第3話
眼鏡店を出る。
結局、何も買わなかった。
「だって、いっぱいあるからよくわかんなくて。それに今のでも十分似合ってるって静流も褒めてくれてるし、今回はパスでもいいかなって」
つき合わせた挙げ句のこの判断だからか、蓮見先輩の言い訳も少しばかり申し訳なさそうだった。その一方で一部のフレーズは相変わらず嬉しそうだ。
「ひどいことするわね。静流、どんな褒め方したのよ」
「ひどいって何だ!?」
人聞きの悪いことを言う。
蓮見先輩ともなれば普段からいろいろ賞賛されていることだろう。でも、眼鏡なんていう意外な部分で褒められたから心に強く残ってしまったのだ。
「で、これからどうします?」
本日の目的は、購入保留というかたちで果たしてしまっている。
「そうね。もう少しふらふら見て回りたいわね」
と、蓮見先輩。瀧浪先輩は何も言わない。勝手についてきた身なので、希望を出せる立場にないと思っているのだろう。そもそも我が異母姉が煽ったのが発端なので、そんなこと気にしなくていいと思うのだが。
蓮見先輩が意見を求めるように僕を見た。
「どうぞお好きなところに。僕は可哀そうな後輩なので、どこにでもおつき合いいたしますよ」
僕は冗談めかて言う。
するとふたりの先輩は互いに顔を見合わせた。
「何か言ってるわね」
「たぶん自分で何を言ったかわかってないんでしょうね」
「う、うん……?」
何やら不穏なことを言っている気がする。
蓮見先輩と瀧浪先輩がこちらを見た。
「前も言ったけど、自分の言葉には責任もちなさいよ?」
「男に二言はないというやつね」
ふたりは実にいい笑顔を浮かべた。
女性のファッションフロア巡りなどにつき合うものじゃないと思う。ただただ退屈なだけだ。
いや、退屈なだけならまだしも、ものすごい徒労感がある。
今、僕たちは神戸マルイにきていた。
女性ふたりはファッションフロアを見て回り、僕はその後からついていく。ただ黙ってついていくだけなら、これほど楽なことはない。でも、時々意見を求められるのだ。
「ねぇ、静流。これとこれならどっちが似合うと思う?」
瀧浪先輩が僕に二種類のカットソーを掲げてみせ、僕に聞く。
「……右」
「そうかしら? わたしとしては左も捨てがたいと思うのよね」
結局、僕の意見など軽く流して、また難しい顔をしながらふたつを見比べるのだった。
「静流静流、これなんてどう?」
今度は蓮見先輩だ。
「……いいと思いますよ」
「なーんか心がこもってないのよねぇ。本当にそう思ってる? そんな言い方じゃ女は喜ばないわよ」
彼女は背を向けつつも、なぜか小言モードに入る。
こういうやりとりを数回も繰り返せばさすがにわかる。この手の問いに意味と正答はないのだと。そりゃあ心も死ぬ。
ふと、瀧浪先輩が何かに気づいた。持っていたアイテムを戻すと移動をはじめる。その先には蓮見先輩がいた。気配を殺し、背後から静かに近寄る。海水浴客を狙うサメのようだ。
「あーら、蓮見さん、それを選ぶの?」
「ッ!?」
いきなり声をかけられた蓮見先輩が飛び上がるほど驚き、手にしていたトップスを放り投げるようにして戻した。
「今の、背中がすっごい開いてなかった? この夏は背中でアピール? なかなかダイタンね」
「ち、ちちち、ちがうからっ」
なぜか慌てふためく蓮見先輩。
僕は見ていなかったが、夏なら背中の開いたデザインもそこまでおかしくないのではないだろうか。きっと蓮見先輩には似合うと思うし、少なくとも選択肢に入れただけでからかわれたり恥ずかしがったりするものではない気がする。
瀧浪先輩の後方にいる僕に、蓮見先輩が気づいた。
「し、静流、いたの!?」
「ええ、いましたよ。横暴な先輩につき合えと言われましたので」
「う……」
僕が言い返すと、彼女は言葉を詰まらせる。
「つ、次いくわよ」
そして、強引にこの話を打ち切るのだった。
§§§
その『次』では、僕はベンチに腰を下ろしていた。
僕の視線の先では瀧浪先輩と蓮見先輩がふたりでワイワイやっている。こうして見るとそこまで仲が悪いわけではないようだ。
そこは本格的な夏に向けての水着売り場だった。その華やかな雰囲気は男を拒む結界でも張られているかのようで、まったく立ち入れる気がしない。
「あたし、去年買った水着がもうキツいのよね」
「ちょっと待ちなさい。それはどういう怪奇現象!? それに何で着てみたの!? はっ! まさか本当に静流とお風呂――」
「ち、ちがうから! そんなつもりで試したんじゃないから!」
ふたりはアイテムを見ながら、餌に誘われる小動物のようにどんどんと奥に入っていく。できればそのまま地の果てまで行ってくれないだろうか。
「お前、なかなかいい身分ね」
「ぶっ」
不意打ちのように耳に飛び込んできた声に、僕は思わず噴いた。
体をひねって顔を上げると、そこにはスレンダーな体をダメージジーンズとブラウスで包んだ壬生奏多が立っていた。……神出鬼没な。
「か、奏多先輩、どうしてここに!?」
思わず立ち上がる。
「女がここにきてやることはひとつではなくて?」
「まぁ、そうですね……」
さすがに自分でもバカなことを聞いたと思った。
「それにお前がついてこなくても、私の予定は変わらない」
確かに今日は、本来なら奏多先輩のおともをすることになっていた。だけど、蓮見先輩に強引に予定を入れられ、それもできなくなってしまったのだ。それでも奏多先輩はひとりで買いものにきたようだ。
「何かいいものは見つかりましたか?」
「ダメね。私はこういうのに向いていないわ」
そう言って奏多先輩は鼻で笑った。
「言っておきますが、今はむりですよ」
「わかっているわ。お前は三人も相手にできるほど器用ではない」
その通りだ。正直、蓮見先輩と瀧浪先輩だけでも荷が重い。
正面を見ると、そのふたりが相変わらず水着選びで盛り上がっている。瀧浪先輩がひとつ蓮見先輩に突きつけた。蓮見先輩はそれをひったくると、ものすごい勢いでもとの場所に戻す。何やら文句を言っているようだ。どうせ瀧浪先輩が面白がって高校生には不相応なデザインのものを蓮見先輩に選んだのだろう。
「私ひとりでも長くもたないものね」
「言い方ぁ! 何の話ですか!?」
奏多先輩は人が聞いたらぎょっとするようなことを平気で言ってくるから怖い。
「さぁ? 人に聞くより自分の胸に聞くほうが早いのではなくて?」
「……」
とりあえず己の胸に聞くのはやめておこう。
「それにしてもお前、楽しそうね」
「そう見えますか?」
見ての通り、女性陣ふたりについていけず、ここに避難している有り様なのだが。子どもを遊園地につれてきたものの、先に疲れ果ててベンチでぐったりしているお父さんみたいなものだ。楽しい要素がどこにもない。
何となく、僕は再び瀧浪先輩たちに目を戻した。
「捨てられた女にはそう見える」
「捨ててませんよ」
何でこの人はいちいち人に聞かせられないような表現をするんだろうな。
「私ではお前にそんな顔はさせられない」
「奏多先輩と一緒でも楽しいですよ」
僕は間髪容れず、そう答えた。
確かにたいてい「お前もついてきなさい」「はい、喜んで」みたいなはじまりになるのだが、僕はいやいやおともをしたことはない。それこそ喜んでついてきているのだ。そこは自信をもって言えるし、誤解されたくない。
「ひとつ、本物があったわね」
「……」
本物。
つまり作りものではない、自分の中から自然と発生した感情ということ。
「そうやってひとつひとつ確かめていくのも手ね」
「気が遠くなりそうな作業ですね」
「いずれ無駄だと悟るわ」
奏多先輩は前触れもなく踵を返す。どうやら帰るようだ。服は自分ひとりでは選べないと諦めたのだろう。当然、別れの挨拶などない。
僕は去っていく奏多先輩の背中を見送る。
人が何かの作業をしていてそれを無駄だと感じるのは、多くの場合延々同一の結果が出るときだ。さて、僕のケースはどうなのだろうか。
「静流!」
「静流、ちょっと!」
奏多先輩と入れ違うようにして、結界の中から僕を呼ぶ声。幸いにして彼女たちの目に奏多先輩の姿は映らなかったようだ。
「ねぇ、静流、これなんかどうかしら?」
行ってみれば瀧浪先輩がそう聞いてきた。
ふたりともこれぞと選んだ水着を持っている。どちらもビキニだ。そんなものを見せつけられても直視しにくいのだが。
僕はまず瀧浪先輩を見た。
「なぜ僕に聞く?」
「自分の彼女が着る水着よ? 静流だけが見るんじゃなくて、ほかの人も見るのよ? 彼氏としていいとかダメとかあるでしょう?」
いや、彼女でもなければ彼氏でもないので勝手にしてくれたらいいと思う。
今度は蓮見先輩を見た。
「僕に選ばれるのはいやなのでは?」
「意見くらい言いなさいよ」
その意見を言って散々一蹴されてきたのだけど。
「まぁ、それくらいなら」
どうせまた尊重はされないだろうが、言うだけ言ってみようか。
改めて見れば、蓮見先輩のは爽やかなブルーのボーダー柄。瀧浪先輩が選んだのは、華やかにもハイビスカスの柄があしらわれていた。
「きっと今、静流はわたしたちがこれを着てるところを想像してるわ」
「ちょっとやめてよね! 急に恥ずかしくなってきたじゃない」
また瀧浪先輩がよけいなひと言を言い、蓮見先輩がばっと水着を背中に隠した。
とりあえず僕はここから立ち去ることにした。ふたりで勝手に盛り上がるなら僕はいらないだろうし、この結界内に男が長居すると死ぬ。
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