四七日を包む、悲しいほどに優しい世界

(でも、やっぱり一週間は長いよ……)


 と、四七日のお勤めの最中に美香は悲しそうに呟いてくる。

 わがまま言うな、と言いたい。

 が、彼女の心中を考えると、簡単にそんな言葉は出せない。


(そういうけどな。毎週来てくださいって言ってくる檀家さん、少なくなってんだよな)

(そうなの?)

(ここも同じようにしてたら、次に会うのは一か月後くらいになったりすることもある)

(一か月も……退屈しなきゃいけないの?)


 何でそんな発想になるんだ。

 思考の方向性が違うだろ。

 極楽浄土に行きなさいっての。


(年に一度の祥月命日、そして年回忌だけって檀家の方が多い。比べればお勤めの回数は、むしろ多い方なんだが……)


 が、その比較は彼女に意味はないだろう。

 唯一の話し相手が年に一回しか会えないという体験をしたことがないのだから。


(それに退屈っていうけどな。確かに会話ができない、何言われてるか分からない、じゃ辛い思いもするだろうけどさ)

(うん)

(無視してるわけじゃないんだよ。祭壇外した後も、仏壇の前にこうしてお膳が並べられてる)

(うん)

(ほかに、果物とかデザートとかおやつとかがあげられてるだろ?)

(うん……)

(……果物のゼリーが多いな)

(入院中、それが一番食べやすくておいしくて、好きになっちゃった)

(好きな物あげてもらって、いいお母さんじゃないか)

(うん……)


 なのに母親の言う言葉は聞き取れない。

 自分がここにいることが分からない。

 まぁ住む世界が違ってしまったからしょうがないし、それが当たり前のことなんだが。


(だからかもな)

(え? 何が?)

(先週、俺に付きまとわないのは云々って聞いただろ?)

(うん)

(四六時中一緒にいて、好きな物を分かってくれてて、自分の体の状態のことを理解してくれる人が傍にいた)

(そう、だね……)

(会話できる唯一の人間と一緒にいるより、そんな人と一緒にいる方が安心感があるってこったろ? そりゃ生きてる人間だって、安心できる方にいたがるもんだ。だから会話ができない、なんて不便なことがあっても、安心感の方が優ってるってこと)


 極楽浄土、などというが、結局のところその世界には、不安や心配事がなく、常に気持ちがゆったりできるそんな世界ではなかろうか。

 となれば、今の彼女にそれ程心配事がないのだとしたら、我が家が極楽浄土、と言えなくもない。

 が、それってこの仕事的にはどうなんだ?

 まずいよな。


「お勤めありがとうございました。何もないけど、お茶、どうぞ」


 仏送りが終わった後の七日日。

 祭壇が外された仏間は、元の広さに戻っている。

 が、祭壇を設置する前と変わらないのに、だだっ広く感じる。

 間違いなく気のせいなんだが、それだけ、祭壇が置かれていた期間は非日常的だったってことだ。

 が、美香の同期達はいくらか有り難がってる。

 今まで狭っ苦しかったのが、多少スペースが広がったため、腰を落ち着けていられるから、だろうな。


(じゃあさ、ってことはだよ……?)

(ん?)

(お母さんは、あたしがどう思ってるか分からないけど、あたしが喜びそうなことをしてくれてるってことだよね)

(そういうことだな)

(で、あたしはそうしてもらえてることが……うれしいの)


 いいことじゃないか。

 微笑ましい親子関係。


(でもさ……)

(何?)

(そうしてもらってるあたしが、ホントに喜んでるってことは……お母さんには分かんないんだよね)

(まぁ……そうだな)


 母親は、娘がこうしたら喜んでくれるだろう、ということをしている。

 だから、娘は喜んでくれているものだ、と……言い方は悪いが、思い込んでるってことだ。

 その思い込んでる中身が、事実であることは知らない。

 悲しいほどに、優しい世界。

 それを事実として伝えることができたら、母親はどれだけ喜ぶだろうか。

 けど、そのように伝えることは不可能だ。

 口から出まかせ、としか受け止めてもらえないだろう。

 なんせ今、美香はふわふわと浮きながら、母親の背中におんぶされてるような位置に移動している。

 ちなみに弔問客の同期達は、それぞれ互いに会話に夢中。

 俺は次第に関心を持たれなくなった。

 まぁそれはそれで気が楽だ。

 美香の事がばれそうにないからな。


(あたし、お返しにこんなことしちゃおう)


 悲し気に微笑んでいる、という表現がぴったりな顔で、美香は母親に肩もみを始めた。

 肩こりが和らぐはずはないが、心からの親孝行ってのが痛いほど分かる。

 見ていて辛い。

 差し出されたお茶が救いの神だ。

 お茶を飲んで、顔がこわばるのを堪える。


「ねぇ和尚さん」

「はい?」


 まだ一人前には程遠いかもしれない。

 が、それでも和尚さんと呼ばれることが多くなった。

 もし美香と親しい間柄だったら、名前で呼ばれてたかもしれなかったが、それはどうでもいい話か。


「何か、あの子がまだ近くにいるような気がしてねぇ」


 お茶を吹き出しそうになったが、口の中のお茶を飲み切ったあとだったから、俺の異変に気付かれずに済んだ。


「え、えと、それは流石に困ります」


 声がややひっくり返ってしまった。

 動揺が止まらない。


「え? どうして?」

「葬儀をした後も成仏できないなんて、うちの寺の信用問題にかかわりますからっ」


 同じようなことを美香に喋った気がする。


「あ、それもそうね。あはは」


 笑ってくれた。

 どうやら誤魔化し切れたようだ。


「なあ、中川。お前、霊感あるっつってなかった?」


 ぶはっ!

 まさかの霊感持ちが、美香の同期の中にいた?!

 どどどうする?!

 しかも中川なんて、俺の記憶にない同期。

 もし、美香がそこにいる、だなんて言い出したら……。

 辛うじて平静を装いながら美香の方に目を向けると……。

 鳩が眉間に銃弾を食らったような顔をしてる。

 そんな場面は実際に立ち会ったことがないから想像でそんな感じと思うだけだが。


「……いや……なんも感じねぇよ? 期待に応えられずすまんな」


 という中川とやらは、隣の部屋の仏壇の方を見てる。

 隣と言っても、仕切られるはずの襖は外しっぱなしだから、未だに二部屋が続いている状態。

 そして美香は今、母親の背中で固まったまま。


「何だ、いねぇのか。いたらここに混ざってほしかったんだがなー」

「他に見える奴いないの? あ、磯田君は?」

「いや、磯田は見えねぇってこないだ言ってたじゃん」

「こないだ? あたし聞いてないんだけど」

「そん時はお前、弔問に来てなかったんじゃね?」


(どうやら、お前を見れる奴、いないらしいぞ)

(あ……うん……安心、した)


 ホントかよ。

 つか、こわばった顔は、流石に怖い。


(顔、元に戻せ。そのままこっち見られたら……おしっこちびりそうなくらい怖い)

(え……?)

(目線だけこっち向けるな! 怖い! 怖いよ!)


 この顔、映像で残したら、ジャンルをホラー物にすれば間違いなく人気爆発だぞ!


「みんな、面白いわねぇ。……でも、一回でもいいからお話ししたいなって思うことは……あるのよね……」


 賑やかな同期達を見て笑う母親。

 けど、やや寂しそうな顔になり、俺にしか聞こえない声でそんなことを言う。

 幸い、俺のお茶を淹れ直しながらの一言だったから、顔は真下の急須を見たまま。

 つまり、美香には、その言葉が俺に向けられたものだとは気付いていない。

 この言葉を美香に伝えるには、俺にもちょっと辛過ぎた。

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