マルイヨシキ その4

「――ま、魔法少女って、そんな幼稚な」

 しばらくしてようやく出た俺の言葉は、馬鹿にしたような笑いを含んでいた。あまりにも滑稽な状況に、つい妙な笑いが込み上げてきてしまう。しかし、それと裏腹に、全身から流れ出る冷たい汗は止まらず、手に持つ紙切れはもはやぐちゃぐちゃになっていた。

「まあはい、幼稚ですよね、本当に」

 イチノセは苛立つ様子もなく、にやにやと笑ったまま同意する。

「そもそも――その子は誰なんですか? 確かに背格好とか年齢とかはアマサキと同じくらいですけど、どう見たって別人じゃないですか?」

「いわゆる認識阻害ってやつですよ。ヒーローものとかでも基本でしょ?」

「いやいやいや、そんな、漫画やアニメの世界じゃないんだから――」

「でも今のこの状況自体が、十分非現実的じゃないですか」

「そう簡単に信じられるわけないだろ。――そうだ、ドッキリだろ、これ。どこかのテレビ局の一般人を対象にした悪趣味な企画だ。それでお前らは無名の役者で、それでその子は――ふざけたコスプレをした俺の知らない子だ。アマサキなんかじゃない、アマサキじゃ――」

「テレビ番組にしては悪趣味過ぎると思いますけどね」

「うるさい、じゃあその子がアマサキだって、証明してみせろよ!」

 俺は混乱のあまり怒鳴り声を上げたが、イチノセは表情を崩さず、背後のナカムラとサクラダという男二人も退屈そうに突っ立っているだけだった。女はひとり何か渋面を作っていて、イチノセに近づいてこそこそと耳打ちをしていた。イチノセはそれを聞き終わると、わざとらしく大きく頷いた。

「じゃあ、一旦変身解除してもらいますか」

 そう言うと、イチノセは水色少女の前に立った。かと思うと、ぱちんと何かを弾くような甲高い音が空き教室に響いた。平手打ちしたのだ、と気づくのには苦労しなかった。

 イチノセが退くと、少女と目が合った。少女は俺の顔を見た途端、まだ重そうにしていた瞼を目いっぱい開けた。その目は、人工物のように不自然に鮮やかな瑠璃色をしていた。

「――マ、マルイ、先生――」

 微かな声だったけれど、少女の口からそう漏れるのが聞こえた。

「アマサキさん、アマサキさん、ちょっと変身を解除してくれる?」

 イチノセが少女の肩に手を置きながら笑いかける。少女はイチノセの方を鋭い目つきで睨んだ。

「何なのっ、これ! 一体どういうことなのっ!」

 少女の口調は毅然としていたけれど、語尾が震えていて、狼狽していることがわかった。

「どういうことって、見た通りだけど。今日の撮影は教師と生徒の禁断のやつ的なのにしたくて。一応その格好でやってもらうけど、一旦変身前の姿見せないとマルイ先生が信じてくれなさそうだからさあ。だから変身解いてってお願いしてるんだけど」

 イチノセは少女に対しては砕けた調子で話しかけた。表情には変化がなかった。

「なっ、なに言ってんのよっ! 先生となんて――できるわけないでしょっ!」

「君に拒否権ないのはわかってるよね。僕だって心苦しいよ、人間だもん。でも仕事だからさ、頼むよ」

「い――」

「嫌って言った場合はまあ当然だけど――」

 イチノセが少女から視線を外して、また俺の方を向いた。そのとき、呆然としていた俺は背後に急に出現した気配に気づいた。とっさに振り向こうかと思ったけれど、首が上手く回らなかった。背中に何か冷たく硬いものが押し付けられている感触があった。拳銃を連想した。もちろん拳銃なんて突き付けられたことはないけれど、何かのつまらない映画かなんかでこんなシーンがあったような気がする。

「ちょっ、先生に手を出さないでよっ! 関係ないでしょっ!」

「関係ないって、君の担任じゃん。関係あるじゃん」

「そういうことじゃないっ! 先生は魔法少女のこととは関係ないってことよっ! 私はどんな目に遭ってもいい! でもマルイ先生を――関係ない人を巻き込むのはやめてっ!」

「先生にはちゃんと報酬出すよ」

「だからっ、そういうことじゃないなんだってっ!」

 喚き散らす少女を無視して、イチノセの次の言葉は俺に投げられた。

「マルイさん、本当はもうわかってるんでしょ?」

 俺は目を泳がせることもできなかった。イチノセからも少女からも、目を逸らせなかった。

 俺は数秒ほど肩を強張らせたあと、息を吐いてそれを落とした。無意識のうちの動作だったけれど、それが観念の合図だということは自分でもすぐにわかった。

「――はい、認めますよ。その子はアマサキです」

 少女――アマサキが驚愕したと言わんばかりに目を白黒させる。

「せ、先生? な、何で私の正体――」

「知ってるんじゃなくて、わかったんですよね?」

 アマサキを遮ってイチノセが先回りしてくる。

「――そうです。正直、この教室に入った時点で、わかってました」

 もはや嘘をつく意味なんてないと悟った。こんな非現実的な空間に放り込まれて、今更現実を主張したところで仕方ない。いつどこでこんな馬鹿げた世界に足を突っ込んでしまったか知らないが、目に見えているものを否定したところでどうにもならなかった。

「どうしてっ、そんなっ、わかるはずが――」

 アマサキは動揺し、瑠璃色の瞳がぐるぐると回る。そんなアマサキを目の前に、俺は顔を伏せて首を横に振った。

 そんな俺とアマサキを尻目に、イチノセは満足そうに頷いた。

「わざわざ変身解除してもらう手間が省けて良かった。それじゃ撮影の協力、お願いできますかね?」

「あの、さっきから撮影撮影って、一体何の――」

「先生っ、ダメっ! 逃げてっ!」

 撮影という単語を耳にした瞬間、少女ははっとした表情で俺に向かって叫んだ。俺は首どころか踵も上手く回らず、その場に突っ立ったままだった。

「あれ? マルイさん、我々の自己紹介聞いてませんでしたか?」

 そこで、あまりの混乱に吹っ飛んでいた数分前の記憶が巻き戻った。

「あ、確かアダルトビデオで、相手役って――」

「そうです。マルイさんには彼女の――アマサキヒカリさんことスカイシャインさんと性行為をしていただきたいんですよね」

「は? 性、行為? 正気ですか?」

「それを言うなら、この状況自体が正気じゃないと思いますけど」

 イチノセはお道化たように肩を竦める。ふと背中に押し付けられていた感触が消えていることに気づいて、意を決し、振り向いた。あれだけ固まっていた首がすんなり動き、背後が見えた。ドアが消えていた。ドアがあったはずの場所は、ただの白く塗られた壁になっていた。

「うん? もしかしてアマンダさん、もう帰っちゃった?」

「あの人、いっつもさっさと帰りますね。やる気ないんですかね?」

 ここまでずっと黙っていた知恵の輪の男――確かサクラダというやつが、イチノセの疑問の声に、愚痴のような調子で答えた。

「――やる気ないっていうか、やることやって後はお任せって感じじゃないですか? 一応撮影は僕たちの仕事で、あの人――人じゃないか、なんかあの何かさんはこういう撮影場所を用意してくれるのが仕事ですから」

 大きなカメラを担いだ――確かナカムラという男がさらに重ねるように言った。サクラダも大概だったが、ナカムラも酷く退屈そうな顔をしていて、ともすれば怒っているような気配すらあった。

「撮影、早くしてくれませんか?」

「ごめんごめん。――マルイさん、時間も立て込んでるんでちゃっちゃっとお願いします」

 イチノセの催促に、俺はとにかく首を横に振る。

「いや、いやいやいや、おかしい、おかしいですよ。この空間も変だし――その、俺はやるなんて一言も言ってないじゃないですか。何で俺が、そんな――」

「でもマルイさん、あなたアマサキさんのことが好きですよね?」

 えっ、と素っ頓狂な声を発したのはアマサキだった。俺はつい叫びそうになるのを堪え、ゆっくり息を吐くように返答した。

「そりゃ、生徒ですから。好きではありますよ――」

「この期に及んではぐらかすんですか? それは先生として誠実じゃないと思いますけど」

「何を言って――」

「アマサキさんのことが女性として好きなんですよね、マルイ先生」

 俺は言葉に詰まった。言い返さなければ、否定しなければと、頭の中でそう喚き立てる声がうるさいというのに、俺の口は震えるばかりで、「ちがう」と三音すら出てこなかった。

 アマサキが目を大きく見開いたまま俺を見ていた。真偽を問いかけるように。

 俺は――折れた。

「――そう、です、俺はアマサキのことが、女性として、好き、です」

 喋ってしまえば、すっと胸のつかえが少しだけ外に吐き出されたような気がした。その声は不協和音となって、延々と狭い空き教室の中で鳴り響いた。

 アマサキは俺から目を逸らすように、そっと俯いた。耳の淵がほんのり赤らんでいた。

 イチノセは変わらず嫌味に頷く。

「だったら迷うことはないでしょう。好きな人とやれる機会なんですよ。男だったら、こんなチャンスは逃せないじゃないですか」

「そ、それでもこれは犯罪じゃ――」

「大丈夫ですよ、うちは守秘義務だけはしっかりしてるんで。マルイ先生がいくらはっちゃけたってその情報は外には漏れませんし、こそこそ噂されたり逮捕されたりなんてこともありません。信用はまだできないでしょうけど、きっと協力していただければわかりますよ。それに、タダでというわけでもありません。報酬もそれなりに。もちろん現金ですよ、ちゃんと本物の。好きな子とセックスできて、お金も貰える。こんな美味しい話はなかなかありませんよ。ってこんな言い方したら詐欺師っぽいですかね? こちらが脅したりは一切しませんからそこらへんはご安心を。我々も犯罪やってますしね」

 俺はもうイチノセの言葉を聞いているのだか聞いていないのだかよくわからなかった。文章として聞こえてはいるけれど、意味を理解するに時間がかかった。アマサキは何一つ発さずに俯き続けている。俺のガラクタ脳みそはただただ掻き回る。

 夢を思い出す。モザイクのかかったアマサキの裸の夢を。それを忘れたくて、振り切りたくて、何度も目を逸らし続けてきた、避けようとしてきたのに――大木に挟まれた足の骨は複雑に骨折している。足を無理やり引き千切ることくらいしか、この場から抜け出す方法を思いつけない。しかし、本当に抜け出したいのだろうか?

 アマサキと性行為がしたくないと? そんなわけはない。俺だってわかっている。あんな夢を見たのだ。一度ではなく、何回も。やりたい――その感情は覆い隠せるほど小さくない。たんこぶみたいにぷっくら膨れ上がって、がんみたいにじわじわと染み出していく。やりたい、やりたい、やりたい――でも、それをしたら俺が今まで歩いてきた道は何だというのだ。せっかくここまで来たのに、今更諦めろというのか。嫌だ。ようやく積み上げたのに。今度は崩さないように慎重にやってきたのに、何でこんな――こんな馬鹿みたいに幼稚な状況に飲み込まれて――ふざけるな、クソクソクソクソクソクソ――。

 息が苦しい。ハンマーで叩かれているみたいに後頭部からがんがんと音がする。視界が点滅して、頭の中に溢れた靄が汗になって毛穴という毛穴から降り出す。膝が笑い、喉は乾き、心臓のあたりが痛くて――俺は唇を少し開けた。声はなかなか飛び出さない。

「はい、何でしょうか?」

 まだ一音も発していないのに、察したようにイチノセは首を傾げた。

「く――」

 俺は掠れた声で言った。

「口で――お願い、します」

 ――俺は自分の中途半端さに、笑うこともできなかった。

 口ならまだ良いと思ったか。下の穴にぶち込まなければ、まだ誤魔化しようがあるなどと浅はかな考えを持ったか。そんなわけないだろう。上だろうが下だろうが一緒だ。俺はもう道を歩くことを断念したのだ。積み上げたものをまた崩したのだ。もう戻れやしない。戻りたいとも思わない。俺はやはり結局――真面目なんかではなかった。

「わかりました、今回の撮影は先生へのご奉仕といった感じでいきましょう」

 イチノセは了解すると、またアマサキさんに笑いかけた。

「ということだから、よろしく」

 アマサキは俯かせていた顔を上げ、目元を潤ませて俺を見つめていた。その目には悲哀のような失望のようなよくわからない暗い感情が浮いていた。そのアマサキの目に、俺はショックすら受けなかった。もはやその目すら、幼稚なものにしか思えなかった。

 俺はもう自棄だった。正気でいたくなかった。だからズボンを引き下ろしながら駆け足でアマサキに近づいて、その小さく開けられた口に、無理やり自分の一物を捻じ込んだ。陰茎はすでにパイプのように太く、硬くなっており、勢いよくアマサキの口内に突き刺さった。

 アマサキは顎が外れたように大きく口を開き、俺の陰茎を飲み込んだ。アマサキの粘膜や唾液に触れ、背筋に熱い痺れが駆け上がった。アマサキは「ぐうっ」だとか「むうっ」だとかいった、苦しげな呻き声を上げる。目元に滲んでいた涙が、頬を伝い落ちていく。

「おおっ、いきなりやりますねえ! ナカムラ、ちゃんと撮ってる?」

「撮ってますよ、もちろん」

 ナカムラが嬉々とした調子で、カメラのレンズを俺とアマサキの接合部に向けている。心なしか、そのカメラのレンズは水を得た魚のように元気に輝いているように見える。

 サクラダはそんなナカムラの背後で、「やっと始まったか」とばかりにため息をつき、ちらちらと腕時計を確認していた。

「予定よりも時間だいぶ押してますよ」

「まあまあ、別にこの後は撮影の予定ないんだし。マルイさん、もっと身体を動かしていいですよ。遠慮することはないです。思いっきり出しちゃってください」

 イチノセの甘言に、俺は腰を上下に動かし始める。アマサキの頭を髪ごと引っ掴んで、奥に押し込み、しっかり固定して、自身の陰茎に刺激を与えていく。

「うぐぶぶぶぶぶぶぶぶっ――」

 アマサキは溺れているような呻きを上げ続ける。俺は徐々に腰の動きを激しくさせ、何度もアマサキの喉仏を突く。足の先から頭の先まで痺れが支配する。構わずに腰を振る。下半身に集まった感覚が、前へ前へと押し上げられていくのを感じる。俺はさらにアマサキの頭を強く押し込んで、縦横無尽に陰茎をアマサキの喉で扱いた。

 そして脳裏で火花が散ったかと思った瞬間、何の前触れもなく射精した。先の方から溢れ出したそれは、どくどくとアマサキの口の中に流し込まれた。アマサキは俺の陰茎ごと吐き出したそうに何度かえづいたあと、ぐびぐびと喉を鳴らした。

 倒れそうになるのを堪えながら陰茎をアマサキの口から引き抜くと、唾液やら先走りやらでびしょ濡れになったそれは、力なく俺の股の間に垂れ下がった。

 アマサキは惚けた目をして、だらしなく舌をはみ出させて呆然としていた。その顔を見た瞬間、先ほどまで夢中になっていた快楽も忘れ、心底から濁った感情が湧き上がってきた。

 ――それは怒りだった。途轍もない怒りだった。閉ざされた道への。崩れ去った真面目への。台無しになった人生への。無意味になった自分への。俺のこんな心情など露知らず、赤らんだ顔を晒している、目の前の女への――。

 八つ当たりだった。わかっていた。こんなことは八つ当たりだと。しかし、八つ当たりをしないという選択肢はなかった。どうしようもなかった。俺は狂っていた。狂ったふりをしたかった。馬鹿になりたかった。何も考えないで平気な馬鹿に。

 だから俺は殴った。アマサキを、全力で、拳で殴った。アマサキは顔面をぐにゃりと歪ませて、縛られている椅子ごと後ろに倒れた。俺はさらに圧し掛かるようにして、アマサキの顔面を殴った。何度も殴った。腹に蹴りも入れた。唾も吐き捨てた。とにかく乱暴に、アマサキを荒らした。周りの何もかもを見ずに、ひたすらアマサキを攻撃した。

「はいはい、ストップストップ」

 ――振り上げた腕を掴まれて、俺は我に返った。

 声をかけたのはイチノセだったけれど、腕を掴んでいたのはサクラダだった。ナカムラは床に椅子に座った状態のまま倒れているアマサキを撮影していた。

 アマサキの顔は酷い有り様だった。紫色の痣があちこちに浮かび、口元や鼻からは何筋か血が垂れ流れていた。銀色の髪は埃とともにぐちゃぐちゃと乱れ、瑠璃色の瞳は瞼の上側へ引っ繰り返り、白目を晒していた。もはや美人の面影もなかった。

「派手にやりましたねえ。まさかここまで殴るとは思いませんでした。これは企画変更ですね。生徒からの先生へのご奉仕ではなくて、先生と生徒の禁断のDV愛って感じですね。大丈夫ですよ、買い手は減りますけど、需要はあるんです。こういう殴られてる魔法少女が見たいって人もそれなりに。それだけ値段を吊り上げることもできますしね。だからご心配なく。ちゃんと報酬はお支払いしますので」

 イチノセが何やら喋っていたけれど、一割もそれを意味のある文章の塊として捉えることができなかった。ちかちかと目の奥にフラッシュが焚かれたと思うと、視界が一気に床へと墜落して、俺はしたかかにその場に身体を打ち付けた。いつの間にかサクラダは俺の腕から手を放していた。俺はそのまま薄っすらと降り積もっている埃を横目で眺めながら、暗転していく意識の底に沈んだ。

 床と埃は、えらくしょっぱかった。

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