彼女の初七日 

 火葬場では、俺に余分な時間はなかった。

 美香に説明した通り、棺が釜の中に納まったらすぐ戻る予定だったから。


(……誰も話しかけてくれる人、いないよ)

(見えてるって人もいないみたいだしな)


 俺は違ったが、小学校、中学校時代の同級生のほぼ全員が火葬場に来ていた。

 高校時代の同級生も、市内在住全員が来ていたようだった。

 参列者は八十人以上はいる。

 期待は空振り。


(えっと、葬儀の時は……)

(親父が行くよ)

(えーと……お父さんはあたしのこと、分かるのかしら?)


 断言できる。


(幽霊とかは信じてない人)

(えぇー……? じゃ、じゃあ昭司君はもう来ないの?)

(来るとすれば……多分初七日)

(って、いつになるの?)

(枕経の日を入れて七日目。今日で三日目だから四日後か)

(……それまであたし、ずっと独りぼっちなの?!)


 仏様のいる極楽浄土に出発する、という発想は……日頃から宗教だの仏教だのを心の中に留めておく毎日を過ごしていなきゃ出てこないんだろうなぁ。


 ※※※※※ ※※※※※


 四十九日まで毎週、七日日のお勤めを依頼された。

 そして初七日の日がやってきた。


「おはようございます。初七日のお勤めに参りましたー」

「はーい。……あ、今日は息子さんなのね。よろしくお願いします」

「はい、ではお邪魔します。……って……七日日の法要なのに、この人数……」


 枕経のお勤めした時の部屋に祭壇が飾られていた。

 襖を外して、二つの部屋を一つなぎにしていた。

 多分どちらの部屋も八畳一間の広さだと思う。

 けどその部屋には収まり切れないほどの人数に驚いた。

 近所の人もいたようだが、多分彼女の同級生だと思う。

 七日日のお勤めでこんなに大勢が集まることは滅多にない。


「お、磯田じゃねぇか」

「お疲れー」


 そんな声をかけられるが、なんとなく「お前がやるの? できるの? 大丈夫なの?」という不安や心配、あるいは見下すような目で見られてる気がした。

 そりゃ資格は持ってるが、一人前と呼べるほど経験は積んでないかもしれないが、お盆のお勤めなら子供の頃から手伝わされてた。

 そう考えると、二十年弱のキャリアがあるんだな。

 けど人の目に晒されるとあがってしまう性格だ。

 が、お勤めだけなら問題ない。

 しかしそこにいるのは、そんな言葉をかけてくる人ばかりじゃない。

 会いたくても会えない悲しみに暮れている人もいる。

 そんな人に、どんな言葉をかけていいのかは分からない。

 親父だったら、気の利いた言葉の一つや二つ、持ってるんだろうか。

 その言葉を教わってたら、問題なく言える。

 けれども親父とは立場が違う。経験も違う。

 そして説得力なんかも違う。

 何がその人達の逆鱗に触れることになるのか分からない。

 俺がここに来た理由を考えれば、最低限それをやり遂げるだけでいい。


「間、通ります。失礼します……」


 祭壇の前の座布団に座る。

 そして前を見て遺影を見る。


(……いた)

(遅いっ!)


 遺影の上に彼女が浮かんでいる。

 青白い顔で怒ってる。

 遺影と同じ、ストレートで肩まで伸びてる髪の毛というヘアスタイルも相まって……怖すぎる。


(一体いつまで待たせるのよ!)

(こないだ、四日後って言ったじゃん!)

(それまでの間、あたし、どれだけ退屈してたか分かってるの?!)

(何で、デートの待ち合わせで一時間待たせられたみたいな怒り方してんだよ。そもそも高校時代、こんな風にいきなり怒られるほど親密な間柄じゃなかったじゃないか)


 何で怒られるのか分からん。

 怖いし逃げられないし……泣いていい?


(誰も自分の相手してくれないから仕方なく付き合ってやってる、みたいな感じがして、すごく情けないんだが)

(な……何よ……。確かに誰もあたしのこと気付いてくれなかったけど、仕方なく、なんて気持ちは全くないわよ? 話し相手がいるのはうれしいし、一人しか話し相手がいないもの。次に会う日が待ちきれない、待ち遠しいって思ってたけど、昭司君を見下したりしたことはないから)


 見下す材料を見つけることができないほど疎遠だった、という現実は……確かにあったかも。


(んじゃそんなに怒るなよ……。とにかく、お勤め始めないと、みんなから変に思われるから……)

(あー……うん、まぁいいけど。でもお勤めしながら会話できるよね?)

(……そりゃそうだけど……)


 祭壇に向かって坐った後、体ごと反対方向に向ける。

 いきなり読経を始めるのも変だから。


「コホン。えっと、では初七日のお勤め、始めます」

「はい、よろしくお願いします」


 緊張感のない俺の前にいる存在。

 緊張感が必要な、俺の後ろにいる面々。

 何だよこの温度差。

 ボロ出さないようにしないと……。


(……ねぇ、昭司君)

(何?)

(こうして落ち着いてお経の声聞いてると……)

(うん?)

(いい声、してるよね。会話の声はそうでもないけど)


 えっと……あなたとの会話に、声は使ってないんですけど?

 でもまぁ、褒められて悪い気はしない。

 けど、葬儀にはかなりの人数が来てたって親父が言ってた。

 それでも話し相手がいなかったのか……。


(……そりゃどうも。数少ない取り柄の一つだ)

(お葬式の時の、お父さんよりもいい声で聞き惚れちゃうな……。なんか歌ってみて)

(却下!)


 一応、仕事中だからな?

 読経中だからな?


(しかし……何急にニコニコして……)

(え? そりゃ……お話しできるし)

(俺以外とは会話してないんだよね? 同類とかいないわけ?)

(同類って?)


 ……同じ幽霊さんとか、近くにいないのか? とか思ったけど、もしいるんなら……かなり怖い。


(葬儀の時、泣いてる人とかいたでしょ? 美香さんはどうなのかな……と……)

(……そりゃ……お母さんやお兄ちゃんに何度も声をかけたけど、あたしに気付いてくれなかったから……寂しかったし悲しかったけど……)

(けど、話し相手がいるから、まだ何とか持ってるか。俺がいなかったら……)

(……そんなこと、考えたくない)


 やり直しができないことに、もしっていう仮定の話をしても意味はない。

 こうなってしまったんだから仕方がない、ってことなんだろうが……。

 そうこうしてるうちに、お勤めが終わった。

 いつまでも祭壇の方を向きっぱなしってわけにはいかなくなった。


「ありがとうございました。ささ、お茶でもどうぞ」


 丁度お茶する時間だ。

 美香の母親からお茶とお茶菓子を勧められた。


「同期って言ってたわよね? ゆっくりしていってね?」

「あ……は、はい……」


 何となく、針の筵に座らせられた気分。

 確かに同期、同級の奴らもいるが、美香同様、あまり会話した記憶がない。


「それにしても磯田。こうして対面するのって、初めてなんじゃないか?」

「そうだよな。高校時代は……アレだったからなぁ」


 言わんとすることは分かってる。

 高校時代、テストは赤点ばかり取っていた。

 頭が悪い、と見られてたのは間違いないだろう。

 ただし、俺のことを注目している限りな。

 成績が悪い奴に関心がある奴なんて、普通はいない。

 が、俺のことを覚えてるってことは、その話題は避けて通れない。


「でも、いい声してるよね、磯田君」

「ここちよくて眠くなりそうだった」


 ある意味光栄だ。

 読経中、泣いてた赤ちゃんを静かにさせた経験がある。

 あとでその母親から聞いた話だが、俺の声が聞こえてから泣き止み始め、泣くのを止めたかと思ったら寝息を立てていた、だそうだ。

 美香の聴覚も正常に働いてるってことか。

 けど、亡くなった者を生きてる者と一緒にしていいものかどうか。


「ところで磯田君。幽霊とか見たことある?」


 若者たちの気になるこの手の話題と言えば、そんなとこだろう。

 が、今の俺にはあまりにもクリティカルヒットすぎる。


「へ? あ、い、いや、幽霊は見たことないな。うちの寺でも見たことはない……よ?」

「なぁんだ。霊能力でもあるのかと思った」


 テレビの見過ぎ。

 もしあったのなら……この仕事と両立できるのかな?

 ゆっくりと祭壇の方を振り向く。

 ……相変わらず遺影の上で浮かんでる。

 しかも不機嫌そうに。


(こっちの相手もしなさいよ)

(いや、できるわけないっしょ。なんて言ってそっちに行けばいいんだよっ)

(むー……)


 こっちを睨んでるが、腕組みをしてるその格好に何となく愛嬌を感じる。

 しかし、両腕に力が入ってそうな幽霊ってどうなんだ?


(そっちでの会話、何喋ってるのか聞き取れないし……)

(みんなに、幽霊とか見たことあるか? って聞かれた)

(幽霊になったつもりはないけど、あたしならここにいるしっ!)


「うわっ!」

「え?」

「磯田君、どうしたの?」

「え? あ、いや……窓の外から光の反射が……道路端だから、通りかかった車のサイドミラーが反射したっぽい……」

「ビビり過ぎだろ」

「幽霊の話なんかするからでしょ。偶然の出来事でビックリするくらい、何度もあるでしょ。でも磯田君、修業時代とかもそんな経験なかったの?」


 音もなく、俺の目線の高さまで降りてきて、そのまますすすと地面と平行移動して近づいて来られたら流石に驚く。

 そして今、俺の真横にいて、俺をじっと見つめている。

 俺はそれを無視するように、正面を向いてる。

 お茶、飲みづらい。

 お茶菓子、食べづらい。

 なんて拷問だよこれ。


「……あ、いや、まったくなかった」

「そっかぁ。もし見えてたらなぁ」

「幽霊でもいいから、お話ししたいね……」


 湿っぽい雰囲気になる。

 人は死ぬもんだ。

 必ず死ぬもんだ。

 地元に戻ってからまだ三年しかたってないが、平均すれば月に二回くらい葬儀がある。

 もちろん今回のように、俺が出ないときもあるが、それでも人の死を目の当たりにする回数は、普通の人より格段に上だろう。

 だから、人は死ぬのが当たり前、という認識を持ち始めた。

 それは、俺の同期や同級も例外じゃない。

 もちろん俺も含めて。


(……みんな、もっとお前と話したかったってよ)

(……うん……。あたしも……)


 横目で話しかけると、美香がビクッと動いて俺から少し離れた。

 俺に対してはふざけて接近してきたんだろう。

 いきなりシリアスな話を聞かされたってことだろうな。

 何か申し訳ない気持ちになる。


(悪かったな)

(何が?)

(話し相手が、よりにもよってお前のことをよく知らない俺で)

(そ、そんなことないよっ)


 こいつらの中の一人でもいい。

 俺みたいにあいつと会話ができてたら。

 あるいは……。

 高校時代、こいつらと同じくらい美香と仲良くできてたら、今頃は何の気兼ねもなく「美香ならそこにいるよ」と言えただろうか。


(あー、美香さん)

(な、何? 磯田君)


 項垂れてた顔がはじけるようにこっちに向いた。

 幽霊も、泣くんだな。


(毎週来てくれって言う話だったから、また来ることになると思う)

(え? もう帰るの?)

(長居したら、お茶が昼飯に変わっちまうだろ。お母さん、ただでさえ疲れてんのにその準備までさせたらまずいだろ)


 美香の兄は県外で働き、家庭を持ってる。

 子供までいるって話だったから、もう自宅に戻ってるはず。

 つまりこの家には、母親の一人暮らしだ。


(そう……だね……)

(葬儀が終わったんだから、あとは極楽浄土に行くだけのはずだが)

(あ、えっと……うん……。そう……なんだけど……)


 心残りでもあるのか。

 そこら辺の事情などはよく分からん。


(それでもなぜか行けないままってんなら、一週間我慢してくれ。俺でよければ話し相手くらいならできる。来週も、俺も美香さんも変わってなけりゃな)

(あ、うん。お願い、します……)


 ……健康で元気だったらば、こんな風に話し相手になれただろうか。

 なれるわけがない。

 だって高校卒業して就職して社会人になっても、こんな風に集まってくる同期が大勢いるんだから。

 ある意味羨ましいと思う。

 けど、ある意味そうならなくて良かったとも思う。

 この仕事、いつ飛び込んでくるか分からないからな。

 仲良しの連中と遊んでる最中に、一人先に帰る、なんて興覚めだろうし。

 いずれ、何の変化もなければ、また来週、彼女の相手はできるさ。

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