地獄の6丁目 弊社に悪魔がやってきた

「キーチローさん、ではこの書類を仕上げておいていただけますか?」


 おかしい。どうしてこうなってしまったんだ。


「キーチローさん。聞こえているんですか?」


 なんでこんなことに……。


「キーチローさん。ならキチンと返事はしてくださいね」


 なぜ俺の前に上司として立っているんだ。ベル――



 時を戻そう。


 先日のとんでもないドタバタから一転、翌日は巣魔ほ(読みづらいからスマホでいいや)の活躍もあり、しばらく平穏無事に社会人ライフと地獄ライフを過ごすことが出来た。変わったことと言えばベルを昨日、人事部に連れて行ったぐらいだ。


 ド新人が中途採用枠で応募してきたベルを紹介という形で連れて行ったものだから人事部の方々には大層奇異の目で見られた。これは自分でもおかしなことをしたと思ったが、どういう訳か後日、人事部のえらいさんに背中をバシバシ叩かれながら


「君! 君が連れてきたベルガモット君だがどういうツテで連れてきたんだね! あんな優秀な人材がうちに来てくれるなんて!」


 とかいう転職サイトのCMみたいな褒めちぎり方をされたのできっと問題にはならないだろう。問題は別にある。


 まず、履歴書や面接、筆記試験など様々ある関門をどうやって切り抜けたのかという事。そして、人間界で生活する知恵はあるのか。生活の知恵ならまだしもビジネスマナー(笑)は備わっているのかという事。そして些末なことだがあのセクシーなスーツはどこで手に入れたのかという事だ。帰宅した後、直接ベルに問い質してみた。


「ベルさん、結局前の問題は全部【誘惑テンプテーション】とやらで片付けたの?」

「細かいところはそうですが、ほとんどは実力で」

「すごいな! こっちは死ぬほど対策集だのなんだの読み込んで滑り込んだのに」

「【転送トランスファー】の応用で【転送ダウンロード】を使用しました。街の人々から生活やビジネスに関する知識をかき集めて来ましたわ」

「それ、対象者の記憶消されたりしない……ですよね」

「まさか! コピペです!」

「早速知識が根付いておる」


「ちなみにそのコスプレみたいなスーツは何ですか?」

「これは……その……【誘惑テンプテーション】の効きが多少良くなるもので……」


 それはそうでしょうとも。俺からして正体を知らなかったら危ないところだった。


 ともかく、これで一通りの問題は片付き、社会人として、救世主としてしばらくは安定した生活が送れそうだ。


 とりあえず今日のご飯をカブタン、カブ吉にあげておこう。この包丁を持った人のアイコンだったな。ほいっと。んんっ! 今日はヘルコンドルの死骸か……。魔王様からのメッセージだ。


『殺したわけではない。城の前で死んでおったのでありがたく頂いた』


 ご丁寧に俺の心配事を先んじて消してくれた。この気配りよ。地獄でも魔王ともなるお方は、このぐらいの配慮が必要なのだ。頭が下がる思いだ。


 ……このアイコンはまだ使ったことがないが恐らく通話だろうか。耳の形をしている。


 ていうかなんで全てのアイコンが妙にリアルなんだ。目も耳も。なんで血走っていたり切り口に血が流れている必要があるんだ。餌のアイコンにしても、デフォルメされてこそいるが、包丁から血が滴っている必要は全くないと思う。魔王様の趣味全開だ。


 ――そして、一週間余りたった頃、俺の部署、経理部に新しく人が配属されることになった。だが、名前と処遇を見て絶句した。


<辞令>

ベルガモット=ベネット殿

本日X年12月15日を以て経理部に配属

同年同日を以て課長に任命する


以上



 以上じゃねーわ! 何をどうしたらそうなる!


「皆様、初めまして。私はベルガモット=ベネットと申します。本日付でこの部署に配属となりました。経理の仕事は不慣れでご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、ご指導の程よろしくお願いいたします」


 俺の前でベルは深々と頭を下げた。どこで覚えたんだそのビジネス教本の様な挨拶は。ん? 今一瞬目が合わなかったか? そして、ニヤニヤしてなかったか?


「おい、アンラッキー君」

「安楽 喜一郎です。先輩」

「あの知的な美人は君が連れてきたんだって? いったいどういう……?」

「あ、バイト仲間と申しますか……その……」

「ふうん。ともかく立場は俺達の直属の上司だ。こいつはツイてるのかもしれんぞ」


 いや、俺はアンラッキー君なのかもしれない。


「ベルガモットさん、宜しくお願いします。日本語お上手なんですね! 僕は滝沢 秀樹たきざわ ひできです」

「滝沢さんですね。日本暮らしが長いので日本語は問題ありません。私の事はベルで結構です。長いでしょ?」


 最初は俺の事を殺そうとしていたのに変われば変わるもんだ。


「そしてキーチローさん。宜しくね」

「あ、はい。宜しくお願いします」


 正直言ってベルの正体というか本性? を知っているからには滝沢パイセンのようにヘラヘラできない。どうやって社会人としての生活を守るかが重要だ。


 この立場を失った場合、俺は魔物動物園の管理人として箱庭に閉じ込められかねない。一生をモンスターのお世話に費やすなんてとんでもない! 俺には素敵な家庭を築くという最上位の使命があるんだ!


「私は広瀬 結衣ひろせ ゆいです。私もまだ入って一年ちょっとなので一緒にがんばりましょ!」


 広瀬さんは我が経理部の、否、株式会社来都らいとカンパニーのアイドルだ。小さくて可愛くて性格も穏やかでみんなから愛されている。いや、ごく一部の女性人気は極めて低いようだが。ま、これは人間社会のさがというかなんというか……。ベルの登場で彼女に対するヘイトの一部でも緩和されれば儲けたもんだ。


「広瀬さんね。宜しくお願いします」


「そして私が部長をやっている皆川 正博みながわ まさひろです。急な話でビックリしていますが、人事部からは太鼓判を押されているので心配はしてません。ちょうど空いていた課長の席が埋まってむしろ安心しています」


「どのようにご評価いただいているかはわかりませんが、しっかりと職務を全ういたします」


 新任の挨拶が馴染みすぎてて気持ちが悪いくらいだ。後は仕事ぶりだな。まだ頭の整理が追い付いていない俺はとりあえず現状を棚上げして仕事に戻った。


「キーチローさん、ではこの書類を仕上げておいていただけますか?」

「キーチローさん。聞こえているんですか?」

「キーチローさん。部下ならキチンと返事はしてくださいね」


 ベルが来て2時間が経った。この人、人間界に馴染みすぎてて気持ち悪いんですけど。ていうか仕事バリバリこなしてて怖いんですけど。さすが、魔王の側近。信頼を置く部下だ。もう俺から言う事は何もない。


 そうだ、2ヶ月前までパワハラ&セクハラをかましていたあの課長の代わりと考えれば地獄の使者がいてもここは天国なんだ!



…………たぶん。

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