72.百夜とリリスは内緒話がしたい。
――夜。僕らが寝静まった研究所の中で、ふと目が冷めた時。灯りが着いていることに、僕はすぐに気がついた。
現在、僕らは室内なので適当に寝袋を配置して、雑魚寝状態なわけだが、リリスと百夜が寝ている一画に、灯りがついていたのだ。ランタンが、ぼんやりと闇に染まった研究所を照らしている。
僕はそれに背を向けて、布団を深くかぶる。また、眠れるように、少女たちの内緒話を、子守唄にしながら――
「――母様、と……敗因。寝てるかな」
「きっと寝てるの、今頃ぐっすりすやすやなの……ふふふなの」
百夜の確かめるようなヒソヒソ声に、リリスはいたずらっぽく笑みを浮かべた。まるで睡眠を確信しているかのようで、百夜は少しだけ不思議そうにした。
「何か……盛った?」
「そこまでじゃないの。あの人はお腹いっぱいになって、これくらいの時間にはそれはもーすぴすぴになっちゃう量を作ったの。計算かんぺきさんなの」
「計算、してないよね……?」
「してるの、ぺけぺんたしてけてけはもっけもけなのー」
――してない。
断じてそれをしているとは言えない。リリスの頭の中のファンタジーを垣間見た百夜は、それはもう研究所中に響き渡りそうなほどのクソでかため息を漏らした後、苦笑した。
「なんで笑うのー」
「リリスはいつも……楽しそうだね」
「楽しいのー、人生万事楽しいがまん大会なのー」
「それ、だめじゃない……?」
二人の会話は、あまりもありふれていて、そしてどこまでも楽しげだった。
――夕飯に食べたのは、この世界におけるカレー相当の食べ物だ。ファンタジー系の作品で、世界観らしさを出しつつ、プレイヤーに食べ物がどういうものかを想像しやすくするために、似たような別物というのは、さほど珍しくはないと思う。
僕たちが食べたカレーも、そういったもので、この世界ではありふれたものだ。
加えて言えば、僕も元がカレーであると知っているわけだから、馴染みが深い。しかし、百夜はそれを知らないのだ。
食べ方も、味も、良さも。だから、新鮮そうにカレーを頬張っていた。そしてそのことも、当然ながら話題の種だ。
百夜は何も知らない。興味がないからだ。興味がないのは、そもそもそれがどういうものか、百夜の中で実感がなかったからだ。食べ物はいらない、睡眠も必要ない。百夜は不老不変の少女であり、故に興味を持つ導線が、他者にしかないのだ。
戦いなら分かる。そこから学べることもある。
ゲームにおいても、百夜がプレイアブルとなる5の主人公は、そもそもからして百夜に勝利したことで興味を引いた質である。
僕に対しても同様だろう。しかし、リリスは違う。
百夜に勝利しようとしなかったことで気を引いたのだ。リリスは強い概念使いだ、位階に関しては養殖の影響が大きいが、概念戦闘の巧みさに関しては自前である。
しかし、だからといって百夜に勝てるかといえばそうではないし、負けて終われば、百夜にとっては強い概念使いの一人で終わってしまう。
ローブと剣の概念使いは歴史上に何人かいるから印象に残るのだ。そうでない場合は、ただの概念使いどまりである。
――百夜にとって初めての存在。
リリスは、間違いなくこの世界においても特に異質な存在であった。
「本当に、リリスは……変な子」
「むぅー、馬鹿にしてるの?」
「してない。……ね、リリス。初めて会った時、どうして、ああしたの?」
くふふ、とアンサーガのような笑みを浮かべてから、百夜はリリスに問いかける。対するリリスはんー、と少し考えてから。
「百夜ね、すごすごなの。リリスなんかよりずっと概念がてっかてかで、リリス、どうやったら強くなれるのかな―って、思ったの」
「……概念使いとして、強いってこと?」
なの、とうなずくリリス。百夜もこのくらいなら、リリスの言葉が解ってきたみたいだ。そりゃまぁ、リリスがずっとこんな感じなら、慣れるよな。
「でも、それなら……戦ったほうが、印象に残る」
「それだけじゃないから、なの。百夜ぽよーんって感じだけど、それ以外がしよしよしてるの」
「えっと……ぽよーんは……強さ? ほかが……まだまだ?」
なの! リリスは元気にうなずいた。
「危なっかしいなぁって。迷ってるのもそうだし、何より、人とお話するつもりがあるのに、お話の仕方を全然知らないの。強いから……ひどい目には、合わないと思うけどなのね」
――百夜は無垢で、だからこそ危うい。これまでは、それでも良かっただろう、彼女に人と関わる気がないのだから。戦いでしか他者と交流を持つ気がなく、それを数百年も続けてきて、いまさらその生き方を危ういと呼べるほど、百夜は幼くない。
だが、人と関わるとなれば、話は別だ。
協調性が芽生え、人に対して攻撃的なだけではなくなった百夜。本来の歴史であればその頃から魔物の強さがインフレを始め、百夜は人々をそれらから守り続ければ感謝されるということを学ぶ。実際それで、数百年ほどは問題ない程度に。
ただ、それは環境が良かっただけだ。
今は、大罪龍という大きい脅威こそあるが、それ以外の魔物はインフレとは程遠い強さである。対応を間違えれば、百夜まで人類の敵になりかねない。
ああ確かに、ただの戦闘狂であった時よりも、今の百夜は一つ上の危うさを有していただろう。
「……そう、かも。街で私……変、だったよね?」
「変なの!」
「あう……」
――恐る恐るといった様子で聞いた百夜に、リリスは勢いよく肯定した。もう少しオブラートを、と思わなくもないが、そもそもわかりきっていた答えなので、何も言えない。
百夜も少し申し訳無さそうにする程度で、それ以上のショックはないのだ。
「アンサーガのとこまで来ても、そうだから、ちょっとヒヤヒヤしちゃったの。でも、リリスが言ってもうまく伝わらないし、あの人はなんかリリスに任せるーって感じだったし、困っちゃうのね」
「敗因は……なんか、他人事だよね?」
「負けたら終わりじゃないから、だと思うのー」
これだから男ってやつはー、みたいな雰囲気でリリスがやれやれと言うけれど、そもそも君が拾ってきたんだから、百夜に関しては君が責任を持ちなよ。
っていうと、八歳児に何を求めてるんだという気がしなくもないが、そういう面でリリスを八歳児と認めるわけには断じて行かないのだ。
それに、アンサーガ戦は本気でやった。
普通にやったら勝てないだろう相手だからね、実際紙一重だった。同胞がいたら詰んでいただろう。まぁ、同胞による襲撃はゲームであったイベントなので、いつかはやると思っていたし、そのタイミングで元から逆に襲撃を仕掛ける予定だったわけだが。
「まぁ、あの人も大概だけど、リリスも自分が自分がーってタイプなの。でも、あの人はそれも含めて信頼してくれてるし、リリス、頑張りたかったの」
皆の役に立ちたいのー、と言うリリスに、百夜は感心したように、
「……リリスの周りには、すごい人が、いっぱいいるね。あの敗因も、その一人」
師匠。百夜と真っ向からやりあえる、この時代――だけでなく、歴史的に見ても上から数えたほうが強い概念使い。百夜の中でも、相当印象に残っただろう、5で少しだけ師匠のことに触れることもあった。まぁ、匂わせる程度だけど。
フィー……嫉妬龍に関しては言わずもがな、だ。彼女の別の未来を見てきた百夜に、あそこまで穏やかな顔のフィーは衝撃的だったのではないか。
「リリス、そんな人達と一緒にいれて、鼻びよーんなの! しかも、皆リリスを一人前って認めてくれて、任せてくれるの! えへんなの!」
「うん……リリスも、すごい」
そういうところを、素直に誇ってくれるリリスは、存外に子供っぽい。でも、それで増長しないのは、あまりにも年不相応で、本当にリリスはアンバランスだ。
「リリスね、自分で全部やらなくちゃって、思う時もあるの。あれもー、これもーって、昔はそれで、抱え過ぎちゃって周りの人に怒られたりもしたの」
「……全部は、無理だよね?」
「無理だけど、無理じゃないって思っちゃったの。リリスはできる子だから、できる子はできること全部やらなくちゃって、そう思っちゃったのね」
――リリスが抱え込みやすいタイプ、というのはまぁ、そうだろうなぁ。
母という精神的な支柱こそ入れど、そんな母も病弱で、生きていくにはリリスの概念がなければまったく立ち行かない状態で、けれどもリリスは優秀だったから、リリスがいればやっていけることもマタ事実だったわけで。
ああそうか、リリスは何ていうか――
「そんなときにね、大切な人が言ってくれたの。リリスは子供でもいいんだよ、って」
――子供っぽい部分より先に、一人前な部分が育ってしまったんだな。
普通、そんなことはありえない。人というのは、なにもないところから少しずつ、経験を積み上げて成長していく。実際リリスもそうだったろうけれど、リリスの場合は、何もなくてもできることが多かったんだ。
例えば、人の治療。概念という能力は既にリリスに備わっていて、それを彼女は十全に使いこなせる。魔物の群れの中へ置き去りにされ、そこから逃げ出した経験が活きるのだ。
ただし、その経験を、リリスが実感する間はなかった。
リリスにはそういう、最初からできて当たり前だった部分が多かったのだろう。感覚派の天才である彼女に、できないことはあまりない。
そしてそれを、教わるまでもなく本人のセンスでこなせることもあるのだから、リリスは最初からできる子ってやつなのだ。
羨ましい話ではあるけれど……
「リリス、変」
――百夜の言う通り、リリスは歪んでいた。
「にゃーんなの」
「なにそれ……」
「ちょっとのショックを表現してみましたの」
ただまぁ、歪んでいるとはいっても。
「……でも、リリス。変だけど、面白い」
「なにそれ、そういう褒め方はあんまりうれしくないのー」
「あうあう」
つんつん、とリリスがつぶやいているから、きっと百夜の頬を突いているのだろう。微笑ましい話だな、……む、何だね植木鉢の同胞くん。いきなり振動して……
あ、百合の花が咲いた……
――まぁ、リリスのそれは歪んでいるとはいっても、マイナスではなくプラス。大体の場合は、有能であれば好意的に受け入れられるものだ、そういうことは。
何よりリリスは快楽都市で、色欲龍の側にいた。あそこは環境的にはかなり恵まれているだろう、情操教育には悪いが。
「リリス、子供なの。子供だけど皆に頼られて、それに答えたいなってリリス思うの。その二つがリリスのリリスで、リリスが誇りたいリリスなの」
「……ん」
それに、百夜は微笑んだように吐息を漏らし、
「…………また、リリスのこと、一つ詳しくなった」
「むー、うらやましいの! リリスにも百夜、教えるの!」
わいのわいの、声は小さいけれど、少女たちの賑やかさは、もはや研究所内に響き渡っている。ああ、見ればアンサーガも、彼女たちに背を向けて、くすくすと楽しそうに笑っていた。
微笑ましいのだろう。
「ん、敗因から、聞いてない?」
「ちょっとだけなのー。それにね? ――百夜の口から聞きたいの」
「……時間、かかるよ?」
「かかっても、聞きたいの!」
ちょっと概要を聞くだけでも三時間かかったからなぁ。
そこはまぁ、百夜の個性なのだけど。
「そうだね。私達……時間、いっぱい……あるから、ね」
「――――」
それに、リリスは。
「――そうなのね。楽しみなの!」
「ねぇ、これが終わったら、次は暴食龍……でしょ? 楽しみ」
「なのなのー」
――なんて、話をしながら。
ああ……そうか、リリス、君は……
◆
――昨日は、その辺りで僕は眠気に負けた。もともと、ぼんやりとうつらうつら聞いていたから、いつ落ちてもしょうがなかったけれど、まぁ話として聞きたいことは聞けたということだろう。
そして、早朝。
リリスは一人で朝ごはんの支度をしていた。
「おはようリリス、手伝うよ」
「おはようございますなの、そっちのお鍋さんをお願いしますの」
ふんふーん、と鼻歌交じりに調理をするリリスの指示通り、鍋を軽くかき混ぜながら、食材を投入している。
「……昨日はちゃんと眠れた?」
「うっ」
バレている、と察したのだろう、リリスがちらりとこちらを見る。気にしていないよ、と苦笑すると、リリスは一息。
「疲れは残してませんの。そこら辺はバッチリだし、なにより――リリス、若いの」
「いや、それを言ったら僕も若い方だけど……」
この中だと、その辺りが気になるのはアンサーガだな。年齢的にもそうだけど、あいついつまで起きてたんだ?
「で、だ。リリス」
僕は、そのまま鍋をかき混ぜつつ、何気ない様子で問う。
「はいなの」
本当にただ、ありふれた調子で。
「――今回、もし何かあったら、概念起源を使うつもりだよな? もう使用回数がない概念起源を」
答えは、少しの間帰ってこなかった。
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