第64話 ショーの始まり
「おっ、風が出て来たな」
言葉通り、かすかに風が頬をなでる。
これくらいではまだまだ、瘴気が城下を襲うことはなさそうだ。
そう思ったのもつかの間、風は少しずつ強く吹き始め、それに合わせて、瘴気も生き物のようにイスラに向かって広がっていく。
「瘴気が城壁を超えないように!」
エルフが後ろからついて来ていた魔術師に声をかける。
魔術院から数十メートル間隔で一人づつ立っているのだ。
これも計画のうちなのか。
城壁ぎりぎりで瘴気を食い止めて、交渉材料にするのかもしれない。
シエの砦に着くころには、瘴気は城壁まで迫って来ていた。魔術師たちが、詠唱して瘴気を食い止めている。
「まあ、予定通りだが城下では避難が始まっているようだ。思ったより早いのはレオンの仕業か」
さして興味なさそうに、第一王子は城下を見下ろしている。
「この調子だと、被害は少ないかもな」
まるっきり他人事である。
「アリス嬢、そんなに怒らないで。瘴気は人間には死ぬほどの害ではない。体の中の魔力と中和するだけだ。だから、さして魔力を持たない平民にはほとんど影響ない。せいぜい数日寝込む程度だ」
「じゃあ、魔力量が多いとどうなるの?」
「魔力量が多いと、魔族と一緒だな。瘴気を自身の魔力と中和するので魔力切れをおこして死ぬ」
やっぱり人間にも害があるんじゃない。
「安心しろ、今回の狙いはレオンだけだ」
安心できるかい!
シエの砦には、すでに多くの魔術師と教会のローブをまとったシスターたちがいた。
その中から、馬に乗ったレオンがやってくる。
私の腕に繋がれた鎖を見て眉間にしわを寄せる
「兄上、これは一体どういうことです。彼女はクラスメイトです。何故鎖などして、この様な危険な場所に連れて来たのです?」
見るからに不機嫌そうだ。
「レオン、呼び出して済まない。魔の森の境界では何があるかわからないからな、一人でも手練れが多いと助かる。彼女には不審な点が多いから、念のため拘束しているだけだ」
第一王子は嘘くさい笑みを浮かべ、レオンに言った。
「不審な点?」
「ああ、彼女は魔王と接触をした疑いがある。疑いが晴れたらすぐ解放しよう」
レオンはそれ以上は突っ込んで聞いては来なかった。
周りが敵だらけだと感じているのかもしれない。
「アリス、大丈夫か?」
心配そうにレオンに聞かれ、私は仕方なくうなずいた。
エルフが後ろから剣を私に向けていた。
しかも「あなたの性格じゃ黙ってられないでしょうから」と魔法で声が出せなくなっている。
この腕輪だけでも知らせないと、と思ったがそれも腕をエルフにしっかり握られ、マントで隠してしまっている。
「さて、シエの城主に挨拶しておこうか」
第一王子が馬を下り、レオンを連れて砦に入って行った。
彼らを二人にしておくことは危険だ。近衛がついているとはいえ、それもいざとなれば裏切らないとは限らない。
エルフを見て、一緒について行かないのかと目で訴える。
「ついていきたいですか?」
大きくうなずくと、可笑しそうにエルフは私を馬から降ろしてくれた。
「では、ショーの始まりと行きますか」
シエの砦は国境を守るためのものだけあって、入り組んだ廊下に鉄格子のドアがあちこちにつけられていた。
初めに閉じ込められたのがこの砦なら、とても逃げ出すことはできなかっただろう。
第一王子とレオンがこの砦の城主らしき体格のいい男の挨拶を受けている。
その男の手に隠し持たれている腕輪を見て、思わす叫んでしまう。
「うっ!」
声にならない叫びで、一瞬レオンがこちらを見る。
ガチャリ。
!
「これは何です!」
レオンがすかさず腰の剣に手を伸ばしたが、それを目の前の男に制止される。
「レオン、落ち着きなさい。それは魔封じの腕輪だ。いくら腕に自信があっても、魔力なしではこの砦の城主にはかなわないだろう」
彼がどれほど腕が立つかわからないが、魔の森との国境をまかされているのだ、この国きっての使い手なのだろう。
「どういうつもりですか?」
「アリス嬢は魔王と通じている疑いがある。その彼女と仲がいい者は皆調べなければ。疑いが晴れたら、すぐ外そう」
こともなげにすらすらと第一王子は言うと、その口元には笑みが漏れている。
「将軍あなたもその意見に賛同したのですか?」
レオンが、この城の城主に向かって、問いただした。
「殿下、申し訳ありませんが、私には判断がつきかねます。無実が証明されれば、私めが責任をもってこの腕輪を外しましょう」
馬鹿正直に、まっすぐにレオンを見つめた将軍は、純粋に第一王子の言うことを信じているようだった。
そもそもこの腕輪、王家の秘宝って言っていた。そうやすやす外せないんじゃない?
レオンは、ため息をついたが将軍の誠実さを信じることにしたようだった。
「ところで兄上、そちらの方はどなたです?」
「彼はダグニア卿だ。見ての通りエルフだが、イスラのために情報を流してくれている」
「その者が、アリスが魔王と通じていると言ったのですか? どのような根拠で、その情報が真実だと言えるのでしょう」
「そうだな。まあ、口だけなら私も信じたりなどしない。彼はイスラにとっての、宝を魔王から取り戻してくれたのだ」
「宝?」
「そうだ、レオンにも見せてやろう」
勝ち誇ったように第一王子が言うと、エルフは私の腕をつかんだまま、器用に懐からカラスの薔薇を取り出した。
「それは!」
声を上げたのは将軍だった。
「それは、もしかして伝説のガラスの薔薇」
将軍は興奮したように、大声を上げた。
イスラの国民にとって、ガラスの薔薇はもはや水戸黄門の印籠くらいの価値があるのかもしれない。
「彼が、これをこのイスラに持ち帰ってくれたんだ」
第一王子の言葉に、将軍はすっかり洗脳されてしまったかのように、ガラスの薔薇に見入っていた。
ちょっと! いくらガラスの薔薇を目の前にしたからって、将軍ともあろうものが、盲目的に信じすぎじゃない?
少しはこいつらを疑え!
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