第7話 『蜻蛉日記』

 なんだか卒業論文のような文章で申し訳ないが、お付き合いいただきたい。

 如何せん、過去の私は人に対して非常にネガティブな思いを持っていて、でも、未来の光を心のどこかで信じているような生き方をしていたのだ。

 以下は過去の日記から抜粋したものである。



 『蜻蛉日記』は、藤原道綱母が、夫である藤原兼家との結婚生活に対する不満や、その正妻・時姫への嫉妬などの思いを綴ったものだ。

 この当時は、勿論スマートフォンなどあるわけないし、どこかに旅行に行こう、ショッピングに行こう、なんてことは出来ない。

 どろどろとした感情をいつまでも胸にくすぶらせ、辛い思いをした女性が、多くいただろうと予想する。

 おそらく時姫も、兼家が作者に求婚し、足繁く通っていた時は、悔しさでいっぱいになっていただろう。

 

 この作品の作者は、自身の淋しさと悔しさ、そして怒りを日記にぶつけた。

 現実は何も変わらないけれども、いや変わらないと分かっていたからこそ、筆をとったのかもしれない。

 自身の思いを書いたことによって、作者の心が救われたのかは、分からない。だが、少なくとも、その日記が平安文化の貴重な作品となったことは、言うまでもない。多くの学者が研究し、今は大学の授業でも扱われていることを、作者が知ったらどう思うのだろうか。

 

 この日記によって、藤原道綱母という、およそ千年前に生きた女性が、立体感を帯びる。実際にそういう人物が存在した、ということの証拠になる。

 千年前の女性も、人間関係に悩み、もがき、苦しんでいたのである。

 

 どんなにコンピューターやテクノロジーが発達しても、人の心は、人にしか癒せないと、私は思っている。人間の心の動きは、やっぱり人間にしか、理解できないのである。(と思う)。

 昔も今も、人の心の根っこの部分は変わらないという事実が、私を強くさせる。



 以上が過去の日記である。長々とした文章をお読みいただき、ありがとう。

 さて、現在の私はというと、この頃に比べるとかなり元気である。

 人に対してネガティブな感情を持つことはだいぶ少なくなったし、人に対して自分の考えや思いを伝えられるようになった。今の私の周りにいる全員に、感謝している。周りの人のおかげで救われた。私は恵まれている。


 ここまで書いていたら涙が溢れてきた。悲しい過去は消えないけれど、こんなにみんなが私を助けてくれたという事実が、たしかにここにある。

 心のどこかで、光が必ずあると信じ、日記文学にのめりこみ、平安時代の女性に救われていた頃の私に、「だいじょうぶだよ」と、言ってあげたい。

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