36.嫉妬龍は悪じゃない。
――沈黙が世界を支配する。
現れた嫉妬ノ坩堝は、僕たちの前でぐったりと動かなくなった。反骨による反撃もない、完全に静寂が満ちたこの場所で、僕たちは大きく息をついた。
「終わったの……」
「終わりだよ」
リリスがすごく疲れた様子で、大きく息を吐いた。いや本当に、心配をかけてしまってごめんね。幼い彼女に、色々と押し付けて年長の僕らが無茶をするのはいかがなものかと思うが、そこはパーティの性質上そうならざるを得ないとうか、まぁ仕方ないことってことで。
「……後でお話がありますなの」
「デスヨネ」
――許してはくれないようだった。
いやまったく、まっこと反省の至であります。
そして、そんな僕たちを他所に、フィーは嫉妬ノ坩堝へと手をのばす。恐る恐るといった様子で、ためらいがちに。
その額に触れた。
「――お疲れ様。またせちゃってごめんね? でも、もう離さないから」
普段の彼女からしてみれば、本当に驚くほど優しげな声音で、瞳で、嫉妬ノ坩堝を撫でる。抜け殻となってしまった嫉妬ノ坩堝は、その瞳に光はなく、ただそこに横たわるだけだ。
やがてそれも、土塊へと帰るように、消えていく。
「嫉妬なんて、ろくなもんじゃないわ。これを抱いて、生き続けるって、きっとすごく息苦しいわ」
やがてそれは、蛇の顔へも至っていき、
「でも、アタシそうやって生きていけることが誇らしいの。それは、まぁそこのそいつがアタシを肯定してくれたからだけど――でも、アンタのおかげでもあるのよ?」
そして、
「――ありがとう、おやすみなさい。アタシじゃなかった、アタシとは違うアタシ」
ああ、それはなんというか。
――本来の未来。破滅へと歩くはずだった、嫉妬龍への別れのようでもあって、
そんな未来を、理不尽を、ひっくり返してやったという、証明のようでもあった。
やがて、蛇はどこか満足気に、消えていった。
その顔は、穏やかな顔へと変化したように思えてならない。
こうして――嫉妬ノ坩堝との戦いは終わり、僕たちは、勝利したのだった。
◆
「――あのね、あのなのね、フィーちゃん!」
「フィーって呼ばないで。え、えっと……何よ、リリス……だったっけ?」
「うん! リリス! 美貌のリリス! 八歳!」
「はっさ……えっ?」
――ぴょこぴょこと、リリスが跳ねながらフィーに近づく。楽しげな少女は、しかしためらいもなく爆弾を投げ込み、フィーを硬直させた。
そのままギギギとこちらを向くフィーに、だから彼女とはそういうアレじゃないんだよ、的な視線を送る。牽制ってやつだ。
「フィーちゃん! フィーちゃん! フィーちゃん!!」
「……ああもう! それでいいから、リリスね! それで、リリスは何のようなのよ!」
もしかしてこれ、狙ってやっているのだろうか。勢いでフィーがフィー呼びを許可してしまった。だとしたら恐ろしい子……!
と思ったが、ほんわか笑みを浮かべるリリスは絶対何も考えていない顔だった。
……感性でそれができるってことだから、やっぱり魔性とか、そういうべきアレなんじゃないか?
「あのね! フィーちゃんね! さっきのすーーーっごいかっこよかったの!」
「ふぇ!?」
――思っても見ないことを言われたようで、リリスにたじろぐフィー。一瞬視線がさまよって、そして思わずリリスの豊満な胸に行ってしまったようで、顔を赤らめてさらに反らした。
後でからかってやろうと思ったけど、多分反撃されるな。
「しゅばー!! って感じで、おねーさんなの! 素敵なの! リリスもああいうふうになりたいの!」
「え、え?」
ああ、なるほど。
「――羨ましいのー!」
――そういったリリスの言葉に、フィーは今度こそ完全に固まった。
理解できないものを見る目、僕がかわいいと言った事だとか、嫉妬が悪いことじゃないって言ったときよりも、更に彼女は困惑しているようだった。
ああ、なるほど――フィーにとって、リリスは天敵というか、完全に理解し難い存在だろう。純粋で、無垢。何も考えてないんじゃないかってほど素直だけれど、優れた感性を持つ少女。
ようするに、善良で感覚派。
僕は色々と格好つけてしまう癖があるし、師匠は理屈っぽい。フィーも色々と理屈をつけて言い訳をしてしまうタイプだろうし、僕らは三人揃って理論派だ。
そんな場所に、感性全開のリリスは劇薬である。
「……羨ましいって、そんな楽しく言うこと?」
「いつかリリスもそうなりたいなって思うの、羨ましいって悪いことなの?」
「ち、違うけど……」
――でも、僕らが幾ら理屈をつけて語るより、リリスの言葉はよほどフィーには効くだろう。だって常に全力全開で、裏表のない言葉なのだから。
「でも、そこまでよくも……」
「悪くないならそれでいいの! 悪いことはダメなの! だからいいのー!」
ぴょーんと跳ねて、ついでに色々と跳ねて、リリスは体全体を使ってそれをアピールする。思わず視線がそっちに向いてしまうフィーに意地の悪い笑みを贈ったら、すごい勢いで睨まれた。
「えへへ! だからこれからよろしくなの!」
すっとリリスが手を伸ばす。
――そういえば、といった様子でフィーがこちらを見た。
ようするに、これからフィーはどうするのか、という話だ。こうして嫉妬ノ根源――星衣物は破壊したわけだけど、フィーの立場は変わらない。
人類に味方するにしろ、人類から遠ざかるにしろ、変化を望むなら、選択は必要だろう。
とはいえ、
「――置いてかないって言っただろ?」
僕は君と一緒にいるって言ったんだ。だったら、それが揺らぐ分けないだろ。僕はリリスの方へ回って、同じように手を差し出す。
「――――うん」
そうやって、僕たちの手に、手を重ねるフィーは、なんというか、どこか儚げで、憂いもあって、けれども可愛らしい――おもわずドキっとしてしまう笑みを浮かべていた。
◆
「それで――ここ、どこなの?」
リリスが、ボロボロになった遺跡を眺めながら、奥へと足を進めていく。僕たちも合わせて先に進み、僕は軽くリリスにこの遺跡のことを説明した。
「おっかないのー!」
ぽえー! と頬に手を当てて驚くリリスに苦笑しながら、僕たちは広い、広い遺跡の最奥にたどり着く。――ゲームでは、この最奥は確認できなかった。嫉妬龍が待ち構えていて、探索をする間もなく戦闘に入り、全てが終わった後は崩落する遺跡から脱出する羽目になったから。
幸いなことに、ギリギリで今回は遺跡は形を保っている。いつ崩れるかわからない危うさだが、崩れ始めてからでも問題なく脱出できるだろうといった感じ。
「ここはあくまで星衣物の保管庫だ。怠惰の星衣物以外はこんな感じで遺跡に放り込まれてて、中の作りはただの殺風景な大部屋なんだけど――」
――最奥に、ぽつんとそれは置かれている。
あの激しい戦いでも傷つかなかったというか、奥は嫉妬ノ坩堝がうごめいていて近づかなかったから、破壊されようがないと言うか。
まぁ、ありがちな石版だ。
中身は――
「読めないのー!」
「……読めないな」
――まぁ、読めないのだが。
「……アタシは読めるけど」
これを読めるのは、大罪龍とその星衣物だけ。ゲームでは百夜か色欲龍がこれを読むことになるのだけど――嫉妬の遺跡にはなんて書いてあるのか、ゲームじゃ読み取れなかったんだよな。
「……なにこれ」
「なんて書いてあるの?」
ぴょーんぴょーんと、後ろから覗き込むようにリリスが問いかける。フィーは、少しうつむいて、その顔は悔しさと怒りに満ちているようだった。
「――嫉妬には破滅が似合う。最後まで、あがき藻掻いて苦しんで、のたうち回って消えるのが似合う。この場所は、そのために装飾された棺桶である」
ぽつりと、フィーはそういった。
リリスはそれを聞いて、しょんぼりとした様子でフィーを見る。いいんだとそれをなだめるフィーは、僕にどういうことかと無言で問いかけていた。
「これは祝福だよ。呪いでもある、君たちを作り出した存在が、君たちへ……ああいや、そもそも君たちを作った存在は、僕たち人間も作ったわけだから――」
言うなればそれは、感情という罪に対する、罰のようでもあった。でも、そんなものを肯定的に受け取るやつがどこにいる?
フィーはもちろん、リリスだってこれに対しては嫌な顔をしている。
なんというべきか、ようするにこれは挑発だ。誰にって――
「言うなれば、世界へ送った、宣戦布告さ」
これは、そう。
――世界の創造主。この世界に人と大罪龍を生み出して、争わせた。全ての諸悪の根源。やつがいなければ僕たちは生まれてくることすらできなかったとしても。
生んで、させたことは争いと破滅だ。
「これを――あの人が?」
「そうだ。……君も、敵対するなら、声に出してしまえばいい。奴は直接君を咎めはしないさ」
「……」
フィーに呼びかける僕を、リリスは難しい顔で見ていた。言葉は、なにもない。
「……そう、なんだ」
僕たちの敵、僕の敵。
僕が遺跡にやってきて、星衣物を破壊しようとしている理由でもある。
――そしておそらくは、僕をこの世界に導いた原因。何故? どうして? といった理由はまったくもって不明だが、方法など最初からわかりきっている。
それは、
「――“父様”が、全部の敵、なんだ」
全知全能なる神、この世界の創造主。
フィーは、石版の端をなでながら、その名を呟いた。
「――
通称、マーキナー。ドメインシリーズにおける最後の敵。フィナーレ・ドメインの最終ボス。僕たちが、人類が、――最後に立ち向かうべき、神の名前である。
◆
「そ、れ、で」
――師匠がいた。
僕たちが一方通行の出口から出た先に、師匠が待ち構えていた。
「――どうして君は嫉妬龍とそんなに仲良くなっているんだ!」
――――具体的に言うと、僕は現在フィーに腕を組まれて、思いっきり擦り寄られている。なんというか、マーキング? 言ったら全力でボコられそうだから言わないけど。
「あらー、紫電のルエじゃない。さっきもあったけど、キチンと話をするのはひさしぶりねー! どうしたの? そんな怖い顔をして!」
で、怖い顔をして僕たちをにらみながら腕組みをしている師匠に、それはもう楽しそうにフィーはアオリを入れる。いやいや僕と師匠はそういうアレじゃないですからね!?
「いや誰だよ!? 君そんなキャラだったっけ!? もうちょっとこう、世界に対して色々思う所ありますって感じだっただろ!」
「うっさいわね! 色々あったのよ!」
師匠が煽りを完全に無視したためか、フィーは割とテンションを普通に戻し、僕からも離れた。いや柔らかかったけど、嬉しかったけど、何ていうか怖さもある。
「えーっと、色々あってあまりにも不憫だったので、見捨てられなくて……」
「嫉妬龍は捨てられた子犬か!?」
「貴方がそういうのがお好みなら、は、恥ずかしいけど……その」
「話をややこしくするんじゃない!」
照れるフィーに、怒鳴り散らす師匠。明らかに怒っているが、どちらかというと現状に対する困惑の方が強いようだ。
「楽しかったのー!」
ぴょんと跳ねるリリスを師匠に差し出して、とりあえず落ち着いてもらう。ほら、癒やしですよ師匠。
「……とりあえず話してみなよ、反応は全部聞いてからくれてやる」
リリスの頭をなでながら、そう促してくる師匠に、とりあえず僕は経緯を全部ぶっちゃけた。割と長いようでいて、一日で片付いた案件だ。
はしょってまとめると、そこまで長くはなかった。
「…………」
師匠は、沈黙していた。
「……なにそれ」
完全に理解し難いものを見る目で、僕を見ていた。
「いやまぁ、私も嫉妬龍……あー、エンフィーリアでいいか?」
「……まぁいいわよ」
「――エンフィーリアには思うところがある。けど、だからってそこまでやって、救うために動けるかって言うと、流石に難しい」
いや、絶対貴方も同じ状況ならそうしてるだろう。と心のなかで突っ込む、師匠は目の前のこと以外は比較的どうでもいいが、目の前のことは絶対に放っておけない質なのだ。
間違いなく、目の前で弱り果てた姿をフィーに見せられたら、放ってはおけない。断言できる。
「だからこそ、君が頑張ったことは理解できたよ。目的も全て果たせたんだろう? 大勝利じゃないか」
「……そうですね」
「ならよかったよ。お疲れ様、シェルたちを待たせているから、早く戻ろう」
はぁ、と一つため息。納得したように師匠はうなずいた。話としてはこれで終わりなのだろう、師匠は踵を返そうとして――
「……あの、それだけ?」
フィーがそれを差し止めた。
「ん? どうしたんだ? いや別に、めでたいことはめでたい、それでいいじゃないか。他になにかあるのか?」
「いや……もうちょっとこう、なんかないの? アンタの弟子なんでしょ、こいつ」
べしっと背中を叩きながらフィーが言う。いやそうなんだけど、なんだ? どうにも含みがあっていけない。師匠も困惑していた。
「あんまりそうやって女の子に粉をかけるのはどうかとおもうがなー、まぁでも一生かけてついていくんだろ、だったら責任はとってるし、言うこともないぞ」
「いやいやそうじゃなくって、アンタ自身の……」
難しい顔をするフィーに、リリスがそっと近づいて。
「あのねのね、ししょーのぽわーって、まだねむねむーなの。これからぐんぐんかもしれないけど、ずっとねむねむかもしれないのー」
「……もうちょっとちゃんと説明できない?」
「あいー」
にへーっと笑みを浮かべるリリスは、けれどもよくわかっていないようだ。まったく説明になっていないが、少しフィーはかんがえて。
「……まぁ私がいうことじゃないか、今度アンタの知り合いに聞いてみることにする」
それで、話を打ち切った。
「――で、師匠。これからのことなんですけど」
「ああ……知っての通り、ライン公の息子は、血のつながった息子じゃなかった」
――ここからは、ゲームの知識を交えての話だ。
色々あったが、そもそも僕たちはライン公国の王、ライン公の依頼で息子を嫉妬龍に概念使いへ覚醒させるためにここまでやってきた。
しかしそこで、ライン公の息子は直接血の繋がりのない、義理の息子であることが明かされる。
しかも色欲龍の血がつながっていないために、フィーの権能でも覚醒は不可。ゲームではそこで、概念使いではないものが覚醒する方法を使って、その息子を概念使いへ覚醒させるべく奔走することになるのだけど、
「……それって、プライドレムが用意したあの性格悪い儀式のこと?」
――その儀式には問題があった。
嫉妬龍であるフィーも、その詳細は聞かされているのだろう。
「正確には、傲慢龍が用意したわけじゃなくて、衣物の一つだけどね」
「……なるほど。でもどうするのよ」
その儀式の問題、それは――
「――それ、儀式を行うためには覚醒させたい奴のいちばん大切な人を殺さないといけないのよね」
そう。
ゲームでは、最悪のタイミングで明かされることになるそれ。
このライン公国における負けイベント。――ライン公の息子。その最も大切な人の死。彼に大切な人は二人いる。
愛する人と、父だ。
彼はゲームにおいては、その二人を同時に失うことになる。
僕たちが、次にひっくり返す負けイベントだ。
「とはいえ、それが最初からわかっていればやりようはある。――そしてそれは、未来にも言える」
師匠が、僕とフィー、リリスの方へと向き直って、
「次の相手は憤怒龍ラーシラウス。ライン公国へ強襲するそいつを、――迎え撃つぞ」
そう、宣言するのだった。
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