第24節 -秘めたる想い-
クリスマスの夜。外は未だ大勢の人で賑わいをみせている。時刻はまもなく午後9時を指そうとしていた。
エルジェーベト公園のブダペスト・アイと呼ばれる観覧車の近くでレオナルドとフランクリンは待機していた。待ち合わせの相手は国際連盟の二人だ。
元々エルジェーベト公園ではスィゲト・アイと呼ばれる別の観覧車が季節限定で設置されていたが、十数年前から公園の新たなシンボルとして通年運営される観覧車が設置された。
その観覧車がブダペスト・アイである。今では観光客で賑わうランドマークとして名高く有名だ。
高さ六十五メートルの巨大な観覧車は最大八名乗りのキャビンが41基と最大六名乗りのプライベートキャビン1基の合計42基が設置されており、乗客の乗降時間を除いて三回転ほど、およそ10分弱の間回転をする。
レオナルド達が巨大な観覧車を見上げていると、後ろから聞き慣れた少女の声が聞こえた。
「スィア、レオ。フランク。」
振り返るとそこには満面の笑みを浮かべた彼女と、常に彼女の傍らに控えるもう一人の女性の姿があった。
マリアとアザミ。この場での待ち合わせを持ち掛けてきた本人達だ。
「おやおや、少し待たせてしまったようだ。君の祖国では五分ほど遅れるのがマナーと聞いていたから先に到着したと思ったのだけれど。寒い中すまないね。」言葉とは裏腹に特に悪びれた様子はなくマリアは言う。
「仕事とオフは別だ。それに、イタリア人の誰もがそうという訳ではない。」レオナルドが返事をする。
「律儀だねぇ。そういうところは本当に昔から変わらない。」
「君も変わらないが。マリー。」
「誉め言葉として受け取っておこう。遅刻した訳でも無いから良しとしてくれ給え。」
二人はいつもの挨拶を終えると早速話の本題へと入る。
「マリー、我々をわざわざ此処へ呼んだという事は何か直接話したい事があるのだろう?」
「ご明察。外で話すような事でもない。まずは目の前の観覧車に乗ろうじゃないか。」
レオナルドの問い掛けにマリアは返事をした。予想はしていた事だが観覧車の中で話をするようだ。
外で話すような事ではないと言い切る様子から、内容はやはり例の事件に関する事だろう。
四人は揃って観覧車へと歩みを進める。クリスマス用にライトアップされた観覧車が冬の夜空に美しく輝いている。
「プライベートキャビンを予約してあるんだ。街並みがとても綺麗に見えるというから楽しみでね。」無邪気に笑う少女が先頭を歩く。
マリアがスタッフへ四人分のチケットを渡し、白いアーチ状の搭乗ゲートを全員がくぐりキャビン搭乗口へと進む。
プライベートキャビンが搭乗口に隣接し、スタッフに案内された四人は中へと乗り込む。全員が乗り込むのを確認したスタッフが最後に扉を閉めた。キャビンの中はエアコンが効いていて暖かい。
マリアとアザミが並んで座り、対面にレオナルドとフランクリンが座る。間もなく全乗客の搭乗が完了した観覧車は通常速度で回り始めた。
「随分と速く廻るものだな。」
「そこがまた面白いところなんだよ。南アジアにある絶叫マシン並みのものほどではないけれどね。」
レオナルドの感想にマリアはいつもと同じ笑顔で返事をした。そして観覧車がある程度進んだところでマリアは話を本題へと移す。
「さて、夜景を眺める楽しみもあるが、そう時間も無い。手短に必要な事を伝えるとしよう。ここには監視カメラや盗聴器の類も無いから安心して話してもらって構わない。」
つい先ほどまで無邪気に笑っていた少女の顔が真剣な顔付きへと変わる。
「話というのは例の事件についてですね?」フランクリンが確認をする。
「その通り。君達が総会に出席している間、私たちは例の事件を追いかけていた。」フランクリンの質問にマリアは答えた。
「先ほどのニュースでは国境沿いの町リュスケで難民狩りの犯人が目撃されたとの情報を流していたが。」
「目撃されただけというのは正確ではない。まぁ、それは置いておこう。」レオナルドの言葉に答えたマリアの表情は今まで彼らに見せたことがないほど厳しいものになっていた。
「早速だが、これが今回の犯人の情報だ。君達にデータを渡そう。」
マリアはそう言うとスマートデバイスのデータをレオナルドとフランクリンのデバイスへ転送をした。二人は送られたデータに目を通す。
出身、国籍、年齢、名前などあらゆる情報が不明となっている男のデータだった。
幼少期を孤児院で過ごし、そこから脱走した後は犯罪に手を染め逃亡を続けていたという経歴が表示されている。
「男は一時期、難民収容所にいた事がある。この国の国境を越えて不法に他国へ移動しようとした為だ。そして収容されていた時期についた呼称が【ライアー】だった。その男についた唯一の名前といってもいい。」
「嘘つき、か。」マリアの言葉を聞いたレオナルドが呟く。その呟きをマリアは肯定しつつさらに話を続ける。
「そう。男は周囲の同じ立場にいる人間だけでなく、警備の人間を含めありとあらゆる者に嘘をついては問題を起こしていた。ある時を境にして品行が改まったそうだけど、結局のところ脱走の機会を窺う為の偽りの態度だったという事も分かっている。」
マリアがそこまで話し終えた時、今度は彼女に代わってフランクリンがデータの最後に記載された内容をまとめた。
「そして男は施設からも逃亡。その後はインターポールによる国際指名手配をされるも足取りは不明。しかし、この男は一ヶ月ほど前に突如この国に再度現れて例の事件を起こし犯罪を重ねていった…と。」
「あぁ、そして先日アシュトホロムで事件を起こした後、昨夜に農業用トラックを盗み出しリュスケへ移動。今日のニュースに至るというわけだ。」フランクリンに同意したマリーは最後に付け加えた。
「しかしマリー。この男の情報というのは、君達セクション6が主に取り扱っている機密の一つだろう。我々に情報を漏らしてどうするつもりだ。」レオナルドが真意を尋ねる。
「それはわたくしからお話を致しましょう。」アザミが切り出す。
「その男は貴方がたに調べて頂いた例の軍事機密にあたる擬装を身に着けていました。スイッチひとつで人間の視覚はおろか、AI監視カメラや赤外線センサー、警備ドローンなどの監視網を切り抜けられる完璧なステルス性を備えた代物です。それが一体どこから漏れたものなのかを確認する為に “本人に直接” 尋ねた結果、【プロフェター】と名乗る人物から渡されたと証言しました。」
「身内の不始末ではないという確認も兼ねてね。」アザミの言葉にマリアが一言付け加えた。
「待て、君達は直接この男に遭遇したのか?」驚いたレオナルドが確認する。
「そうだ。何しろメディアの言う目撃者というのが私達の事なのだから。だが、彼らにはその事についての情報は一切伝わっていないがね。目撃された後の事も含めて。」マリアが返事をした。
「目撃された後の事だと?」レオナルドが問う。
「それについては明日の朝のニュースでも見てくれ給え。それよりも君達に聞きたいのは、プロフェターと名乗る人物について心当たりがあるかという事だ。」
「無いな。それにしても預言者か。大それた名を名乗るものだ。」レオナルドは間髪入れずに返事をする。
「私も総監と同じく。」フランクリンも追随した。
「あの男はその人物から【お前は神に選ばれた。望みを叶える為のものを渡す。】と言われてそれらを手に入れたようです。」
「逃走をしていた犯人にとってはまさに神の奇跡のような道具に映ったでしょうね。」アザミの言葉にフランクリンが感想を述べる。
「あまり歓迎すべき物言いではないが、それは間違いないだろう。」マリアがフランクリンを一瞥して言う。
「なるほど。そこまで調べても尚、情報を漏洩させた人物へ辿り着く手がかりはその預言者という単語以外に見つからなかったという訳か。」
「悔しいけれどね。」レオナルドの言葉を否定できないマリアは吐き捨てるように言った。
「君達をもってしても尻尾すら掴めない相手か。難儀なものだな。では、我々も与えられた課題というものに対する答えを渡すとしよう。ゼファート司監。頼む。」
「承知しました。」
そう言うと今度はフランクリンがアザミとマリアのデバイスへデータを送信した。
「これは貴女がたが送ってきた画像データをセントラルで解析させた情報の全てです。先にお伝えした内容の他に、新たに判明した点についてもまとめておきました。」
「これは凄い。改めて言うけど、律儀なものだね。」データに目を通しながらマリアが呟いた。
「疑惑の目を向けられたままというのも気分が良いものではないからな。ここはひとつ君達に対して貸しのひとつでも作っておく方が後々に有益だと判断しただけだよ。」
「なんと抜け目のない事で。しかし、私達も先に機密を教えたんだ。この情報を知っていれば、他国から今回の件について疑いの目を向けられた場合における事前対策ができる分、十分に有益だろう?プラスマイナスはゼロだと思うけれど。」レオナルドの言葉にマリアが反論する。
それを聞いたレオナルドは満足いく回答が得られたとでも言うようにすぐに返事をした。
「ではそれで良しとしよう。我々と君達の間に貸し借りは無しだ。」
「まったく食えない奴だよ、君は。」レオナルドの真意に気付いたマリアは苦笑しながら答えた。
「お互い様だ、マリー。だが、この程度のやり取りで矛を収めるなど。どうやら今日の君はいつもと比べて精彩を欠いているように感じる。常日頃の君なら、私のそんな簡単な思惑などわけもなく看破するだろうに。何かあったのかね?」
レオナルドの質問にマリアは目を逸らしたまま黙り込んだ。
「そういえば、昨日一緒にいた青年はどうした。」
「君には関係のない事だろう。」
不機嫌さを隠そうともせず、珍しく感情を顕わにして語気を強めるマリアにレオナルドは目を細めた。
かれこれ数十年の付き合いになるが、彼女がこのように余裕の無い態度をとる事などかつて見たことが無かった。
その様子を見て、何を語るまでも無く例の青年という存在が彼女にとって特殊な存在となっているのだと理解した。
「失言だったか。非礼を詫びよう。なに、君達が第三者と行動を共にするというのが俄かに信じられなくてね。柄にもない質問をしてしまったようだ。プライベートに踏み込むような真似をしてすまなかった。」
「いや、こちらこそすまない。感情的になってしまった。」ばつの悪そうな表情をしたマリアがレオナルドに詫びる。
窓の外ではブダペストの夜の街並みが美しく広がっている。クリスマスイルミネーションと混ざり合った幻想的な光景だ。
「ねぇ、レオ。君は今のこの世界は美しいと思うかい?」
外を眺めたままマリアがふいに問いかける。彼女らしくない質問だ。
どういう意図で尋ねて来たのかレオナルドは一瞬考えたが、おそらく今の彼女の問いは言葉通りの問いだろうと感じられた。
少し考えた末に首を横に振りながらレオナルドは答えた。
「私にとっては難しい質問だな。この世界の自然や積み上げて来たもの、人の営みは尊く美しいものであると信じたい。しかし、それが全てではない事を知っている。まさに君達が今回追ったという事件のようにな。それ以外にも私が演説で話したように様々な問題を抱えたままのこの世界を美しいものだと言い切る事は難しい。…だが。」
そこまで言って言葉を区切ったレオナルドにマリアは視線を向けた。
「だが、やはり私はこの世界が美しいものであると信じたい。それを守る為に我々機構は活動し、それを守る為に私は私の意思をもって今を生き、出来る限りの最善を尽くしている。そしてその為に集ってくれた仲間がいる。隣にいるゼファート司監のようにな。そうしたものも含めて私はこの世界の在り方は美しいものであると信じたい。」
「信じたい…か。」
それ以上マリアは何も言わなかった。レオナルドへ向けた視線を再び窓の外に向ける。
フランクリンもアザミも何も言う事はない。四人は観覧車でのひと時が終わるまでの残り時間、それぞれがそれぞれの思いを胸にして窓の外の景色を眺めていた。
およそ十分が経過し、観覧車での遊覧を終えた四人はキャビンから外に出る。暖房の効いたキャビンから出ると冬の冷気がすぐに体を包み込んだ。
「では、私達はこれで失礼するよ。」
つい先程まで見せていた虚ろな表情では無く、いつものような笑顔を浮かべてマリアが言う。
その一言だけ言い残すと、マリアとアザミはエルジェーベト公園を後にして夜の街へと消えていった。
「我々もホテルへ戻ろう。この寒さは老体には厳しい。」レオナルドがそう言うとフランクリンは軽く頷く。彼女達とは反対方向に向けて二人は歩き出す。
機構の二人もエルジェーベト公園を抜け、宿泊先のホテルへと引き返して行った。
* * *
マリアとアザミはオクトーベル6.通りからホテルへと歩みを進めていた。クリスマスマーケットで賑わう大通りとは違い、裏通りは人通りもまばらだ。
二人の間に会話は無い。歩く際のヒールの音だけが静かに響く。マリアはレオナルド達と別れてから、ずっと虚ろな表情を浮かべたままであった。
二人がメールレグ通りへと繋がる交差点へ差し掛かった時、マリアはふと歩みを止めた。
その場所は昨日フロリアンと初めて出会った場所だった。マリアは俯いたまま無言でその場に立ち尽くす。
時間が流れるのがとても遅く感じられる。しばらくの間、考え込むように立ち止まったマリアであったが、結局そのまま何も言わずに再び歩き始めた。
この時マリアが自身の手をぎゅっと握りしめた事をアザミは見逃さなかった。何を考えているかは手に取るようにわかるが、敢えて何も言わずに彼女に続いて歩く。
午後9時半頃、ホテルへ戻った二人はレストランやカフェに寄る事なく早々と部屋へと入った。
「マリー、夕食はよろしいのですか。わたくしはともかく、貴女は…」アザミは努めていつもと変わらぬように話し掛けたが、それを制止するようにマリアは言葉を被せる。
「気分ではないんだ。すまない。大丈夫。着替えたら休むよ。」マリアは振り返ることなく返事をする。
「承知いたしました。」アザミは一言だけ返事をする。
今、彼女に必要なのは時間だとアザミは考えていた。この二日間の出来事を整理する為の時間。言葉でもなく、行動でもなく、ただ一人で考える時間が必要だ。
それだけでは答えが出ない事も分かっているが、心を落ち着けて自分の本心に向き合う為の時間はやはり大切だろう。
そう確信していたアザミは何も言わず、いつものように彼女の着替えの用意に取り掛かった。
アザミが着替えの用意をしている間、マリアは柔らかなソファに腰掛けるとスマートデバイスに届いたメッセージを確認した。送り主は予想通りの人物だ。
メッセージの内容を読み終えると、何も反応を示す事無くメッセージを閉じる。
そのままソファの背に身を深く沈めて預けると窓の外へ視線を向け、夜空をじっと見つめた。
* * *
時計の針は午後10時を指し示す。
聖イシュトヴァーン大聖堂の前に彼女は一人で佇む。修道服に身を包んだ青い瞳の美しい聖職者。
ロザリアは広場に設置されたクリスマスツリーとイルミネーションを静かに眺めていた。
この地での目的を果たした彼女は明日ヴァチカンへと戻る予定になっている。その前に少しだけ首都の街並みを観光しておこうと思い立ち、付近の名所を巡った末に最後に訪れた場所が此処であった。
こんな時間ではあるが、クリスマスイルミネーションを見る為に訪れた家族連れや恋人たち、観光客で聖堂前の広場は大変賑わっている。
冬の空気は光をとても美しく見せる。イルミネーションが作り出す柔らかく幻想的な景色を切り取り、記録へと残す為に多くの人がスマートデバイスで写真撮影をしている。
ロザリアはそうした喧騒からは離れた場所からその光景を眺めていた。
この地に訪れて、一つだけ心残りだったことがある。あの人と直接言葉を交わすことが出来なかった。
憧憬、憎悪。あの人の事を想うほどに自身の中に黒い感情が湧き上がってくる。
数多の神の側面を持ちながら、悪魔へとその身を堕とした存在。
本来歴史上に存在するはずのない女神。神々の王の血を引く者。
冥界、地上、天界を統べ、復讐を司るトリプリーツェ・デーア。
人間の手によって悪魔へと貶められた告発者。
偉大なる多くの権能を持つ彼女は今、自らが助けた “死に損ない” の名付けにより【報復の花】の名で呼ばれているらしい。
彼女との対話を楽しむことが出来なかったのは非常に残念だ。しかし、焦る事は無い。近いうちに直接話す機会は訪れるはずである。
それよりも聖なる日の贈り物として用意した “出会い” がもう一人の彼女に届いた事は良かった。神を生み出す母の名を持つ彼女に対して、“引導を渡す” 為の事前準備。
我らへ仇為す者よ。アナセマ・マラナサ…
彼女が生み出そうとしている神はあまりにも危険だ。科学と宗教の究極的な調和と言えば聞こえは良いのだろうが、我々の信仰に対する冒涜ですらある。
彼女の命は千年前に潰えるべきだった。それをよもや “神であったもの” がただの気まぐれで救うとは。
運命に逆らった死に損ない。遠くない未来に人々に仇を為す者。可能性を否定した世界の創造を願う災厄の化身。
あのような存在を認めて良いはずがない。滅ぼさなければならない。
永遠の命というものを手にした彼女を葬る為にはどうすれば良い。
考えたところで隣にあの存在が寄り添う限り、どんな手を尽くしたところでそれは叶わないだろう。だが、方法が無いわけでもない。
現時点において、彼女を滅ぼす為の弱点が無いのであれば【新たに弱点を作れば良い】。それだけの事だ。
花婿よ、来たれ。
それに、 “神に選ばれし者” は私一人で十分だ。
「わたくしから貴女へ、最高のクリスマスプレゼントを…」
ロザリアは誰にも聞こえないような小声でそう呟くと、その場を静かに立ち去り夜の闇へと消えていった。
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