第25話 アラン視点 アリスと出会う

アリスに出会ったのは、俺が7歳の時だった。

「このくそガキ! 今度俺のところの商品に手を出したら殺すぞ」

 ドッカっと、頬を殴られ、地面の転がる。

 痛みで意識を失いそうだったが、必死に頭を守るように両腕で抱え込んだ。

 身体中蹴られながら、俺はただひたすら、相手の気がすむのを待った。

 暗闇の中、気がつくとピクリとも身体を動かすことができない。息をすると、喉の奥がヒューヒューと音がする。


 地面から、人の行き交う音が聞こえたが、目を開けることすらできない。


「どうやらまだ生きてはいるみたいだな。拾っていくか?」


「いや、これはもう駄目だな」

 何度目か意識が戻ったとき、頭上で男達の話し声が聞こえた。

 奴隷商だろうか、もはや売り物にもならないと判断されたようだ。

 このまま死ぬんだな。

 やっと楽になれる――。

 悲しくはなかった。

 ただ疲れていた。それももう終わる。


 ゆっくりとまた意識が遠くなった。

 最後の瞬間、甘い匂いに包まれ誰かに、優しく抱き締められた気がした。

 天使か?

 やっと天国に行けるのか。


 次に目が覚めた時、正直、あのまま死ねなかったことに、がっかりした。

 身体の痛みはないが手足を動かすことはできない。

 白いシーツにふかふかの布団がかけられている。

 結局奴隷として売られたのだろうか?  こんな綺麗な布団に寝かされていると言うことは、少年を好む男色家に売られたのか?


 逃げなきゃ、という気持ちもあるが、どうでもいいや、という気持ちが勝って、目をつぶった。

 男色家の相手は嫌だが、いざとなれば首を吊ればいい。

 今はもう少しだけ、このベットに寝ていたかった。


 次に目が覚めた時は、美味しそうな匂いが漂っていて、ぐうっとお腹がなった。


「良かった、気がついたね」

 クスクスと笑い、少女は真っ黒い夜空のような瞳で俺を見た。

 少女といっても、俺よりかなり年上に見える。15、6と言ったところか?


「お前も奴隷か?」


 ゴン。

 すぐさま痛くないげんこつが降ってくる。


「年上にお前はないでしょ。それに奴隷じゃないし、私もあなたも」

 奴隷じゃない? じゃ、なんだ?


「さあ、身体起こすから、スープ飲んで」

 身体を起こされ、後ろに枕を入れてくれる。

 腕が持ち上がらないので、少女が口までスープを運んで飲ませてくれた。


「骨が折れていたはずなのに」


「ああ、簡単に治癒しておいたから、本当は子供に治癒魔法を使うのは、自己治癒力を妨げるからよくないけど、ほっといたら死にそうだったし」


「治癒魔法……そんな高価な魔法、何で」

 教会でも時々金持ち相手に治癒をするが、目玉が飛び出るほど高かったはず。

もしかして、ここは教会なのか? そうなら、隙を見て逃げなきゃ。


「そんなことより、食べたらお風呂ね」

 それから俺はサムに井戸につれていかれ、泥だらけでカピカピの肌も黒ずんだ爪も、しらみだらけの頭も、物のように容赦なく洗われた。


「アラン!  見違えたわ」


「あれ?  俺名乗ったっけ?」

 少女は嬉しそうに、俺の頭をなぜまわした。そして、両手で頬を包み込み、クイッと顔を合わせるように向けると、瞳を覗きこんだ。


「――。」

 こいつ俺が色持ちだって事知ってたのか?

 髪も瞳も輝くような水色をしていた。生まれは何処かの貴族かもしれないが、そんなことはスラムではいじめの原因にしかならず、奴隷に売られそうになるのは、何時もの事だった。


 引き取られた教会で、神父にいたずらされそうになってからは、髪も顔も泥をぬって隠した。

 俺は値踏みされているのかと思い、目をそらさずに、にらみ返した。


 沈黙の中、少女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。


 !?


 泣いてる――。

 少女は涙をぬぐうことなく、俺を見つめて泣いている。

 もしかしたら、泣いていることに気付かないんじゃないかと思うほど、真っ直ぐに俺だけを見ていた。


 何で? という疑問と、俺が泣かせたのか? と不安で思わず、涙にふれる。

 少女はにっこり笑うと、俺を抱き締めた。


「良かった――」


 何が?


「ありがとう――生きていてくれて」

 少女は俺を解放する気はないらしく、さらに抱き締められた。身体中痛くて、振り払おうと手を動かしたが、振り払うことができなかった。

 痛みよりも、身体を包み込む体温が、心地よくて。


 俺は始めての温もりで、頭の中がふわふわした。


「何で、こんなに身体が冷たいの?」

 唐突に少女は俺の手を握りしめた。


「井戸水で洗われたから」


「井戸水? サムは井戸水であなたを洗ったの?」

 あまりの汚さに、サムに先に井戸で洗われたのだ。そのあと風呂に入れと言われたが、風呂など入ったことがなく、そのまま渡された服を着た。


「いらっしゃい」

 少女はアリスと名乗った。


「アラン、今日からここはあなたの家で、私たちはあなたの家族だから。ずっとここにいてね」

 そう言って風呂場から出て行った。

 始めての湯船は熱かったが、心の中まで温まるようだった。


「家族なんて必要ない……」

 そう言い聞かせたが、嗚咽がもれた。

 ううっ。

 我慢ができなかった。


「ずっとここにいてもいい」ではなく「ずっとここにいてね」アリスはそう言った。

 今まで誰かに、望まれた事はなかった。アリスにとって、たいして意味はなかっただろう。


 家族がどう言うものかわからない、でも、これからは一人じゃないと思えた。

 悲しくも痛くもないのに、涙が止まらなかった。

 アリスのがうつっただけだ。

 

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