コンノアヤミ その2

 物心ついた頃から、私の両親はキリスト教系の新興宗教団体にのめり込んでいた。家の中のあちこちに、その宗教団体からの施しだという、十字架を模したようなセンスの悪い装飾品が飾り付けられていた。休日には無理やり教会の偽物みたいな場所に連れていかれたし、食事前にはよくわからないお祈りをさせられた。就寝前に母は子守唄代わりに本を読んでくれたが、それは決まって絵本ではなく聖書だった。母はまだ漢字もろくに読めない私に、旧約聖書の内容も新約聖書の内容も噛み砕いて私に読み聞かせた。

 その中でも特にしつこく読み聞かせられたのは、アダムとイブの話だった。最初の人類で、楽園から追放された罪人。蛇に騙され、無駄な知恵を得て、神からの庇護を失った哀れな男と女。母はその部分を私に読み聞かせるたびに、こう言った。

「この話の中でね、一番悪いのは誰だと思う? 追放した神様? 神様を裏切ったアダムとイブ? 違うよね? 一番悪いのは、純粋な二人を騙した蛇だよね? 人を騙すなんて、いけないことだもの。じゃあ何で蛇は二人を騙したのかな? それはね、シットって感情のせいなのよ。アヤミにはまだわからないかもしれないけどね、シットっていうのは自分さえ良ければいいっていう悪い感情なの。だからね、あなたはそんな感情を持ってはダメよ。この蛇みたいになっちゃダメよ。蛇は悪いやつなんだから――」

 しかし、私はそう思わなかった。私には、蛇の何が悪いのかわからなかった。アダムとイブの話は、まるで蛇を悪者にしたいがために書かれた物語にすら思えた。

 一番悪いのは、アダムとイブだろう? 簡単に蛇の言葉を信じて、自分たちの居場所を自分たちで放棄した無能な人間の祖だろう? のちに兄弟で殺し合う子どもを産む、脳足りんの男女二名だろう? こんな能無しの男女が最初の人類だったから、今の連中もろくなやつがいないのだ。クズばかりなのだ。一体蛇の何が悪い? 蛇はこんなろくでなしどもを楽園から追放するという善行を実行しただけではないか。自己陶酔中の神の目を醒まさせようとしてやっただけではないか。蛇が悪者だと思うのは、そういう風に相手のせいにして、自分の責というものをまるで考えようとしないからだ。自分は特別だと思っているからだ。反吐が出る。もし蛇がシットという感情によってアダムとイブを騙したというのなら、それはきっと正常な感情であるはずだった。それを否定するものこそ、悪であるはずだった。

 ――まあ、こんな拗らせたようなことを、さすがに漢字が書けない年齢で考えたわけではない。私がそんな風に思うようになったのは、中学生になってからだ。

 それまで私は別に聖書の言葉も母の言葉も本気で信じるつもりはなかったけれど、否定するような自意識もなかった。小学校卒業後、父のコネで、中高一貫のカトリック系の学校に入れられた。その頃から、段々と濁った自意識が湧いて出てくるようになっていった。

 大なり小なり、思春期頃になればそういった自意識とは勝手に湧き出てくるものだから、こうやって自然と捻くれていったのは、私だけではなかった。そう、私は特別なんかではなかった。私は自分が特別ではないと知っていた。私はアダムとイブのようにはならない。自分が特別だなんて思い上がったりしない。私は蛇の側になるのだ。騙されるのではなく、騙す側に。毎晩聞き飽きた聖書の文言を母に読み聞かせられながら、瞼で閉ざされた眼球の奥で悦に浸りつつ、夢も憶えていないような眠りに落ちていった。

 あの頃の私は、とても幸福だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る