59.親ばかのそしりは免れない。

「――――それで、弁明は?」


「まず、あの状況で手を放すとどちらかが奈落に呑まれる可能性がありました。互いの存在をキチンと知覚しておかないと、虚数空間的なものが危険です」


「…………泣いてる私を、抱きしめて受け止めてくれたんだ」


「ギルティ!」


 ダン、と地面を踏みしめて、正座する僕にフィーは精一杯威圧する。横でめちゃくちゃテレテレしている師匠が気になってしょうがないが、一瞬でも意識を向けた途端に何が飛んでくるかわからないので、僕はひたすら目の前のフィーだけを見つめ続けた。


「なんでそうなるのよ!? なんで落としてるのよ!? なんで照れてんのよーーーーー!!!!」


 ダンダンダン! 盛大に地団駄を踏みまくるフィー、もはや怒りは烈火を越えて、怒涛のごとく押し寄せる。もはや僕は弁明を辞めた。

 いや、そもそも一言しか許されていないが、ギルティ判定が下ったため黙るしかない。


「はぁ……はぁ……とりあえず立って」


「はい」


 言われるがままに立ち上がる。


「――――――――私にもやって」


「はい」


 ぎゅーっと抱きしめた。


「――――――――――――――――許す」


「はやっ!?」


 思わず叫んでしまった。


「んふふー」


「ずるいぞ!?」


 言って、師匠も僕に抱きついてきた。

 ちょっと!?


「ちょっと!?」


「ふふふ、そりゃあ君から抱きしめてもらうのは、マナー違反かもしれないが、私は私がやりたくて抱きついているだけだ! それを君に文句言われる謂れはないな!!」


 ――シンクロする僕らに、師匠はドヤ顔で言ってのける。いやいやいや、貴方そんなキャラじゃないでしょう。いや、それを言ったら勘違い云々もそうなんだけど。


「あるでしょ!? 私のよ!? ああもう! めっちゃくちゃ可笑しくなってるじゃない!? どうしちゃったのよ!?」


「いや、僕もここまでおかしくなるのは予想外で……ええっと、なんだ?」


 ああ、助けてリリス。この状況を解説できるのは君しかいない。一体全体、どうしたらあのクソ真面目で恋愛嫌いな師匠が、ここまで色ボケになってしまうんだ?


「これ本当にルエなの? なんか途中ですり替えられてない?」


「失礼な、私は私だ。これは、やっと見つけた私の側面だ。――君が見つけてくれたんだ」


 抱きつきながら、潤んだ瞳で見つめてくる師匠、いよいよもって限界が近いらしいフィーは、なんとも言えない表情でコッチを見ていた。

 ――怒りと、それからその怒りに並びうるほどの困惑である。まぁこれは、困惑しないほうがどうかしている。僕だって困惑してる。


 そして、



“――――それで、そろそろ本題に入らせてくれ、嫉妬龍”



 この阿呆みたいな状況を眺めていた怠惰龍スローシウスが、ため息交じりにつぶやいた。


 ――現在、僕らは怠惰龍の棲家にやってきている。そもそもの話、僕らが助かったのはフィーにスローシウスを呼んできてもらうよう頼んだからだ。

 何かしら不測の事態に陥った場合、脱出の方法として考えられたのが空を飛ぶことのできる怠惰龍である。まさかこのような形で使われると思わなかったが。


 ついでに言えば、今回のダンジョンアタックが想定通りに進んだ場合、怠惰龍のもとへ向かう必要がある。今回のような場合、ちょうどいいので、どちらも済ませてしまおうという狙いがあった。


“……同じ大罪龍だ。幾ら私が怠惰だろうと、お前がそこまで必死になるなら助けよう。しかし、しかしだ……私はこの茶番を見せつけられるためにこいつらを助けたのか?”


「……いや、面目次第もない」


 反省の意を込めて視線を伏せる。

 フィーが気まずそうに僕から離れ、師匠はまるで何事もなかったかのように怠惰龍へと歩み寄っていった。


「いや、失礼した。久しいな怠惰龍。この辺りにアビリンスを築いた時以来か」


 フィーと二人して、眼を見合わせた。あまりにも一瞬で意識を切り替えて、いつもの師匠に戻るものだから、思わず驚いてしまったのである。

 この辺りの切り替えの速さは、本人の気質も大きいか。


“――ふん、随分と雰囲気が変わったな? 紫電のルエ”


 対する怠惰龍は剣呑だ。怒ることすら億劫――というような態度だが、そこはデフォルトである。どのような感情を抱こうと、それを顕にするのを怠惰龍は面倒がる。

 まぁ、怠惰なのだから当然だけど。


 ――逆に言えば、言葉からどれほどの感情が怠惰龍の中に在るかわからない、ということでもある。


「いや、ちょっと人生の転換点とでも言うべき出来事が起きただけだ。それに、君との会話に私情は挟まないよ」


“なら、ここに来るまでに済ませて来い”


「それはそれ、これはこれだ」


 本当に普段と変わらない様子で話をすすめる師匠を、僕らは変なものを見る眼でみながら、とりあえず気を取り直して話に移る。

 ――アンサーガの件と、それから機械仕掛けの概念の件だ。


「失礼、怠惰龍。フィーからはどこまで聞いている?」


“お前たちが、父と対立していること。お前がであるということ。そのために、ということ”


 ――概ね全て、だな。

 といっても、僕が機械仕掛けの概念の器である、というのは最近まで推測でしかなく、先程アンサーガと対決してようやく確定した情報なのだが。


“……お前は面白いことを考える。父が我々を生み出したのは、人に試練を与えるためだ”



 ――――僕のその言葉に、怠惰龍は大きくため息を付いた。億劫なのだろう、話をすすめるのが。


 さて、ここで確認しておこう。



 



 とても大事なことだ、ドメインシリーズは、そもそも設定すらなかった初代を除いて、その全てが5で機械仕掛けの概念ドメイン・マーキナーを倒すための物語である。

 五作に渡って大罪龍と対決し、最終的に現れたマーキナーと対決、ゲームでは勝利した。


 で、そもそもだが、マーキナーは現在、この世界には存在していない。のである。

 大罪龍は楔であった。ただし、その楔を用意したのはマーキナーなのだが。


 つまるところ、マーキナーはこの世界の創造主であるが、この世界に直接干渉することができない。干渉するためには人類が大罪龍を倒さなければならず、マーキナーの狙いはであった。

 そして、星衣物はその予備だ。万が一人類が大罪龍と和解した場合、そちらを破壊すれば問題がないように用意された、保険である。


 なので、人類に場合によっては与する可能性のある嫉妬龍と怠惰龍は、星衣物が存在になっている。

 嫉妬ノ坩堝と、アンサーガ。前者は意思がなく、後者は人類の敵となりやすい。


 ただし。


 マーキナーは性格が悪い。

 必ず人類に与することとなる色欲龍の星衣物のみ、というトラップがある。

 これは、今後どうにかしなければいけない課題なのだが、今は怠惰龍だ。


 そう、現在僕たちは――


 スタンスになりつつあった。加えて――そもそもの問題。アンサーガを討伐するとしても――



“――娘を殺すと眼の前で言われて、許容できるはずがないだろう”



 怠惰龍が、それを許さない。


「あったりまえよね……なんでそれで行けると思ったの?」


「まあ、直接相対してみて、方針は変わったよ。――怠惰龍、僕らは君もアンサーガも、死ななくていい道を目指す」


 アンサーガ。

 本質は、クロスオーバー・ドメインにおけるフィーと変わらない。彼女は今、。いずれ世界の敵となるとしても、


 はっきりと分かった。アンサーガはフィーよりも更に危ういが、。そりゃあ遺跡にやってきた概念使いが犠牲になっていたりするけども。ただ、ゲームでも言われているが、するので、そこはまぁ仕方がない。

 目の前に無数のダンジョンがあるのに、何が在るか解っていない未知に突き進むのは、蛮勇か無謀であった。


 だからこそ、僕らは怠惰龍に提案する、を。


“――方法はあるか”


「ある」


“その方法ならば、確実に娘は救えるか”


「……確実、とは言えない」


“なら――”


 ――ただ。



、それでいいだろう”



 こうなるのだ。


「ちょっと! 可能性の検討すらしないの!?」


“必要ない、億劫だ。――お前はいずれ父に勝つのだろう。だが、だとしてもそれは私に何の関係がある”


 ――怠惰龍は、文字通り怠惰であった。

 変化を好まず、進歩を疎み、現状維持を信条とし、過去を省みることもしない。ただ、今が今のまま流れることを望む龍。それが怠惰龍。


 ただ、その中で唯一優先されるもの、それがアンサーガであった。


“私が死ねばそれで良いのだろう? 娘が危険をおかす必要がどこにある。のだ、何も、変化はいらぬ”


「――変化ならしたぞ、アンサーガは私に執着した。それに、今回は私達がそうだったが、私達がしなくとも、


“――”


 彼女に執着を与えることは、彼女の暴走を意味する。

 アンサーガとは、執着により暴走する存在だ。ゲームではアルケに、ここでは師匠に。ただしそれは、ルーザーズに置いての話。


 スクエア・ドメイン――四作目では、さらに変化する。


「執着したアンサーガは、いずれその執着を多くのものへと求める。まで、奴は止まらない」


“――――百夜。孫娘か”


 白光百夜。


 あの研究所で見た、アンサーガの娘。師匠を生贄に、産み落とされようとしていた。彼女の最終目的は、ことだ。


「怠惰龍、アンタが望もうと望まざると、アンサーガは変化しなきゃいけないところに来てるんだ。だから、頼む。その変化をアンタも受け入れてくれ」


“――断る。面倒だ、億劫だ。放っておいてくれればそれでいいのだ。あの子に、何の罪もないのだぞ?”


 怠惰龍は、重苦しく、口を開いて、そして語る。


“この世には、罪がなくとも罰を受けなければならない存在がいる。それは、生まれた時からそうであることを定められている。お前ならよく分かるだろう、嫉妬龍”


「……そうね、私もそうだったから、それは分かる」


“――ならば、その罰を受けるまでの間、好きにさせてやってはくれぬか。たとえ、その結果が世界を破滅に導くものだとしても、その終わりが、自身の破滅だとしても”


 その感情は、怠惰の中に、一滴。

 大きな後悔と、そして――罪悪感が混じっているように思えた。



“それでも、娘に罪はないのだ。全ての罪は、娘を生み出してしまった私に在る”



 ――怠惰龍は、本当にふざけたことを言っている。まずもって、変革を否定するにしても、それが明確な信念によるものではなく、ただであること。

 もちろん怠惰龍がそういうふうに作られた存在であるから、それは仕方のないことだ。アンサーガがそうであるように、怠惰龍もまた罪深い存在である。


 だとしても、。怠惰龍のそれは、明確な執着だ。怠惰という枠を超えた、明らかなまでに矛盾した感情だ。


 でも、だとしても――そんな理不尽が感情として成立することもある。

 解っていたことだ、とは、そういうものだと。


 大罪龍とは、七つの大罪、感情という罪は、そういうものだと。



「――気持ちはわかるよ、怠惰龍」



 そこで、口を開いたのは、師匠だった。


「今にして思えば、私の父も、決して正しいことはしていなかったのだろう。私を救うために、誰にも見つからない場所へと私を隠し――本当なら、可能な限りその場所に村人を誘導するべきだった」


 自身の手を見ながら、師匠はつぶやく。思い出しているのだろう、――師匠は父に憧れていた。しかし、その父が最期にとった行動は、決して正しい行動ではなかったのだ。


。それを恐れて、父は私だけをそこに隠した。おかしいよな、父は村を守る概念使いなのに」


“……何を言っている?”


「君と同じことだよ、怠惰龍。君は娘を守るために、君なりにそれがどれだけ非効率で理不尽だろうと、正しいと思う行動をしている」


 ああ、なぜだか、そうして語る師匠は、



「――。別に、一人の人間が常に正しいことをしなければ行けないわけじゃないんだ」



 ――とても穏やかで、満ち足りた顔をしていた。


「正しいことは、素晴らしいことだ。称賛されるべきことだ。誰の眼から見ても、否定しようのないものだ。でも、それを続けていると、人はいつか


 師匠が、ことしかできなくなったように。

 それに師匠が耐えられなくなり、心をすり減らしてしまったかのように。


「正しいだけじゃ、ができなくなるんだ。だから、君の正しくないは、正しくなくとも、


“……矛盾している”


「だから? ――君は、君の正しくないを貫くべきだ。それが誰からも否定されるものだったとしても、いやだからこそ、べきだ」


 否定するもの、つまり僕と、師匠と――それからフィー。

 ああそうか、師匠の行動が読めたぞ。


「――私はそうした。決めたんだ」


 そして師匠は、自身を持って高らかに、宣言するのだ。



「だって、私の大好きな人がそうしているんだから。私も同じように、正しいも、やりたいも、自分のものにすることにしたんだ」



「……ったく、ほんっとバカみたい」


 どこか諦めたように、けれども少しだけ笑顔を浮かべて、フィーはそれにぽつりと漏らす。


「いいの? 師匠のしていることは、フィーが一番文句を言っていいことだと思うけど」


「良くないわよ。けどね、アタシ、よ。優等生ヅラして真面目くさってるより、よっぽどね」


 何より師匠を焚き付けたのは自分でもある、とフィーは言う。あの時、僕のことが好きなのかと問いかけたことで、師匠の恋バナは始まったわけで。

 ようするにフィーは、のだ。だって、見下して文句を言うより、のが、フィーだから。


「だから、ちょっとくらいは妥協してあげる。あんな幸せそうなルエ、見てるとこっちも幸せになれそうだし」


「ほんと、お人好しだよね。フィーって」


「なっ……違うっての! アタシはあくまで自分が気に入らないからそうしているだけで……ああもう! 撫でるな! 微笑むなー!!」


 再び怒り出したフィーが、頭を撫でる僕の手を掴む。ぶんぶんぶん、とそれを引き剥がして振って、けれども最後にその手と掴んで、こちらを見上げた。


「それに!」


 鋭く睨んで、けれども、次には優しく微笑んで。



「――――アタシを掴んでくれたこの手は、離さないでしょ?」



「――もちろん」


「なら、いい。私はそれで十分よ」


 二人でそうして頷きあって、僕らも怠惰龍へと向き直る。


「ああでも、二人で話し合って妥協点は決めておいてくれよ? いくら僕でも、両方から引っ張られると、ちぎれる」


「わ、わかってるってばっ」


 なんて、最後に話を終えて。

 そして怠惰龍は、

 

“…………くだらん。面倒だ”


 ――僕らの恋愛事情にしてもそうだろうが、何より師匠の言葉に、怠惰龍は嘆息した。


「なら、それでいい。私達は私達で、勝手にアンサーガを止めるだけだ」


 こちらの会話を横目に眺めながら、終わるのを待っていた師匠も、改めて怠惰龍を見て、呼びかける。


“…………”



「それを止めないなら、というだけだよ、怠惰龍」



 ――その言葉に、


 怠惰龍は、ただ、ただ深く。


 息を吐いた。


 重苦しい息だ。存在の大きさによる質量も、そこに込められた感情も。ああ、なんだかフィーのときのことを思い出す。

 。直接、刃を交えない限り、そこに変革はありえない。


 でもって今、師匠は――その変革を否応なく踏み抜いた。つまり、宣戦布告だな。



“――――よかろう、名乗れ”



「……紫電のルエ」


 その言葉と共に、師匠の手には、見慣れた紫電の槍が収まって、


「――行くぞ!」


「……ったく、しょうがないわね!」


「ええ、行きましょう、師匠!」


 僕もフィーも、その言葉に否はない。さっきから随分と調子の変わっていた師匠の真意も知れた。怠惰龍と対決する意思もある。

 ならば後は、剣を抜くだけだ。


「――嫉妬龍エンフィーリア」


「敗因――アンタにそれを教える者だ」



“来るがいい、私は怠惰龍スローシウス。大罪の名を冠する七つ龍。その一つ首である――――”



 ここに、アンサーガと怠惰龍。


 怠惰をめぐる二つ目の戦いが、始まった。

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