負けイベントに勝ちたい

暁刀魚

一.紫電のルエと強欲龍

1.負けイベントに勝ちたい。

 負けイベントに勝ちたい。

 シナリオ上、負けないと話が進まないイベント、負けイベント。戦闘が発生したタイミングでは絶対に勝てないような敵と対峙し、通常通りに戦闘は行われるものの、最終的にこちらの敗北でシナリオが進む。


 基本、これらは敵のHPが異常だったり、攻撃力が異常だったり、そもそも攻撃が一切通じなかったり、などなど。プレイヤーがどう頑張っても倒せないように制作側が設定しているのが普通だ。

 たとえ何らかの方法で勝利しても、敗北した扱いでシナリオが進んだりと、そもそも勝つことに意味がない場合がほとんどだ。


 それはそうだ、負けなければ話が進まないのだし、何れ激突する強敵を、事前に顔見せすることで深く印象づけることが目的なのだから。

 やがて強くなった主人公が、因縁深い強敵を撃破するのは、まさしくゲームにおけるカタルシス、山場の一つである。


 しかし、僕はこの敗北イベントに勝ちたい。強くなった主人公と因縁の敵? 知ったことではない。絶対にシステム上勝てないようになっている? ふざけるな。

 僕は今目の前にいる、どうしようもなく理不尽な強敵を倒したいんだ。


 ――始まりは、某有名RPGの五作目、シナリオの大きな区切りに現れたゲーム全体の黒幕とも言えるアレ。主人公が敗北し、結果として父が死亡するあのイベントで、僕はそれが嫌だった。

 理由は色々とあるけれど、僕はあの敵を倒すためにひたすらレベル上げをすることにした。勝てないのなら、勝てるまでレベルを上げればいい、単純な理論である。


 とはいえ、幼い僕にレベリングへ使える時間は少なく、僕がそいつを倒したのは一年後のことに成る。一年かけてレベルを上げて、そして敗北した扱いでの強制進行を食らった。


 僕はキレた。

 結局あのシリーズは5だけはそこでストップして積んだままだ。


 とはいえ、大きくなるにつれ、色々なゲームにふれるにつれ、ああいった負けイベントはゲームにはありふれていて、他にもアニメや漫画でも、負けイベントは定番だということがわかってきた。

 そして最終的にどっぷり娯楽に触れてオタクになった頃には、そんな負けイベント嫌いも一種の思い出話になるのだけれど――


「やっぱり勝てない!」


 それでも、自分の趣向における大きな指標の一つとなることは、決して不思議なことではなかった。


 今、僕がやっているのも、そういった負けイベントによってシナリオが進むゲームだ。

 ただし、今僕がやっているゲーム「ルーザーズ・ドメイン」は一言で言うならゲームだ。

 なんとシナリオの最初、チュートリアルにあたる戦闘すら負けイベントである。チュートリアルをしながら戦闘を行い、ある程度戦闘が進んだところで敵が本気を出してこちらを一掃するのである。


 どういうことかというと、タイトルに「ルーザーズ」という名前が冠しているように、このゲームは敗者の物語なのだ。

 このゲームに登場するプレイヤーキャラは軒並み、何かに敗北し、そこから再起を図る。主人公に限らず、あらゆるキャラが一度敗北したところから立ち上がり、冒険を始める。

 その上で、どん底から這い上がるのが面白い……わけではない。一度敗北し、それから立ち上がっても、彼らはまた負けるのだ。絶対に負けては行けない大事な場面で。


 そんなことを何度も何度も繰り返し、それでもゲームが進んでいく。じゃあ最後はそれが報われるハッピーエンドなのか。答えは否、敗北し、敗北し、どん底に向かって突き進み、それでも最後に希望を少しだけ掴んで終わる、完全無欠のバッドエンドだ。


 絶対に受けないだろう、と思わなくもないが、そもそもこのゲームは「ドメイン」シリーズと呼ばれるゲームの外伝作で、いわゆるゼロ物。本編の過去を描いた作品である。

 「ドメイン」シリーズはエンタメとして高い完成度を誇るシナリオが売りなのだが、これはその前日譚を描くということで、「本編で最終的に救われるんだから前日譚はどれだけ暗くしてもいいよね」というコンセプトのもと、徹底的に悪い方へ悪い方へとシナリオを転がしていくのだ。


 結果として、世間での評価は「ドメインシリーズの前日譚としては満点だし傑作だけど二度と再プレイしたくない」である。

 僕もそう思う。


 そして僕はこのゲームを現在通算三周目である。もう止めたい、だがやめるわけにはいかない。


 ――先程語ったとおり、僕のオタク趣味の根底には「負けイベントに勝ちたい」というものがある。特にそれは「絶対にこの時期の主人公たちでは勝てないだろう敵」を「死闘の末に偶然の奇跡と努力」で打ち破るのが好きだ。

 話の中で、敵の強さの説得力をコレでもかと見せつけて、主人公との力の差が歴然であることも見せつけた上で、主人公が覚醒してもなおギリギリの勝負だったりとか、最高だ。


 そういう意味では、この「ドメイン」シリーズは僕が大好きで、本編では敵の強さがシナリオ上でも遺憾なく描写され、絶妙な実力差で対決し勝利する。

 このカタルシスのバランスが素晴らしい。


 で、それが負けイベントをこれでもかと見せつけることに尽力されたら、そりゃあシナリオとしては美しいけど二度とプレイしたくなくなるに決まっている。



 ――――だから僕はそれを倒したいのだ。



「またレベル上げだー」


 かれこれ暇に任せて一日をまるごと費やしてレベリングを行った末に、今日の成果を確かめるべく、ボスに挑んだ僕は死闘の末にこれに敗北した。

 現在、僕がやっているのはシナリオにおける“二番目の”負けイベント。一番目の負けイベントは例のチュートリアル戦闘であり、これはレベル上げや対策ではどうしようもない。そもそも、最初の負けイベントでは、負けてもただ撤退するだけであり、失うものはない。ので、ここは妥協して次に進めているわけだ。


 しかし、二回目の負けイベントはとても重要で、物語の導入である序章の終わり、ここで負けたら主人公は大事なものを失うことになる場面。


 これから何度も続く負けイベント、そしてそれによって大きな物を失う一連の流れの始まりであり、“失う物語”であるこの「ルーザーズ・ドメイン」の最初の喪失だ。


 なにせ――


「あ、やっばい」


 ふと、考え事をしながらレベリングをしていたら、思わずボーッとして寝落ちしかけてしまった。明日も休みなので、今日はこのままオールの予定だったが、先程の戦闘が長引いて集中力が切れかけているらしい。

 ボコボコと叩かれ続ける主人公が不憫になったので、周囲のザコ敵を倒して、セーブをしよう、と思ったところで、


 更に眠気が、


 訪れて……


 まってまってセーブしてない、いやレベリング再開したばかりだからロスは数分程度だけど、その数分も結構惜しい……でも眠いああもうだめだ……


 ああ、まっててよ、絶対助けるからね。


 師匠――



 ◆



「……ぃ」


 ゆさゆさ、と。


「…………なさい!」


 ゆさゆさ、と。


「しっかりしなさい!」


 僕の体が揺すられている。

 というか、体が重い。なにかが体にびっしりと張り付いていて、気だるさがやばい。寝起きというのもあるけれど、もっと別の理由でそうなっているかのようで。


 体の中に、なにか不味いものが入り込んでしまったかのような――


「ああ、もう……初めてなんだからな!?」


 声は、聞こえている。しかし、それをはっきりと認識する余裕がない。僕はどうしたのだろう、ここは僕の部屋ではないのだろうか。

 部屋で、ゲームをしながら寝落ちしていたはずで。


 ぼーっとしたまま、焦点の合わない目で空を見上げて、ああでも、聞こえてくる声は、どこか聞き覚えのあるもので。でも、どこで聞いたことがあるのだろう。

 なぜだかとても、聞き馴染んでいて。


 ――あ。


 と、思い出す。


 この声は――“師匠”のものだ。


 それを思い出すと同時に、僕は急速に意識が覚醒し――それと同時に、



 柔らかな、少女の唇が、僕の唇と重なった。



「ん――」


 ……ん!?


 信じられないほど瑞々しくて、同じ人間とは思えないくらい艷やかなそれが、一瞬で僕の体中に伝わって、それはもう。


「ん……!?!?!?」


 驚愕で、眼を見開いた。

 それは、口づけをしてきた少女の方も同様だった。


 つまり、僕は起きがけにキスをされて、しかも向こうもその事に驚いている状況にあるわけだ。そして意識が覚醒してくるとなんとなく解る。僕の体には水が錘のようにはりついていて、ようするに先程まで、僕は溺れていたんだろう。

 だから彼女がしていることは、キスではなく、人工呼吸――


「……わあああああああ!」


 ばっと、少女が僕から離れて、数歩後ずさる。顔を真赤にして、この世のものではないものを見たかのような顔でこちらを見ている。


 ――目を引くような女の子だった。

 目鼻立ちがはっきりしていて、世に二人とはいないのではないかというほど顔立ちが良く。流れるプラチナブロンドは肩の辺りでまとめられていた。

 齢は十八、ただ、少し背丈が小さくて、なんというか“何年も年をとっていない大人”のように見える不思議な雰囲気を持っていた。


「水を詰まらせていたんじゃないのかい!?」


 川で溺れて喉を詰まらせて、呼吸ができないから意識がはっきりしないと思われていたのだろう。残念ながらそれは違ったようで。


「えっと……違う、みたいです」


 誠に申し訳ないけれど、いやでもしかし、柔らかかった……


「……あのね」


 と、師匠……少女がジトっとした目つきでこちらを睨んでくる。なんだろう、僕は何もしていないけれど。


「はい?」


「役得だったのはわかるけれど、そんなにあからさまに口元を撫でないでくれるかな。少し気恥ずかしい……」


 あっ、と。

 手が口にフレていて、しかも唇を愛おしそうになでていたことに気がつくと、僕も思わず手を離し、申し訳無さで死にたくなる。


「……ごめんなさい」


 顔を伏せ、ちらっと覗き込むように彼女を見る。

 今も恥ずかしそうに照れていて、顔を真赤にしたままうつむいている。少しの間だけ目が合って、二人してまた下を向いてしまった。


 なんだろう、妙に落ち着かない。冷静な自分と、そうでない自分が同時にいて、自分は冷静だと思っているのに心臓は忙しない。


 原因は、当然彼女と、この状況だ。


 目の前の少女にドギマギしてしまうだけではない。

 彼女は……“師匠”だ。


 何を言っているかと思うかも知れないが、言葉にしてしまえば単純で、


 ここは……今、僕がいるのは“ゲームの世界”。それも、先程までプレイしていた「ルーザーズ・ドメイン」の、ここはオープニング。


 僕は今、そのゲームの主人公になっている。オープニングでは主人公は川で溺れていて、それを一人の少女が助けるのだ。

 彼女の名前はルエ。

 「ドメイン」シリーズにおいて、“師匠”の愛称で親しまれる、シリーズ屈指の人気キャラ。


 ゲームの世界に入ってしまう創作、というのは、珍しくはないだろうけど。

 なんだって、と僕は思う。


 なんだって「ルーザーズ・ドメイン」に入ってしまったのだろう。ドメインシリーズは、基本本編はどれもハッピーエンドで終わり、主人公は幸せになる。

 けれど、敗者の物語であるルーザーズだけは別で、主人公は最後に非業の死を遂げる。

 そんな物語に入ってしまったこと。


 有り体に言って理不尽ではないだろうか。ゲームの世界に入ったらだいたい理不尽? ごもっともだけど、だったらチートの一つもあっていいじゃないか。

 しかし、このゲームには主人公に特別な力はそこまで(ないわけではない)ない一般的なレベル性アクションRPG、つまり現時点での僕(主人公)はレベル1の雑魚で、レベルを上げただけでは、二回目の負けイベントすら突破できないのが現実だ。


 こういうのって、なんだかんだすごいチート持ってるキャラに憑依して、最終的に幸せになるのが筋じゃない? ざまぁでも勘違いでもいいけど、そういうものでしょ?


 けど今の僕に、そんなことができそうな気配はなにもない。試してみるのはこれからだけど、実際本当に何も無いと思うよ? このゲームの設定でそういうのはないって潰されてるんだよね……

 あったとしても人生に云々回しか撃てないとか、そういう技しかないです。


 どうしたものかなぁ。

 色々と複雑だ、

 死ぬしか無い立場ってどうしろっていうんだ。覆せるものなのだろうか。


 今、師匠にキスしてもらう流れとか、まんまゲームのものだったからなぁ。一枚絵がまたいい仕事するんですよ……って、そうじゃない、師匠だ。


「……あの」


 師匠の声がする。


「いつまでもそのままだと、寒いだろう? 家にこないかい?」


 …………。


 本当にこの人は……なんというか、師匠だ。

 ゲーム画面で何度も見てきた顔、声、もう耳にこびりついてしまった彼女のそれが、現実と一致して、僕はなんとも不思議な気分になる。


 もっと言えば、ぼーっとしている得体のしれない僕に声をかけて、家に誘う。彼女は底抜けにお人よしで、いい人なんだ。それが現実になったここでも変わらないのが、なんとも。

 嫌でもここが「ルーザーズ・ドメイン」の世界なのだなと、実感させてくれる。


 まぁ、入ってしまったものはしょうがない。しょうがなくはないけど、僕は切り替えの速さにだけは自信があるのだ。

 とりあえず、ゲームの流れと同じように、彼女に誘われて家に上がらせてもらおう。

 ちなみにふらちな事を考えてはいけないぞ、彼女めちゃくちゃ強いから。


 具体的に、このゲームにおける味方NPCの中では一番強い。なにせ師匠なんだから、というか。そう、彼女はNPCだ、操作できるプレイアブルのキャラじゃない。


 つまりーー



 ゲスト参戦の味方キャラ。



 僕が攻略できなかった、二回目の負けイベントで死亡する。原因は、敗北した僕を逃がすため。それが師匠――“紫電のルエ”に待ち受ける、運命である。

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