第2節 -それぞれの目覚め-

 12月24日

 翌朝、フロリアンは宿泊先のホテルのベッドで目を覚ました。

 時刻は午前6時。昨日はプロジェクションマッピングを観賞し、お目当ての美味しい料理で夕食を楽しんだ後はホテルへ戻って軽くシャワーを浴びた後すぐ寝てしまった。

 世界中を見て回ると決めてから数年間、様々な場所を訪ねて来たがその旅もこの地で最後だ。クリスマスが終わった後は祖国へ戻り、いよいよ自分の将来について考える時になる。

 どういう未来を選ぶのかまだ答えは自分の中でも出ていないが、それは帰国した後にじっくり考えようと思っていた。

 この地ではクリスマスマーケット以外にも、オペレッタ観賞、そして温泉も楽しみたいと思っている。

 ハンガリーは温泉が多い事でも有名だ。ルダシュ温泉やセーチェーニ温泉、ゲッレールト温泉など様々な場所に温泉がある。ゲッレールト温泉からゲッレールトの丘へ向かい夜景を楽しむのも良い。今日は街中を巡りながらこれらの場所もめぐってみようと思う。


 しかしまだ朝早い。少しゆっくりしてから出かけよう。そう思い何気なく部屋のネットテレビをつけると朝のニュース番組の最中だった。

 ハンガリー語は習得していない為細かいところは分からないが、どうやら長年欧州で問題になっている移民・難民問題についての報道のようだ。内容が気になったので放送言語をドイツ語に切り替えて見る事にした。

 しばらく内容を眺めていると一昨夜、ハンガリーとセルビア国境で起きた殺人事件の事が流れ始めた。難民を狙った犯行がここ最近立て続けに発生しており、未だ犯人は捕まっていないようだ。難民狩りという呼称で報道されている。

 そして次に今日の夕方から行われる国際連盟と国際機関による特別総会についての話が取り上げられた。


 欧州に限らず世界全土を揺るがしている移民・難民問題は祖国でもたびたび報道されている。まだ自分が物心つくかどうかという頃の話だが、過去には数十万人規模の大規模な受け入れも行われた事があるという。

 自分にとってはあまり実感の沸く話では無かったが、決して遠い場所の話ではない。世界は決して楽しい事ばかりではないという現実。それは難民問題に限った事では無い。各国を旅をする中で様々な事柄を目撃してきた。

 実際にこの目で見てきた世界各国の事などを思い返しながら、フロリアンはしばらくの間じっとニュース番組の映像を眺めていた。


                 * * *


 柔らかな朝日を浴びてマリアは目を覚ました。時刻は間もなく7時30分を刻もうとしている。ベッドの横ではアザミが椅子に座り佇む。

「おはよう。アザミ。」マリアが声を掛ける。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「ゆっくり眠れたよ。ベッドがとてもふわふわで気持ち良い。ここから出たくない。」まだ眠たげな表情を浮かべ、微笑みながらマリアは答える。続けて少女はアザミに尋ねた。

「君は昨日も眠らなかったのかい?」

「私に睡眠は必要ありませんから。貴女の寝顔を眺めている方が休めます。貴女を見守る事が私の生きがいですから。」柔らかなベッドに埋もれて幸せそうな表情を浮かべて尋ねてくるマリアを慈しむようにアザミは答えた。


 その答えが返ってくることをマリアは分かっている。アザミとはもう随分と長い付き合いだ。そう、とても長い。およそ “人間” という枠組みで考えられる寿命を幾度となく超越するほどに。

 アザミには睡眠はおろか、食事などといった人間的営みは必要ない。毎夜、眠る事なく自分を傍で見守る事が彼女の日課だ。

 そうした全てを分かった上で定期的に尋ねる。この質問は言葉通りの意味ではない。

 マリアにとって “見守っていてくれてありがとう” という趣旨の言い換えでもある。

 遠い昔から今に至るまで、彼女が自分に深い慈愛を与えてくれるのと同じように、これはマリアなりの彼女への愛情表現の一つなのだ。


 アザミにも分かっている事がある。

 マリアがその言葉を掛けてくるときは何か心の中で不安に感じる事や緊張を感じる事がある時だという事を。だからこそ、お互い答えが分かっているやり取りでもしっかりと答える。

 マリアがその質問に自分への感謝の気持ちを込めている事も知っているが、言葉通りではないもうひとつの意味がある。

 “私の傍から離れないでほしい” という意味だ。

 このやり取りをした日は普段より彼女が甘え気味になるのも、その思考の表れだろうと感じている。


 マリアが心に不安を抱えるいう事については、彼女がもつ特別な力が精神に影響を与えている事がほとんどだ。

 彼女が持つ特別な力とは未来を視る力。未来を読む力。未来を感じる力。一般的に予言と言われる類の力が彼女には存在する。

 その永久に変わる事の無い美しい容姿と未来を見通す様をもって、彼女を知る人物は口を揃えて彼女の事を【予言の花】と呼ぶ。


 アザミは遠い昔にマリアからその力の詳細について聞いた事がある。彼女は未来視の力は大きく分けて二つの種類があると言っていた。

 ひとつは【自分の意思で視ようとして見る未来】、もうひとつは【自分の意思に関係なく垣間見える未来】である。

 前者の力で視た未来については、その後の自身や周囲の行動によって結果をある程度変える事が出来ると聞いている。

 その反面、予期しない出来事が重なるなどの影響によって周囲の行動が “規定事項” から大きくずれたりすると、予言した未来の結末も変わる事があるという。

 故に自身の望む結末を実現させる為に、自身や他者の行動の変化によって生じる結末の変化パターンをいくつか視た上で最適解を選択する事がある程度求められる。

 つまり未来に辿り着くまでに訪れる分岐点のようなもの、又はきっかけ、トリガーといったポイントは正しい順番で迎えなくてはならないという事になる。

 後者の意思に関係なく垣間見る未来についてはどんなに行動を変えようとも、その事象へ辿り着く可能性を回避しようとしても結末を変える事は難しいらしい。

 それがどれだけ自身の望む結末から外れている未来だとしても、である。

 望まない未来を垣間見た時に出来る事は、せいぜいその結末を迎えるまでにそれを受け入れる心の準備をしておく程度の事だ。

 これらを踏まえて誤解を恐れずに言うならば、彼女の持つ未来視は “予言” と ”預言” の性質の違いを持つといったところだろう。


 マリアが甘え気味になる時というのは決まって、自分の意思とは関係なく垣間見える未来に悪い出来事があると予感している場合、又は既に垣間見た場合である。

 例えまだ預言による未来が見えていない段階においても、これから垣間見るだろう未来に対して良くないイメージを感じ取った時、それは彼女の不安や緊張にすぐに繋がる事になる。

 ただし、それは無意識下で行われている反射のようなものだと推測される為、本人が自身の不安が他者への接し方に影響を与えている事について意識しているかは分からないが。

 長年彼女に寄り添ってきた事で、アザミは感覚的にそれを理解しているのだ。


「さぁ、そろそろ起きて出かける準備をしましょう。」

 もう少しの間だけ、ベッドに埋もれるマリアを眺めていたい気もするが、いつまでもそうしているわけにもいかない。アザミはマリアに起きるように促した。

「そうだね。この心地よさは名残惜しいが、続きはまた今夜にしよう。」そう言って起き上がった少女に先ほどまでの眠たそうな表情は無く、その目はいつもと同じように赤く美しい輝きを持ってしっかりと開かれていた。


                 * * *


 同時刻、レオナルドとフランクリンはホテルのレストランで朝食をとっていた。目の前には焼き立てのパンや温かいスープが並ぶ。

 柔らかい日差しを浴びながら、ゆっくりと流れる時間の中でそれらを頂くレオナルドだが、昨日同様にどうにも心は落ち着かないままであった。

「総監。今日の会場入りは午後になりますが、それまでどこか出掛けられますか?」どことなく緊張している様子を感じ取ったのかフランクリンがレオナルドに尋ねる。

「そうだな。大事な総会前に褒められたものではないが、公園を散歩したい。今日も冷えるが外は良い天気だ。」外の景色を見てレオナルドは飾る事もなく素直に本心を言葉にした。

「エルジェーベト公園ですね。確かに穏やかな天気です。気分転換をすれば心も安らぎましょう。」

「あぁ、ありがとう。」フランクリンの気遣いを感じ取ったレオナルドは感謝の言葉を述べる。


 レオナルドは外から見える景色を眺めて物思いに耽る。過去を振り返れば同じような重大な場面というのは数多くあった。

 そういった時に近くで支えてくれていたのがフランクリンである。彼は自分が機構を設立した時から一緒に過ごす仲間であり、創始メンバーの一人だ。

 大きな決断を迫られた時には彼の意見に何度も助けられた。無駄を嫌い、合理性を好み、リアリストである彼の俯瞰的な意見はともすれば冷たい印象を与えがちではある。

 しかし、何かを決断するという時はそれが必要なのだ。義理や情けや人情といったものに流されてはいけない。

 総監としての自分は周囲から決断に躊躇が無いと言われる事があるが、それはある意味では間違いだ。自分の特性ではなくフランクリンから受けている影響が強いと思っている。

 フランクリンは昨日、貴方の選ぶ道を歩くと言ってくれたが、どちらかと言えば人情に流されがちな自分を正しい方向へ導いてくれているのは彼の方だろう。彼無くしてこの役職をここまで続ける事は出来なかった。


「総監?どうなさいましたか?」フランクリンが窓の外を眺めたままのレオナルドに声を掛ける。その声でレオナルドは思考の世界から我に返った

「すまない。少しぼうっとしていた。昔の事を思い出していてね。」

「そういった時間も必要でしょう。先の事を考えてばかりでは心が休まりません。」

 フランクリンの言葉に静かに同意する。レオナルドは温かなスープを飲み、軽く深呼吸をして気を落ち着かせた。

 為すべきことを為す。そのために自分達はここにいる。今日は重要な日だ。総会で発表する内容に対する責任と決意を改めて胸にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る