第4章 箱庭大拡張編
地獄の40丁目 安楽 喜一郎とは
当方、安楽 喜一郎。社会人二年目の23歳。今年度は残念ながら経理部への新人配属が無かったため、未だに最底辺の雑用君だ。とは言え、徐々に仕事も任せられるようになってきたし、何より、1期通じて、仕事をやりおおせたことで自身への自信も深まってきた。
平凡な一般家庭に生まれ、ごくごく平凡な成長をし、ごくごく一般的な会社に入社した。平凡な容姿であり、これまで特に不遇だったとか、いじめに遭っていたなどという事もなく、さらに言えば人生において彼女がいた時期もある。結局進学を機に自然消滅に近い形で別れる事になったが、甘酸っぱい高校生活のメモリーでもある。
故に、いまさらキスがどうので、大騒ぎする気は毛頭ないが、それでもやはり、
地獄の魔王(♀)と接吻と言うのは、大騒ぎしてしかるべき案件と思われる。
「デボラ様」
「デボラと呼ぶがいい」
「あの……、デボラ。いや、そういう事じゃなくですね」
「敬語も止めて欲しい」
「あの、みんなにまず説明しないと。と言うか俺自身色々聞きたいことが」
ここはアルカディア・ボックス内、ローズ邸会議室。いや、今は社員寮と言うべきか。長机のお誕生日席に人が増えた。眺める景色のどこにも現状を理解できている者はいない。ベルなどは青い顔をしてこちらを睨みつけ、視線だけで絞め殺さんばかりだ。
「まず、どこで恋愛フラグが立っていたのか、これが分からない」
「そんなもの、再会した時に決まっておろう!」
「再会? ヘルワームの一件が初めてじゃ……」
「いいや、以前に一度会っておる。地獄でな」
「地獄で? ますます身に覚えが……」
いや、無くはない。というかそこしか思い当たらない。先日、地獄を回った時に感じたどこか懐かしい感覚。あれはボックスの空気と似ているからだと理解していたが、よくよく考えてみると俺は10歳頃、交通事故の影響で生死の境をさまよったことがある。
「キーチローが以前、地獄に来た際にも粗忽な振る舞いをしたのだろう。亡者の列からはぐれ、あろうことか悪魔にいたぶられておった。裁判を受けていないどころか川すら渡っていない亡者が魂の消滅を迎えるなど本来あってはならぬこと。当時、魔王就任からそれほど経っていなかった我はキーチローを助けようとしたのだがその時の行動が少々、マズかった」
「どうしたんですか?」
「敬語は……」
「続きを頼む!」
「今にも消えそうな魂にほんの一滴、我の血と魔力を与えた。色々イレギュラーが重なってテンパっておったのだろう。瞬く間に回復したが、正直言ってこいつを亡者の列に戻すのはリスクが高いと思って人間界に送り返した」
「隠蔽工作……! 大胆な事しますね」
キャラウェイさんは黙って聞いていたが、初めて口をはさんだ。
「去り際に言われたよ。『お姉さん、助けてくれてありがとう』って。悪魔、それも魔王の身でありながら、感謝の気持ちが心地よかった。それ以来、魔王としての立ち位置、仕事ぶり、配下。全てが変わっていった」
なんかいい話のような決してそうでもないようなよくわからん話だ。
「我の生き方を変えたと言ってもいい。そして、しばらく経って例のヘルワームの件だ。正直、運命を感じずにはいられなかった。あの時の少年がこうして不思議な力を授かってまた我の生きざまに干渉しようとしている、その事実にな」
「じゃあ、やっぱりデボラ様の獲物だったんじゃないですかぁ」
「今にして思えばそういう事だな。ローズ」
案外、ローズはあっさり受け入れている。サキュバスだからか? いや、関係ないのか。
「獲物だなんて失礼な言い方じゃないですか!」
「あ、私ももう敬語無しでいいよ! 未来の魔王のお婿様!」
「ローズ! からかうな!」
まんざらでもないニヤケ顔でデボラが拳を振り上げる。あれ、どうしてこんなことに……?
「あの、申し上げにくいのですが、ちょっと俺自身頭の整理が全く追いついていないというか、そもそも人間と悪魔ってどうなのよってところから……」
「別にこの間やってた人間界のアニメでもくっついてたからいいんじゃないの?」
「アニメと現実は区別してくださいね!」
と言いながらもこの非現実的なアルカディア・ボックスという存在の中でそれを語るのは滑稽な話だが。
「別に我はキーチローとくっつきたいとかそういう事を望んでおる訳ではないぞ! ただ一緒にいることが楽しいのだ!」
「デボラ様……そこまで……」
ベルがとうとう泣き出した。自分の慕う、地獄の統括者があろうことかぽっと出の人間に心を奪われているのだから無理もないとは思うが。
「分かりました。キーチローさん! 私はデボラ様とあなたを全力で支えます!」
「誰か俺の話聞いてる人います!?」
「私に対しても職場以外では敬語は必要ありません! TPOをわきまえて行動してください!」
悪魔がTPOとか言い出すとは。世も末だ。
「しかし、悪魔の血と人間の血が混じり合うことでこのような面白い結果になるとは。私も誰かに血を分け与えて……」
「キャラウェイさんまで! 研究者魂が
「じゃあ、僕とデボラ様は恋のライバルという訳ですね。僕は地獄の魔王が相手でも引く気はありませんよ!」
引いてくれ。話がどんどんややこしくなる。
「望むところだ! セージよ! 地獄の覇者から人間一人とて奪えるかな!? フフフ……!」
「あ、あの! 私も……敬語じゃなくて大丈夫……だから」
ステビアが絞り出すように発言する。
「あ、僕も僕もー!」
「とりあえず、敬語云々は分かりました! ちょっとずつ変えてみます! ただ、なし崩し的にヒューヒュー付き合っちゃえよ! みたいなのは断固反対です! 特にローズ!」
「あ、見抜かれてる」
あ、見抜かれてるコツン、ペロッ じゃないよ! 全く!
「という訳で、皆に集まってもらったのはこんな婚約会見じみた事ではなく、一旦襲撃者の脅威は去ったであろう、という報告のためだ。各自、余り意識することなく職務に励んでくれ!」
「ダメです。俺が一番意識すると思います」
「お前は意識しろ! まずは敬語から!」
「デボラさ……、デボラ。こ、これからも宜しく」
「ああ、キーチロー! ともにこのアルカディア・ボックスの発展に尽くそう!」
「なんかよくわからない事になって来ちゃったけどこのボックスを大きくしたいというのは共有出来ているから」
皆さん、よく覚えてほしい。俺の名は、安楽 喜一郎。
人呼んでアンラッキー君、だ。
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