SIREN

 断片的なイベントムービー。いきなり暗闇に放り出される主人公。え、どうすればいいの、と戸惑うプレイヤー。「……了解。射殺します」という不気味な声。ズドーンッ! 「……う、ううっ……」と苦しげに呻いて崩れ落ちる主人公。ゲームオーバー。呆然とするプレイヤー。

 そんな問答無用で不親切きわまりない洗礼を開幕早々にぶちかましてくれる、鬼畜難易度でおなじみの『SIREN』。屍人の徘徊する異界と化した村で、生き残ろうともがくホラーゲームである。時系列の複雑な群像劇で、操作可能なキャラクターは十人にもおよぶ。後半になると、いままで操作していたキャラクターも屍人と化したり、異形の強敵として襲ってきたりもして、「どうあがいても絶望」というキャッチコピーをたびたび思い出すようなストーリー展開となる。難易度的にいえば、序盤から「どうあがいても絶望」である。

 このゲームを攻略本も攻略サイトも参照せずに完全クリアした人は、尊敬に値すると思う。自分にはそんな根性はない。攻略サイトを頻繁に利用した。それでも、サイトによって推奨する攻略ルートが微妙に違ったりもするので、最終的には自分なりに手探りで頑張らなければならないから、十分に歯応えがあった。そして、ある程度こちらが慣れてくると、最初はあんなに難しく感じたステージやおそろしく感じた敵に、不思議な愛着を抱いていることに気づく。死ぬことすら楽しくなってくる。いや、理不尽すぎて怒ることもしばしばだったけど。死の危険が迫ってるときに、なんでわざわざ手ぬぐいを凍らせなきゃならないんだよ! というのは、ほとんどのプレイヤーが思ったことだろう。

 まあ、それは置いておいて、とにかくホラーとしての雰囲気が素晴らしい。日本の田舎、どこかで見たようなのどかな風景が、殺気と闇に満ちあふれた空間に変容している。プレハブ小屋、棚田、学校、病院。棚田を見ると『SIREN』を思い出すようになってしまった。墓参りに行ったときに、「この墓地、『SIREN』のステージに出来そうだな。あそことあそこに屍人を配置して、スタート地点はここで……」とか妄想してしまった。日常を違う視点で見せてくれるようなゲームは大好きだ。

 視点といえば、このゲームに特徴的なシステムのひとつが「視界ジャック」である。敵の視界を幻視して、いま敵がどこにいるのか、こちらに気づいているのかいないのか、周囲はどんな様子なのか、敵の眼をカメラのように駆使して探るシステムである。「視界ジャック」を使っているあいだはこちらは動けず無防備なので、覗き見の緊張感は増すばかりだ。敵の視界に映る自分を幻視したりもして、これがたまらない離人感である。ぞくぞくする。

 ゲームに慣れてくると、銃の使い方や、火かき棒やバールなどの近接武器にも習熟してきて、屍人をそれほどまでにはおそれず大胆に進むようになるのだが、このゲームでは敵を完全に倒しきることはできない。倒しても、一定時間が経てば復活する。不死なのだ。死なないのだ。そのせいもあってか、恐怖は薄れても、圧迫感は去ってくれない。緊張感が途切れないというのは、ゲームとして疲れる部分もあるが、ホラーとしては最高である。

 そんな素晴らしき傑作ホラーゲーム『SIREN』は、2003年に発売されたゲーム。二十年ちかくも前のゲームである。でも、自分がちゃんとプレイしてクリアしたのは、ごく最近のことだ。『SIREN』は実況動画やイベントが後になるほど盛んになって、近年になっても人気が根強い。二十年前の作品をいま楽しむというのは、本や映画や音楽ではありふれた行為だけど、ゲームは少しだけハードルが高くなっている気がする。でも、もっとありふれた行為になってほしい。2103年に生きるゲーマーも、ホラーゲームの古典として『SIREN』に触れて、手ぬぐいを凍らせたりしているのだろうか?

 百年後、人類がまだ笑っていたら、自分は嬉しい。カート・ヴォネガットという作家はエッセイにそう書いていた。百年後、人類がまだゲームを遊んでいたら、自分は嬉しい。二十年ほど前のゲームを夢中で遊びながら、そんなことを思った。

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