放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ

九曜

第1部

プロローグ

プロローグ

 久々に登校した学校の廊下を、僕はクラスメイトとともに歩く。


 一週間ぶりだろうか。


 最初は友人たちも僕にどう声をかけていいか戸惑っていたようだったが、昼休みに一緒に昼食を食べたあたりでだいぶ距離感が掴めてきたらしい。


 今は学食からの帰りだった。


(これまでは母さんが弁当を作ってくれていたけど……今日からはこれが毎日か)


 僕はもう戻らない日々に思いを馳せる。


「お、蓮見先輩だぜ」


 そこでクラスメイトのひとりが声を発した。


 当たり障りのない、それでいて盛り上がれるいい話題を見つけたとばかりに、少し大袈裟に弾んだ声音だった。


 僕はその声――正確にはその名前にはっと我に返った。


 正面を見る。と、僕たちが歩く廊下の先から、ひとつ上の学年である三年の女子のグループが歩いてきていた。


 その中にひと際目立つ女の子。

 髪は茶色がかった色のショート。目は大きくぱっちりしていて、快活な印象を受ける。今どきの女子高生らしくメイクをしているが、派手すぎない絶妙なラインで抑えられていた。それでいてスポーツ少女然としたものも窺える。


 彼女を見て、クラスメイトのひとりが声をかけた。


「蓮見先輩、こんにちはーっ」

「はぁい、後輩諸君、みんな元気ー?」


 こちらの挨拶に、そんな軽い調子で言葉を返してくる。


 先に述べたような目立つ容姿に加えて、こんな親しみやすい性格なら人気が出ないはずはなく――当然のように彼女は、我が私立茜台高校の誰もが知る有名女子生徒のツートップのひとりである。


 名前は、蓮見紫苑はすみしおん

 蓮見先輩も僕のことに気づいたようで――目が合うと、しかし、ふんと鼻でも鳴らしそうな調子で顔を背けた。


 残念ながら、僕にだけはこの態度。


(ま、そうだろうな……)


 僕は心の中でため息を吐く。


 そうしてふたつのグループはすれちがった。




「実は僕があの人と姉弟だって言ったらどうする?」

「は?」




 一歩後からついていくようにして歩いていた僕がなにげなく言葉を発すると――瞬間、場が固まった。皆、立ち止まり、こちらを振り向く。


「お前、大丈夫か?」


 やがてひとりが口を開き、本気で心配されてしまった。


 まぁ、それもむりからぬことだろう。僕は先日、母親を亡くした。その葬儀やら何やらで一週間ほど休んでいて、久しぶりに登校してきたと思ったらこの発言だ。心配だってする。


「冗談だよ」

「な、なんだ、冗談かよ」


 クラスメイトたちはほっとしたように乾いた笑いをもらす。


「いつも絶妙なタイミングで巧いことを言う真壁にしちゃスベったな」

「確かに」


 僕も彼らに合わせて笑っておく。


 調子が悪いんだよ、という言い訳はやめておいた。たぶんそれを言えば、またぎこちない雰囲気になるだろう。




 だが、実際それは冗談でも何でもなく――つい先日、僕は本当にあの蓮見先輩と姉弟になったのだった。




「やっぱいいよなぁ、蓮見先輩」

「ほんとほんと。話しかけやすいし、話しかけたらちゃんと答えてくれるし」


 しみじみと言葉が交わされる。


 そんな中、僕は気まぐれに後ろを振り返った。

 当然のように蓮見先輩のグループはもう廊下の遥か彼方で、彼女がこちらを振り返っているようなこともなかった。


「いや、俺は断然瀧浪さんだな。美人で落ち着いた感じがいい」


 そんな異論とともに、今度は別の名前が挙がる。その声をきっかけにして、僕は顔を前へと戻した。


 瀧浪泪華たきなみるいか

 この手の話をすると必ずと言っていいほど出てくる、蓮見紫苑と対をなす女子生徒の名前だ。


「だよな。俺もそっちに一票」


 さっそく同意の声が出てくる。


 この瀧浪泪華と、先の蓮見紫苑――。この学校の男子生徒からの人気は、このふたりでほぼ二分すると言っていい。


「おっと、言ったそばから。今日はツイてるな」

「え、マジで!? ……お、ホントだ。ラッキー」


 再び前から三年生の女子の一団。


 先の蓮見先輩のグループに比べると大人しい感じの集団だ。この茜台高校は十数年前まではお嬢様学校だったらしい。もしかしたらそのころは、こういう生徒ばかりだったのかもしれない。


 そして、その中心にいるのが瀧浪泪華その人だ。


 丁寧にセットされた黒髪に、美人系の面立ち。最上級生らしい落ち着いた雰囲気があって、いつも優しげな微笑みを絶やさない人である。


「瀧浪先輩、こんにちは」


 それにつられてか、こちらも先ほどより気持ちを抑え気味の口調で、それぞれ挨拶をする。


「ええ、こんにちは」


 彼女の為人を考えれば、微笑みを添えた挨拶が返ってくるのは当然なのだが、それでも中には言葉が一往復した嬉しさのあまり小さくガッツポーズをするやつもいる。それを見た瀧浪先輩がくすくすと笑い、そいつはばつが悪そうに苦笑いをした。


 しかし、瀧浪先輩にとってはこんなふうに見ず知らずの生徒から挨拶をされることは日常茶飯事。互いに立ち止まることなく、またもふたつのグループはすれちがう。




 そうして最後の最後、最後尾にいた僕とすれちがう瞬間、彼女は僕にだけわかるように小さく手を振ってきた。……ちょっとだけ特別な笑みとともに。




 だが、僕は気づかない振りをして目を逸らし――それを見た彼女はわずかにむっとした顔をする。


 そんな刹那のやり取り。

 だが、これが僕と瀧浪泪華の関係を如実に表すものだった。


 そして、遡れば先の僕と蓮見紫苑のやり取りもまた、今の僕たちの関係を的確に表していた。


 つまりはこの数分間に、僕と瀧浪泪華、僕と蓮見紫苑の関係性の縮図があったのだ。

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