地獄の116丁目 天獄から地獄へ①

「しばらくここでおとなしくしていろ!」


 看守と思しき女が我の肩を突き飛ばし、ゴミ箱にでも押し込めるように天獄と呼ばれる牢獄に追いやった。


「ふん、地獄に比べてなんと生温い場所か! 腹を空かせた魔物も悪意に満ちた魔族もおらん! ここは天国か!」

だ! だが、確かに天国、いや、天界でもある」

「ならば沙汰があるまでこちらは一休みさせていただくとしよう」


 余裕に満ちた我の態度が気に障ったのかこちらを鋭く睨む女看守。だが、何かを思い出したかのように薄ら笑いを浮かべ言い放つ。


「そんなことを言っていられるのも今の内だけだ。せいぜい天獄を楽しめ! ふふふ……」


 何を馬鹿な事を。拷問一つできん天界の住人が。負け惜しみのつもりか。



  ☆☆☆



 ――コツコツと音を立てて誰か近づいてくるのが分かる。看守の巡回だろうか。


「地獄の魔王よ。今日で5日になるが天獄はどうだ? 心地よいだろう?」

「…………」

「おやおや、どうした? ここに来た時の威勢はどこへやら」

「……頼む」

「んん~? 何か言ったかぁ?」

「……頼む! ここから出してくれ! なんだコレは! ここは地獄だ!」


 看守は我の懇願を心から楽しそうに眺めていた。


「なんだ。まだたったの5日だぞ? それでよく魔王が名乗れるものだな」

「気が狂いそうだ! もう嫌だ!」


 我の必死の嘆願も叶わず、看守は高笑いを浮かべながら去っていった。ああ、何たることだ。まさかこのような形の拷問があろうとは。ベルは……、ベルは無事だろうか。



  ☆☆☆



「今日で5日になる。どうだ? あの箱庭について何か話す気になったか?」


 若い、使いっ走りのような男が私に問いかける。片手で頬杖をつきながら、片足は椅子の上に乗せ、さも退屈そうに問われるので、私もため息交じりに応える。


「デボラ様は今どこで何をしておられるのです」

「あのな、ネェちゃん。この実りの無い会話、100回目ぐらいだぞ?」

「では、後100回お尋ねします。デボラ様は今どこで何を?」

「なかなか根性の座ったネェちゃんだな。じゃあ、特別に教えてやろう。デボラとやらは天獄に移送された。もう、天界の許可無しじゃ面会も出来ないと思え」


 今すぐ目の前の男を消し炭に変えてデボラ様の元へ駆けだしたい気持ちだったが、どうにかこうにか殺意は抑え込んだ。


「そうですか。では、私から申し上げることはこれ以上何もありません」

「あ、ずりぃ! 何か話せよ!」


 男が机を殴りつけると同時に部屋のドアが開く。ぎょっとした表情でそこに立っていたのは男より少しだけ若そうな女だ。


「あっ、あのヒョウさん」


 女はヒョウと呼ばれた男に近づくとサッと何かを耳打ちし、そそくさと部屋を出て行った。


「おい、ネェちゃん。あんた釈放だってよ」

「……そうですか。では、ごきげんよう」

「ったく。愛想のねぇネェちゃんだぜ」


 私は、努めて冷静にその場を離れると急いでキーチローさんへスマホ(魔)で連絡した。



  ☆☆☆


 ――地獄の様々な刑罰に比べればなんと生ぬるい場所だと考えていた。


 ――最初の1時間程は。


 30分おきに規則正しく繰り返される、壊れた女の嬌声。しばらくすれば収まるのかと思いきや、一向に静かになる気配はない。狂ったように何度も何度もあの名を呼んでいる。いや、多分狂っているのであろう。もちろん声の持ち主に覚えはある。あるがこの際そんなことどうでもよい。


 3時間経った辺りからよもやこの嬌声に終わりはないのではと得も知れぬ不安が頭をよぎったが、必死で抑え込んだ。そんなはずはない。奴とて、疲れるだろうし眠るだろう。奴が果てるまでの我慢比べだ。


 と、一日目は思っていた。だが、二日経っても三日経っても一向に収まる気配がない。途中何度となく「うるさいぞ! 黙れ!」と叫んでみたがまるで効果なし。30分間一通り嬌声を上げた後の30分が恐ろしくて仕方なくなってきた。次が始まるタイミングで心臓も張り詰めるようになってきた。このままでは頭がどうにかなってしまう。我はただひたすらアルカディア・ボックスの思い出を浮かべて耳を閉じていた。


「ああ、キーチロー、ベル、ローズ、キャラウェイ殿、ステビア、セージ、ダママ……」


 牢獄の片隅に座し、耳をふさいでただ時間が過ぎるのを待つ。今は看守の足音すら待ち遠しく感じる程だ。


「――デボ……様……ああっ! ……はきっと……んんっ!! ……らです!」


 ベラドンナのおかしな声に混ざって幻聴まで聞こえ出した。


「――なん……? ああぁっ!! この……ドラメレク様ぁぁっ!! ……変な声」


 ああ、この声。何度となく耳を塞ぎ、心に頭に繰り返した愛しき声。


「――んデボラ様のぉぉぉぉっ!!!! ぁああああっ!! 香りぃぃぃぃぃぃっ!!!!」


 え?


「デ、デ、デボラ様ぁぁぁぁぁぁっ!!! ここにいたぁぁぁぁぁっ!!!」



  ☆☆☆



「で、天界に到達したわけだけど、天獄ってどこにあるのかわかる?」

「とりあえずその辺の人に聞いてみましょう」

「え、大丈夫なの? 騒ぎにならない?」

「大丈夫です。天界の人々はだいたいお人好しでお花畑ですから。快く教えてくれますよ」


 ベルが眼鏡を得意げに上げる。


「いざとなれば神の雷がありますので、その他の人々は基本的に争いを好みません。争いが起きるとしたらそれは黙示録級の何かですわ」

「俺達が神の雷を受ける可能性は?」


 ベルは何も答えず、ただ微笑んだ。


 可能性、有るってことね。


「もしもし、そこ行くあなた。天獄にはどう行けば宜しいですか?」

「ああ、地獄からの観光か何か? 天獄はこの先の世界樹の根本にある階段を降りた先ですよ」


 本当に驚くほどあっさりと答えてくれた。観光名所になってるのか……。


「教えていただいてありがとうございます」

「ええ、気を付けてね。最近、地獄の魔王が捕えられたらしいから」


 ベルは笑顔のまま、少しこめかみのあたりをピクリとさせた。が、とにかく先を急ぐことにした。安否確認が最優先だ。


「会いに行くのまではギリギリセーフっぽいけど、脱獄はさすがにマズイよなぁ」


 悩む俺をそっちのけで二人はどんどん階段を地下へと降りて行く。心なしかスピードも上がってきているようだ。


 しばらく階段を降りると、牢屋らしきものが並ぶフロアに出た。すると、妖子さんの鼻が何かを捉えたらしく、ヒクヒクと動かした後、一直線にさらに下の階層へ降りて行った。


「何か捉えたってそりゃあ、一個しか無いよな」

「ええ、地獄の魔王ですから。恐らくは最下層に幽閉されているかと」


 妖子さんはどんどん加速していく。


「デボラ様はきっとこちらです!」

「ああぁっ……!! んんっ……!!」

「なんだこの変な声」

「んデボラ様のぉぉぉぉっ!!!! ぁああああっ!! 香りぃぃぃぃぃぃっ!!!!」

「デ、デ、デボラ様ぁぁぁぁぁぁっ!!! ここにいたぁぁぁぁぁっ!!!」


 妖子さんの絶叫がこだまする。どうやらデボラを発見したらしい。目立つ行動は避けたかったが……。

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