無心
田口ミクが話しかけてくれた日以降
見かければよく話しかけてくれるようになった。
田口ミクは高校2年で元々バスケ部に属していたが、
怪我が原因でドクターストップがかかり、それを機に退部したらしい
今は国立大学を受験するために勉強とバイトをしているようだ。
ジムの自動ドアが開くと田口ミクが「こんにちは」と話しかけてくれる。
「こんにちは。今日は湿気がすごいな」と言うとミクは
「そうですね。完全に梅雨になりましたからね」と言う。
「いやだね」と返事をしロッカーで着替えを済ませた。
マシーンの座面とグリップ部分をアルコール消毒液が
染み込んだタオルで拭き座る。
呼吸を整え息を吸い込み2割ほど吐いたタイミングで力を入れる。
1時間ほどトレーニングをした。
ジムを出てすぐ左にある駐輪場に向かって歩いていると
駐輪場に誰かが立っていることに気が付く。
近づいてみると
その陰はこちらの人影に気が付きチラ見し見ていた携帯をポケットにしまった。
「お疲れ様です」と聞き覚えのある声がした。
「お疲れ様。バイト今上がり?」
声の主は田口ミクだ。
「そうです。田中さんも今トレーニングを終わられたんですか」
「うん。田口は今バイト上がり?」
「はい。奇遇ですね。ちなみに自転車ですか?」
「そう田口も自転車?」
と言いながらミクが立っている隣にある自転車の施錠を外す。
「そうです」とミクは言うが後に何か言いたそうな雰囲気を感じ
顔を上げるとミクの視線と交わる。
ミクの襟から出ている首の中央が
唾液を胃の中に移動させるために弁を開く運動をする。
そしてかすかに深く息を吸い込んだのがわかった。
「これからって時間空いていたりしますか?
受験に関して聞きたいことがあるんですが」
とミクが言う。
辺りは徐々に暗くなり始めミクの表情も比例して見えなくなっていく
「空いてるよ。喫茶店でも行く?」
と途中で雨が降り始められても困るので提案する。
「はい。近くの喫茶店に行きましょう」
と言いミクは駐輪所から自転車を出しサドルに跨った。
「いらっしゃいませ」
と店員に迎え入れられ人数の確認を受けテーブルに案内される。
いつもは1人だが今回は2人の為
当たり前だが店員が持ってくるコップ、布巾などが違う。
少しずつ変化している。
ドリンクとデザートの注文を済ませ
本来の目的である受験のことについての話題を振る
「人文学部志望なんだっけ」
「そうです。今の学校ギリギリ運良く入ることができた学校で
いっつも順位は底辺層で絶望的なんですよ」
と笑いで誤魔化しながら話しているがどことなく思いつめていることが分かる
十分な間をおいてから話始める。
「まだ2年生だし時間的には大丈夫。
南大に行きたいってことは他の誰かに相談はした?」
彼女は首を横に振る。
「どうせ、無理って言われるだけだし、言っても無駄かなって思って」
「進路についての面談って結構強く言われたりするしね」
「そうなんですよ。
うちの担任も厳しくて私の前の生徒が泣いて教室から出てくる姿を見ると
どうしても言うことができなくて」と彼女は前のめりになりながら言う。
物理的に距離が縮まったところに注文したドリンクなどが
届き距離がリセットされる。
「確かに言い出しにくい雰囲気あるよね」
「そうなんですよ!」と不貞腐しながらカリッとした円状のパンの上に
載っている生クリームとバニラアイスに蜂蜜シロップを、かけながら言う
「仕方ないのかな。もしかしたら高みを目指す場合
先生たちはそのプレッシャーを押しのけてくるぐらいの人にしか
現状から成果を出せる見込みはないと考えているのかもしれない」
と言いカフェオレに口を付ける。
「あーなるほど、確かにそうかもしれませんね」
「今から頑張れば入ることできるよ。もし僕にできることがあれば協力するし
まあ、力になれるか不安なところがかなりあるけど」
とできるだけ和むように柔らかく伝えた。
「いいんですか?じゃあ連絡先を教えてもらってもいいですか」
僕と彼女は連絡先を交換し毎週木曜日は
この喫茶店で彼女のバイト終わりに勉強を見てあげることになった。
彼女と別れ、すっかり暗くなった道を自転車で駆け抜ける。
イヤホンのコードがチラチラと太ももに当たる感触が
メトロノームのように統一されたリズムを体に刺激を与え
自分がある程度の速度で走っていることを瞬間的刺激により自覚する。
無心であることと共に。
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