第342話 Ⅱ-180 リンネの秘密

■エルフの森 北側


「リンネェーー! 止まれ!」


 エルフは叫んで止めようとしたが、リンネは無視してそのまま向かってくる鬼人の方へと走り続けた。鬼人はこちらの力を知った上で向かってくる相手が少し気になったが、自分の腰ぐらいしかない女が一人で走ってくることに危機感を覚えることは無かった。先に走った槍を持っていた鬼人は近づく女の内臓を思い浮かべてよだれを垂らしながらリンネへと飛び掛かった。鬼人の手刀がリンネの細い首を横に薙ぎ払う。


 ―カシィッ!


 細いリンネの白い首へ叩きつけられた鬼人の岩でも砕けるはずの手刀はその目的を果たすことが出来なかった。人の首であれば折れるか斬り飛ばせるはずの威力がある手刀は硬い岩石か金属を叩いたような衝撃ではじき返された。むしろ鬼人の小指と薬指の骨は細かく砕けてしまった。驚き、目を見開いた鬼人にリンネはニヤリと笑みを浮かべるとさらに鬼人が驚く行動を起こした。


 ―ガブッ! メキャッツ! 


 首筋に当たった鬼人の大きな手を小さな両手で掴むとその小指を口に入れて指先を噛み切った。鬼人は痛みを感じたわけでは無かったが、驚いてそのままあとずさりをしてリンネを眺めたが、リンネは笑みを浮かべて噛み切った小指をかみ砕いて咀嚼した。すると・・・、リンネの体が内部から膨らんだように大きくなり始めて、細かった首や手にはち切れんばかりの筋肉が付きだしただけでなく、元々の骨格を無視して身長までが伸び始めた。そしてがっしりした顔つきに変化した頭部からは角が・・・。


 リンネは死人になってから、自分の体を自在に操れることに気が付いたのは死人しびととして蘇って30年ほど砦の跡で生きてきた後だった。傷ついた体を自分で治せるのはすぐに判ったが、それだけでなく思ったように体を変化させることが出来たのは偶然だった。砦跡にあった果樹園で高いところにあった林檎の実を背伸びして取ろうと手を伸ばしたがギリギリ届かなった時に、『もう少し背が高ければ、もう少し手が長ければ・・・』と何気なく考えただけだった。すると届かなかったところにあったはずの林檎まで容易に手が届くようになっていた。


「何だいこれは! 一体全体・・・、右手だけ長くなっちまったよ!」


 自分の体を見ると伸ばした右手だけが伸びていた。不自然に右手だけ伸びてしまった自分を見て驚き、怯えた。だが、体が変化した理由は自分がそうなって欲しいと思ったこと以外に心当たりはない。ならば・・・、リンネはその後色々と試し始めた。最初は体の一部を伸ばしたり、大きくしたりし、更には硬くしたり、柔らかくしたり・・・、そのうち体全体を自在に操り変身できるようになっていた。変身は人の形だけでなく、人以外の動物も試してみた。これは上手くいく動物と上手くいかない動物があったが、自ら食べた動物にだけ変身できることに気づくのにそんなに時間は掛からなかった。


 数百年という時の中で色々な生き物に変身してみたが、実際の生活の中で変身を使うことはほとんどなく、やがて飽きてきて最近では変身をすることも無くなっていた。だが、今はその力を使う時だろう。人前で変身するところを見せると・・・、もはや人としては扱ってもらえない可能性が高い。それでも・・・、これ以上目の前でエルフ達が殺されるのを見過ごすことは出来ない。黒虎やラプトルを楽々と倒した鬼人を倒すには、その鬼人になってしまうのが、リンネが思いついた唯一の解決策だった。自分は死人しびとで死ぬことも無い。ケガをしても、食いちぎられても時間があれば回復することもできる。だが、エルフ達やサトル達の前で変身すると・・・、今まで同じように仲間としてみてもらえることは諦めるしかないだろう・・・、それでも。


 覚悟を決めたリンネは鬼人の体に変化すると、小指を食いちぎった鬼人へと襲い掛かった。戸惑っている相手への距離を一瞬で詰めてから、素早く貫手を喉元に突き立てた。相手は腕で受け止めようとしたが、その前腕を叩き折りながら喉元へ硬化させた貫手を叩き込んだ。


 -グェッッフ!


 咽喉を叩き潰されて気管が塞がった鬼人は口から異音と息を吐きだしながら、後方へ吹っ飛んで行った。リンネは倒れた鬼人の喉元を踏みつぶしてから次の獲物に向かって走り始めた。


■エルフの森 南側


 エリーサは走りながら辺りを見回した。左にはゴーレムを壁としてる敵が、右にはエルフの仲間たちがいる。


 ―どちらに走るべきか?


 仲間の方へ巨大なムカデを引き連れて行くわけにはいかないし、左の敵に突っ込んでも解決できるわけはないが、いっそのこと玉砕覚悟で銃を撃ちながら突っ込んで一人でも多く道ずれにするべきだろうか?そう考えたが、もう一つの手を思いついたエリーサは右のエルフと左の敵のちょうど中間を全力で駆け抜けた。


「まっすぐ走って付いてきて! あと少しだから!」

「判った!」


 振り返りもせずに後ろの仲間に声を掛けたエリーサは足の疲れを無視して、更に走る速度を速めた。


■時の入り口(暗黒空間)


「やめろっー!」


 俺は動けぬ体から声を振り絞って叫んだが、首領の動きは止まるはずも無かった。サリナは全く動けずにいるから、怯えた表情も見せずに突っ立ったまま首領の短剣が迫るのを見ている。時間にして数秒の時だが、俺の頭の中ではサリナとの出会いやこれまでの事が矢継ぎ早に思い出された。なんだかんだ言っても、サリナが俺の最初の友達だし、今まで一緒に居て楽しかったし、この世界に来る前を思い出してもサリナより信頼できる人間はいない。何としても阻止したいが、現世の全てを持ってきた俺も体が動かなければ全く無力だ。銃対魔法? 圧倒的に魔法の勝ちだ。物理法則なんて時間を止める魔法には歯が立たない。こんな空間に連れてきた己の愚かさが・・・。


「あれ?」


 思わずつぶやいていた。数秒と思った時間にしては俺の考えている時間が長すぎる?とうにサリナの目に突き立てられているはずの短剣はまだ数㎝手前で止まっている。それに首領の動きも止まっているようだが・・・、俺が動けるようになった訳でもない。


「一体何が・・・?」

「我の力でこの空間を支配したのだ」


 聞き取りにくいザラザラした声で俺の独り言に応えてくれたのは、“元”亀だ。


「お前が? そんなことが出来るなら、何故最初からそうしなかったんだ!」

「それは、そのように頼まれた訳でもないからな。言ってくれれば協力したが、ここに連れて来いとしか言われていなかったからな」

「・・・」


 言われてみればその通りだが、なんとなく釈然としなかった。だが、今はそれを詰問している場合ではない。


「じゃあ、この空間もそこの首領ではなくお前が支配できると言うことで良いのか?」

「もちろんだ。首領が使っている力も元は我が分け与えたものだからな。上位の力で上書きすれば、我の支配下となる」

「そうか、だったら最初からそうしろって・・・、まあいいや。じゃあ、首領以外を動けるようにして・・・、いや、首領も首から上だけ動けるようにしてくれ」

「承知した」

「キャァー!」


 サリナは叫びながら後ろに転がって、後ろにいたミーシャにぶつかった。


「サリナ、大丈夫か?」

「う、うん。何だかわかんないけど、動けないうちに短剣が目の前にあったの」

「そいつが時間を止めていたんだよ。だけど、そいつの声は聞こえたんじゃないのか?」

「声? ううん、いきなりそのオジサンが目の前で短剣を持ってた」


 どういう事だろう?俺以外は思考も含めて時間が止まっていたのだろうか?


「みんなも大丈夫ですか?動けますよね?」


 ママさんやショーイ、タロウさんも動けるようになっているし、シルバーもしっぽを振って近寄ってきた。シルバー・・・、神獣もこの空間では役に立たないのか?


「さて、今度は立場が逆だな。こちらが質問する番だ。首から上は動けるなら返事は出来るんだよな?」

「貴様、一体どうやって?この空間で私の術を封じるなど・・・」


 首領の前に回り込むと、状況が呑み込めない表情で俺を見返してきた。


「まあ、お前より上手がいるってことだが、それよりも時間が無いんだよ。ムーアの町を消そうとしているブラックホール的なものを止める方法を教えてくれ」

「何故、それをお前に教える必要があるんだ?」

「時間が無いって言っているだろ? ショーイ、こいつの右手を切り落としてくれ」

「無駄だ、我は不死の肉体だ腕を切り落とされたとしても痛みは・・・、ギャァツーー! 焼ける、焼ける! 痛い、痛い・・・!」


 ショーイは俺の頼みに間髪おかずに応えて炎の剣を横に一閃すると右腕を肘の部分で断ち切った。首領は動けない体の上の首だけで痛みの強さを伝えてくれた。


「そうだろ? 痛いだろ? これはね、勇者の魔法具だからな。お前たち死人しびとにも効果があることは確認済みなんだよ。大口叩いていた割には情けないな。血が出てるわけでもないのに・・・」

「クゥッーーー、痛い!痛い! このような痛みは何百年と・・・痛い!」

「なるほどね、長い間痛みを味わっていないから、更に効果が増しているのか。ということで、さっきの質問に答えてくれ。答えなかったら、同じ痛みを体中に刻んでやるよ」

「わ、わかった。あの結界は王宮にある宝玉オーブで作っているものだ。宝玉オーブを結界の外に出せば、結界は解ける」


 痛みに脅えた首領は俺の質問にあっさりと答えてくれた。嘘かも知れないが、時間が無いので真偽は現地に行ってから確認することにしよう。


「よし、じゃあ、ここを出てムーアの町へ行こう。えーっと、“元”亀さん、俺達を元の場所に戻してくれるか?」

「それは、構わんがその“元”亀という呼び方はなんとかならんか?」

「じゃあ、ネフロスさん・・・で良いか?」

「その名もこ奴らが使っている神の名だからな、もう使いたくない」

「何だか面倒くさいな、じゃあ何て呼べば良いんだ?」

「新しい名が欲しいな」

「新しい名?」

「そうだ、何でもよいがこの世界での新しい名だ」

「そうか、じゃあ、お前は“タートル”だ」


亀から全く進化していないが、この世界の単語じゃなければ良いだろう。


「タートルか、うむ、ではその名をいただこうか、それで行きたいのはムーアの町だな。この男はどうするんだ?」

「こいつは俺の暗黒空間に・・・、入れておいた」


 俺は首領に触れてストレージの中に入れた、ムーアの話が嘘だったら現地でもう一度痛い目に合わせる必要がある。


「ところで、元の場所じゃなくて、ムーアの町にもここから移動できるのか?」

「いや、それは無理だな。さっきの神殿まで戻ってからムーアに移動することになる」

「じゃあ、急ぐ必要がある。すぐに行こう!」


 時間の経過が異なるこの空間にいた間にどれだけの時間が経過したのか判らない。ムーアがどうなっているか、可能な限り早く行くべきだと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る