巌流島の決闘~ゴリラは燕返しの夢を見るか~

海野しぃる

我が名は武蔵、汝はゴリラ

 ――『小次郎破れたり』って言おう。

 ――たいしたことない仕草に難癖つけて、『小次郎破れたり』って言おう。

 ――あのジジイ、あの年齢で一対一の決闘に乗るだけあって煽り耐性低そうだしな。

 宮本武蔵は舟をゆっくりと漕ぎ、巌流島の浜辺へとたどり着いた。

 決闘を申し込んだ老剣客・佐々木小次郎は椅子に座って、そんな武蔵を見てニマニマと笑っていた。

 ――丁度いい。座りっぱなしだ。体力の心配でもしてやるか? それとも……。


「おや、いらしたか武蔵どの」


 小次郎はそう呟いて手にしていた長刀“物干し竿”の鞘を捨て去る。


「鞘を捨てるとは帰るつもりが無いと見た! 小次郎、破れたり!」


 そして武蔵の雄叫びも聞かずに、側近くに控えていたゴリラに長刀“物干し竿”を手渡した。

 ――ゴリラ、どこから出てきた?


「ホッ、ホホッ!」


 ゴリラは物干し竿を木の枝のように軽々振り回す。武蔵の名乗りを聞いてテンションが上がってしまったのだ。

 ――えっ、強……力強っ……怖い……。ゴリラ、ゴリラじゃん……。

 ――人間じゃなくてゴリラじゃん……。


「もうダメかもしれない」

『何言ってるのよ武蔵!』


 武蔵の耳元で白い布に身を包んだピンク髪の妖精が現れる。

 彼女は剣の妖精イオリ。武蔵に力を与える相棒である。


『あんたが戦うから力を貸してやるって言ったのよ!? 今更怖気づいたの!?』

「いや、けど、ゴリラだぞ……!?」


 それを聞いた小次郎がケラケラと笑いながら武蔵を煽る。


「臆したか武蔵! ジジイには勝てても二代目佐々木小次郎に勝てぬと申すか!」

「黙れクソジジイ! こんな畜生ゴリラが二代目とは貴殿の流派も堕ちたものよな!」

「ほう、それはそれは! そうかもしれぬなあ! いやしかし、る気満々のようでこの一代目佐々木小次郎も安心いたした。もしかして、あるいは、万が一にでも……臆病ブルった……のかもなんて……思ってしまって~~~~失礼つかまつった~~~~~」


 小次郎、この日一番の大爆笑である。


『キ~! あたしの武蔵をクソ雑魚チキン二(天一)流剣士扱いしたわね! 武蔵、いくわよ!』

「お前どっちの味方?」


 小舟のオールに武蔵の意思を無視して妖精イオリの光が収束する。現れたのは“物干し竿”に匹敵する長さの妖精木刀。剣の妖精の力を借りて、舟の櫂に刃を纏わせることで間合いの不利を解消するのが武蔵第一の秘策であった。


「あっ、ばかっ!? 隠しとけ!」


 しかしゴリラの腕は人間より長い。リーチの不利は埋まらない。それどころか、人間同士の駆け引きに疎いイオリが、血気に逸って早くも第一の秘策を晒してしまったのだ。恐るべし、一代目佐々木小次郎!


「ささ、準備も良いようだ! それでは儂の愛弟子である二代目佐々木小次郎と! 死合ってもらいましょうかのう! なにせ佐々木小次郎との決闘ですからのう! い~の~ち~を~か~け~ろ~!」


 ――んん、不味い! なんとしても無効試合に持ち込まなくてはならん!

 武蔵は人生で一番焦っていた。武蔵は剣士だ。殺し合いも嫌いではない。だが勝てる死合が好きだ。負けたら死んでしまうからだ。

 ――そうだ。こいつは佐々木小次郎が二代目扱いしているだけのゴリラ! 佐々木小次郎が適当フカしているだけじゃないのか!? だったら俺の相手はジジイの方で良い筈だ!


「クソジジイ! 何が二代目だ! 人ではな……」


 武蔵はやむにやまれず櫂の妖精木刀を構え、怯えていないことをアピールする。そして同時にこの戦いが不当であると宣言する。否、しようとした。


「ササキコジロー……」

「しゃべんなや!」


 ゴリラは佐々木小次郎を名乗った。


「ホッホッホ! 聞いての通りこの者は佐々木小次郎でござるよぉ? これこれぇ? 確かに佐々木小次郎と名乗りましたぞぉ?」

「ホホゥッ! カッカッ!」

「なっ、くそっ馬鹿な……!? あっていいのかそんなこと……馬鹿じゃないのかあいつら……いや、俺が、むしろ俺は馬鹿……」

『武蔵、心を乱せば相手の思うつぼよ』


 ダムダムダムダムダムダムダムダム

 ゴリラはさも自信ありげに胸を叩く。


『あら、待って……なにか聞こえる』


 ドラミングである。ゴリラのドラミングは本来コミュニケーションツールであり、無益な争いを止めたいというゴリラの優しい気持ちを表現する手段であった。

 しかし、この場においてはまったく逆の意味を持つ。


『我は巌流師範、名は佐々木小次郎。人の子よ、我も無益な争いは望まぬ。巌流一門へと下り、大人しく高弟の一人として名を連ねるならば、我も貴様の命はとらぬ』


 それは剣を極めた武蔵にしか聞こえない妖精の言葉。イオリと同じく、このゴリラは達人にのみ聞こえる大自然の声で対話が可能だったのだ。森の賢人と呼ばれるゴリラの高度な知性の賜物である。

 ――めちゃくちゃ強そうじゃん!


「嵌められた……ッ! ジジィ……嵌めやがった……この俺を……畜生……畜生ゴリラ……! なんでこんなこと……俺は真面目に剣の道を極めてただけなのに……いつもそうだ、クソオヤジも、クソニンジャも、クソボウズも、ヨシオカとかいう道場の連中も……俺が真面目に修行しているのを馬鹿にしやがって……」

『武蔵! 諦めないで!』

「うっ、うぅ……うううぅう……!」


 ドラミングは続く。剣を捨て、敗北を認めよ、と。

 ドラミングは続く。命まではとらぬ、と。

 ドラミングは続く。武蔵破れたり、と。

 武蔵は恐怖に震えた。

 ――俺の人生は理不尽だ。

 ――なれば我が命たる剣もまた理不尽。

 ――剣の極意、此処に在り。我、大悟せり。


「はっ」


 武蔵は恐怖に震え、なお笑った。

 イオリは心配そうに武蔵を見上げる。

 武蔵はいつもどおりの笑みを浮かべていた。


『武蔵……?』

「だれが諦めるって言った」

『武蔵!』


 櫂の木刀を包む妖精剣魂オーバーソウルが、これまでの白い光の姿から、3mを越える巨大な刀の形へと変化した。それを見た小次郎はニィと愉快そうに笑う。


「その心意気や良し。それではこの一代目佐々木小次郎が――」

「黙れジジイ! 俺の相手は貴様のような耄碌もうろくなどではないわ!」

「抜かしおるわ、小僧」


 武蔵は櫂の木刀が変じた巨大な刀をゴリラに向ける。

 弾けた裂帛の剣気によって一際高い波が浜で弾けた。


「巌流師範、二代目佐々木小次郎! 二天一流宮本武蔵が決闘を申し込む! 受けるか! 否か!」

「ウホホッ!」


 ゴリラは返事の代わりに一度胸を叩く。


  “妖精剣匠”宮本武蔵

      対

 “二世巌流”佐々木小次郎


「いざ尋常に!」

『勝負!』

 

 かくて、後の世に巌流島の戦いと称される決闘が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る