Bloodborne

 ブラッドボーン、通称ブラボ。ダークソウル、SEKIRO(隻狼)などなど、死にゲーに定評のあるフロム・ソフトウェアの作品。

 死にゲーとはなにか? 定義の仕方はいろいろあるだろうけど、基本としては、何度もゲームオーバーになることを前提とした高難易度のゲームを指す。鬼畜のような難易度や、初見殺しと呼ばれる不条理なトラップによって、プレイヤーの怒りを買うこともたびたびであるが、一度ハマると病みつきになる。中毒してしまうと、もっと死なせてくれとさえ思う。末期である。

 このゲーム、タイトルから何から何まで、血まみれである。プレイヤーは、言葉少なに助言を与えられただけで、いきなりヤーナムという街に放り出される。その街には獣の病が蔓延していた。獣の病とは、人間が血に飢えた獣に変貌してしまう、恐ろしい病である。こちらを見るなり襲いかかってくる変わり果てた人々を、プレイヤーは狩人(ハンター)として狩って狩って狩りまくる。殺して殺して殺しまくる。ノコギリ鉈、獣狩りの斧、仕込み杖、というのが最初に選べる武器だが、どれも残忍で悪趣味ないかつい凶器である。自分はノコギリ鉈がお気に入りだ。その武骨な凶器を敵に叩きつけると、血がブシャブシャと噴き出して、主人公は返り血に赤黒く染まる。敵の攻撃も苛烈で、油断するとすぐに殺られてしまうので、こっちも容赦なく殺るしかない。しかもこのゲーム、リゲインというシステムがあり、攻撃すればするほど回復するという凶悪な仕様なので、ダメージ覚悟でも攻めるスタイルが奨励されている。ひたすら闘争本能を煽られながら、血を浴びながら、目に映るものすべてを殺していく、血まみれ死闘ゲームである。狩人は血に酔う、なんて台詞も劇中にあるが、このゲームにぴったりの言葉だ。やっているとアドレナリンが全開になるような、無理矢理に殺意を喚起されるような、危ない感覚がある。

 まさしく悪夢としか呼びようのない作品であるが、独特な美意識が世界の隅々にまで満ちているので、波長が合うと、ずっとこの悪夢に浸っていたくなる。

 ところで、これほど血まみれではなくとも、ゲームには死があふれている。初期のマリオやロックマンだって結構な死にゲーだ。といっても、ゲームオーバーが死を意味しているのかはわからないけど。昔、マリオのパロディ漫画かなにかで、落とし穴に落ちた大勢のマリオたちが穴の底でうごめいているという、笑えるけどゾッとする光景を見た覚えがあるが、無邪気に繰り返されるゲームオーバーに死を重ねると、独特な不気味さを覚える。

 ゲームの悪影響を語るときによく槍玉に挙げられるのが、簡単にリセットできる、死んでもやり直せる、という部分である。そんな非現実に浸っていると、命の重さがわからなくなる、というような意見である。ゲーマーとしてはあまり説得力を感じたことはない。本だって、前のページに戻ればリセット可能ではないか。それに現実の人生でも、リセットはたびたび行われている気がする。ゲームに悪影響なんかない、ということではなくて、悪影響があるとしたら、もっと複雑で隠微な形であらわれるのではないか。などと思ってしまう。まあ、ゲームばかりやってるからお前はろくでもない人間になったんだ、と言われると、積極的に反論はできないけど。でも、ゲームをやらなくても、ろくでもない人間にはなったと思う。

 話が逸れてしまった。でももう特に話すことはないかもしれない。とにかく自分は、ゲームで死ぬのが好きだ。ブラッドボーンの死は、とりわけ甘美だと思う。

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