Re:Maria - 天使と悪魔 -
リマリア
序節 -享楽の叫び-
深夜。外を照らす灯りは無く、周囲には暗黒が満ちている。身を切るような冬の寒さが支配する暗闇の中、一人の男に死の瞬間が近付いていた。
「頼む、助けてくれ。お前が望むものを私が持っているのならくれてやってもいい。だが私にはもう何もない。何も無いんだ!」
しかし、その願いが聞き届けられることはない。命乞いをする男の頭に押し付けた銃の引金に指をかけた別の男が言う。
「良い声で鳴くじゃないか。でも残念だったな。命乞いなんてものは聞き飽きているんだ。それにお前は嘘をついている。何も無いだと?お前が今日の昼に大事そうに抱えていた鞄はどこに消えたんだ?」
「あれはもうここには無い。見ての通り渡せるものなんて何も無いんだ!」
知っている。この男が昼間に大事そうに抱えていた鞄は難民施設で過ごす家族へ向けた物資が詰め込まれていたものだ。
昼間の内に施設に受渡しするところを目撃していた為、この場所に存在しない事は最初から分かっている。
あの鞄の中には、もしかすると家族へ向けた手紙などというものも入ったいたのかもしれない。考えただけで虫唾が走る。
それでも敢えてこの男に鞄の所在を尋ねたのはただの “余興” だ。
それさえ手元にあれば助かったかもしれないという微かな希望が潰えて、絶望に打ちひしがれる様を楽しんでいるに過ぎない。
「まぁいいさ。それよりお前はさっきから何も無いと言い張るが、それは嘘だ。お前は俺の欲しいものを確かに持っている。」
「頼む、本当に何も無いんだ。見逃してくれ…」
「お前を見逃して俺に何の得があるんだ?分からないなら胸に手を当てて考えてみろ。」
「どうしてなんだ?どうして私なんだ?」
「神様にでも聞いてみると良い。存在すればの話だがな。どうしてかと、強いて言えばお前が馬鹿だからだ。国境を越えさせてやるという話にのこのこと乗った自分の浅墓さを呪え。それより、お前はさっき俺が欲しいものを自分が持っているならくれてやると言ったな?吐いた唾は呑み込めないぞ。」
もうすぐ。もう少し。この男の恐怖が絶頂に達する瞬間までもうすぐだ。絶望に歪み震える表情でもっと俺を楽しませろ。
男は引金に掛けた指に力を籠める。この昂りを抑えきれずにはいられない。自分でも気付かない内に頬を歪めたような笑いが溢れる。
自分が欲しがっているものについて、目の前で怯える男は答えを悟って尚、自らが助かる道を模索している。無駄な事だ。
この場における生への執着は死への恐怖を掻き立てるだけに過ぎない。
そして男は躊躇う事なく引金を引いた。サプレッサーを取り付けた銃から放たれた銃弾は男の頭部を打ち抜いた。
時の流れが遅くなったかのように目の前の男が膝から崩れ落ちる。たった今、世界からひとつの尊い命と魂が消え去った。
引金を引いた男は心の中で享楽の叫びを上げる。何物にも代えられない程の快楽。自らの手で他者の命を狩り取るこの瞬間こそが自らの生きがいそのものだった。
どこまでも続く暗闇。身を切るような空気の冷たさ。周囲に満ちる静寂。それは耳が痛くなるほどの静けさ。命乞いをする声はもう聞こえない。
清々しいほどの暗黒。ここは地獄だ。この世界は地獄そのものだ。自分はこの地獄のような世界を愛している。
欲したのはただの享楽。自分にとっての享楽とは、今目の前に転がる男のような命を刈り取る瞬間の快楽である。
「良い人生だっただろう?最後に他者へ最高の喜びを捧げながら息絶える事が出来たんだからな。」
男がそう呟いた時、茂みの方から何かが動く音が聞こえた。
とっさに銃をそちらに構える。すると茂みから小さな子犬が出てきて走り去っていった。
「ちっ、犬か。なんだよ、人の娯楽の邪魔をしやがって。最高の余韻を楽しんでいる最中だってのによ。まぁ良い。今日は気分が良い。とても気分が良いから見逃してやろう。あんな獣の一匹や二匹が害になることもないだろうしな。」
男はそう言い残すとその場を立ち去り闇夜に消えて行った。
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