見たことのある光景とかぶるその光景は、どこか懐かしさすらあって。
けれど、
「――私、もう幸せすぎるくらい、もらっちゃったから」
そう言って振り返る彼女の顔は、どこまでも寂しげだった。
「待つんだ、百夜!」
アンサーガが叫ぶ。
「君がいなくなってしまったら! 僕の諦めはどうなるのさ! 君が君という存在になったから僕は僕を諦められたんだ! それを! ――君が否定してどうする!!」
だめだ、だめだ、だめだ――それは誰も幸せになれない。
負けイベントと、何も変わらない。
ゲームでアルケを失った時と同じ。それと何も変わらない。
ああ、でも、
けれど、
それならば、
――覚悟も決まる。
躊躇っていたことがある。
賭けにしかならないから。
確証がなにもないから。
単なる推測でしかないから。そしてそれを検討する時間もなかったから。――躊躇っていたことがある。
けれども、もはやことここにいたって、それを躊躇っていられる状況は終わった。
たとえそれが、
どうしようもない呪いだとしても。
単なる自己満足でしかないとしても。
まだ何も終わってないのに、それをしないのは、もっとダメだよな。
なぁ、
「――――リリス!!」
それまで、
一度として言葉を発しなかった彼女に。
発せなかったのではなく、
「あいなの!!」
発することを我慢し続けてきた彼女に。
僕は最後の引き金を渡す。
それは、
僕とリリス、二人だけの約束。
「“
僕がリリスから預かった、彼女の命の全てだった。
◆
「だから――」
「だから?」
二人きりの調理場で、僕はリリスに呼びかける。
「――その呪いを、僕にくれ」
火を止めて、鍋の完成を確かめてから、僕はリリスへと向き直った。
「仮説がある。リリス、君の概念起源は死の否定。だとしたら、それは」
同じくリリスも手を止めて、
「概念起源の使用回数超過による死すら、否定してしまうんじゃないか?」
「――へ?」
僕の言葉に、リリスはぽかんと呆けた。
理解できないという顔で、けれどもそれは、やがて理解へ、そして納得へと至り。
「あ、ああああーーーーーー!!」
僕を何度も指差して、そう言えばそうだと言わんばかりに、驚愕した。
「ちょっと、百夜たちが目を覚ましちゃうだろ」
「ごめんなさいなの」
口に手を当てて、未だ驚くリリスへ、
「多分、概念起源を限界まで使用した時、その消費エネルギーは即座に喪われる。けど、その時点で既にリリスの概念起源は起動してるんだ」
――ゲームにおいて、概念起源を使用してから、命が尽きて消滅するまでの時間はだいたい決まっている。設定としてもこの辺りの時間は大体決まっていているのは、設定資料集にも書かれていて、その時間はだいたい――三分。
対してリリスの概念起源は十分以上効果が続く。
消滅した段階でも、死の否定が行われているなら、リリスは消滅しないのではないか?
ああ、けれどもそれは、実際にやってみなければわからない大博打。
とてもではないが、試してみることはできない。
だから、けど、それでも。
「確かにそれは、手札として存在してる」
――つまり、だ。
「賭けになる、ダメかもしれない。もしダメだった場合、その呪いは百夜にまるごとのしかかる」
「でも」
「――でも、やってみる価値はある。そうだな」
僕の言葉に、リリスは喜色満面、笑みを浮かべた。到底通ることのないと思っていた考え、最後まで秘密にして、抱え込むつもりだったそれを共有できたから。
少しだけ、彼女の中で希望が見えたのだろう。
だから、
「そして、もし、失敗した場合」
僕が続けて、リリスが背筋を伸ばす。
「その時は、僕がすべての責任を持つ」
「――それって?」
「使用タイミングは僕が決める。だから、君は何も気負わなくていい。僕を信じてやれ、リリス」
それ、を。
リリスは呆けて聞いていた。
思いもよらぬ言葉に、彼女は一瞬冷静さを失って、けれど。
「……はいなの」
苦笑しながらも、それを受け入れた。
「でも、多分貴方のタイミングとリリスのタイミング、同じなの」
「構わないさ、少しでも君の重荷を背負いたい。仲間だろ?」
「……もう。それは背負うどころか、一緒にする、って感じなの」
そう言って、リリスは少しだけこちらに近づいて、そして、
「――リリスと貴方って、同じなの。すっごくにてて、でも似てる部分以外が全部違うの」
ふと、僕を見上げる。
「それはなんだか、鏡を見てるみたいで、違う部分が正反対なのも、なんだかしっくり来ちゃうのね?」
「……」
「リリス、そういう所をを見てるの、なんだか不思議な気分になるの。リリスをすごいって貴方が褒めてくれてるみたいで、貴方のすごいを、リリスがお手伝いできてるみたいで。――それが嬉しい」
「――僕は、いつだって君を信頼してるさ、リリス」
「うん。だからね、その信頼で、リリスがいっぱいになっちゃったら、リリスと貴方がわからなくなっちゃう。それってなんだか、リリスが貴方で、貴方がリリスみたい。だからね?」
どこか困ったように、照れたように、あどけない笑顔で告げるのだ。
「リリス、貴方のものにされちゃった」
それは、どういう感情だったのだろう。
リリスのそれは読めない。師匠やフィーのように、明確なものではないような気もする、けれど。仲間としての信頼以外のものも、そこには含まれているのだろうか。
「きっと、そういうことなのね」
ああ、けれど。
――眼の前で、降り注ぐそれに、僕は安堵を覚える。
死の否定、リリスの概念起源。
百夜を暖かく包むそれは、彼女の背を押していた。
身体が重い。
いくら死は否定されても、疲労まではそうもいかない。ここに至るまで、エネルギーを使いすぎた。
けど、確信する。確信している――
これは、この暖かさは、この想いは、きっと大丈夫だ。
リリスはきっと、僕たちをどこまでも、祝福してくれている――
――ゆっくりと墜ちる意識のなかで、僕はただ、勝利という言葉を思い描きながら、
眠りにつくのだった。
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