拷問官の死
まえの
前編
俺は取り調べ室で被疑者が連れて来られるのを待っていた。
無機質な部屋。いや、部屋というより箱のようだ。壁は全面コンクリートがむき出しになっていて、窓はない。部屋の中央に鉄製の椅子が無造作に置かれているだけ。この部屋の簡素なつくりは被疑者の精神状態を悪化させるのに効果的だが、息が詰まりそうになるのは拷問官である俺にとっても同じことだった。
人を痛めつけるのはいつものことながら気が進まない。
もういっそこの組織を抜けてしまおうか、という考えが頭をかすめて、俺はばちんと頬を叩いた。
いや、いや。そんなこと許されるはずがない。仕方のないことだ。精進しなければ。
袋の中から細い針を取り出す。
今日の被疑者は暴れるだろうか。
気が気でなかった。
「おい、待て…………やめろ!!」
近くの部屋から"彼"の声が聞こえた。
切羽詰まった声。何かあったのか。
その時、耳をつんざく轟音が響いて俺は吹き飛ばされた。咄嗟に頭を手で覆ったが、背中を壁に強打して息が出来なくなった。視界がみるみる白く染まっていき、熱い爆風に飛ばされてきた鉄の釘が頬をかすめた。また轟音が鳴って、意識が闇に沈んでいった。
どれほど気を失っていたのだろうか。
ゆっくりと意識が戻ってくる感覚とともに俺はゆっくりと目を開けた。背中から後頭部にかけて硬い感触がある。どうやら仰向けに倒れているようだ。あたりには塵埃が充満していた。
先程の轟音と爆風からして、近くで爆発が起こったことは推測できた。それで吹き飛ばされてしまったのだろう。
早く逃げないと。こんなに煙が充満していてはすぐに有毒ガスで中毒を起こしてしまう。その先に待っているのは死のみだ。
体を起こそうと思って、力を入れたが全く動かない。下半身の方に目を向けて、俺は戦慄した。
胸から下が瓦礫の下敷きになっている。
なぜ気づかなかったのだろう。
俺の足の感覚はもう麻痺し始めているようだった。どう足掻いても動かせない大きさのコンクリートが俺にのしかかり、俺を潰し、同時に俺の命を今にも潰さんとしていた。
誰か、助けてくれ。
そう叫ぼうと思って、口を開けると激しく煙を吸い込んでしまった。
「ごほっ……あ…………がはっ!!」
肺が焼けるように痛み、肋骨が折れた感覚がした。
絶望。ただこれに尽きた。俺の今までの人生は一体何だったのだろう。
「お前は生きている価値のない人間だ」
脳内で"彼"の声がした。
"彼"は豪傑な人だった。組織の中でも群を抜いて優秀な"彼"は若くして大役を任され、周りから尊敬されていた。
俺も"彼"を尊敬していた。
しかし"彼"の評価というものは拷問官としての評価である。それはいかに残虐かを測るものであり、また"彼"は生粋の加虐嗜好者であった。
数日前の出来事だった。
"彼"にああ言われて、しかしあまり衝撃はなかった。自分でも薄々分かっていたことだった。
俺は、死んだ方がましな人間だと。
俺が生きていたところで誰の役に立つだろう。むしろ憎まれ、疎まれることのほうが多い。
俺はたくさん人を苦しめた。拷問官という仕事柄仕方のないことだが、許される行為ではない。こうして死ぬことがせめて俺にできることなのかもしれない。
"彼"の言葉を思い出したおかげで、少し気持ちが落ち着いた。足の感覚はとうになくなり、胸の痛みもあまり感じない。俺はゆっくりとまばたきをした。目を閉じても開けても広がるのは闇だった。
人間が死ぬとき、視覚というものは比較的早い段階で失われるという。
きっと、俺は既に………。
爆発が起こったとき、近くの部屋では"彼"がある被疑者を取り調べていた。必ず口を割らせなくてはならない相手だったため、"彼"が担当することになったと聞いた。
状況を察するに、そやつが自爆したのだろう。そしてこの建物は破壊され被疑者は自白する前に死亡。"彼"はありえないほどの失態を演じたことになる。
"彼"が失敗するなんて、珍しい。もしかしたら初めてのことかもしれない。油断していたのだろうか。あんなに完璧だった"彼"が失敗した。そして俺は"彼"の失敗に巻き込まれ、こうして今にも事切れようとしている。
俺は"彼"に殺されるのだ。
「……あ…………がぶっ」
口から血が溢れ出し、頬を伝って首筋に流れた。
きっと"彼"は即死だっただろう。今頃木っ端微塵のはずだ。力強く躍動した強靭な体も、爆弾の前にはただの肉塊となって散ったのだ。
頭が妙な浮遊感に支配されていた。
ふつらふつらと意識が遠のいてゆく。
しかしもう死ぬのは怖くなかった。
ずっと死を待ち望んでいたのではないかと思えるほど穏やかな気持ちだった。
俺は、俺の天命を受け入れる───。
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