声なしで会話できる仲

 この仕事をするための、僧侶となるための修行がある。

それがカリキュラムに取り入れられた大学に入学。そして卒業。

卒業後すぐに家に戻ってきた。

もちろん、親父が住職をしている俺の寺の後継者となるべく、だ。


檀家が亡くなった時には枕経に向かう。

親父……住職に付き従い、どんな風に執り行うのか、どんな風に檀家に対応するのか、実践で勉強というわけだ。

子供のころから知ってる檀家が亡くなった時は、それはショックだった。

けど、生きている者は、皆いつかは死ぬ。

それを、身をもって思い知らされる。


しかし、それ以外は特に何の問題もなく、大学時代前の生活とほぼ変わりない。

ただ一つ。

社会人かどうか、納税者かどうか、くらいか。

そんな平穏な日々が続く中、とんでもないことが起きた。


死にかけた。

というか、死にかけたと思うほどの出来事だった。


厳密に言うと、死ぬかと思うほどの苦痛を味わった。

修行中も苦しい思いは何度もした。

だが、桁が違った。


尿道結石だ。


熱も出て、辛うじて病院に辿り着き、処置してもらったのだが、俺は意識を失った。

気がついた時は、診察室からちょっと離れた場所にあるベッドの上。

目が覚める前、花畑のようなものを見たような気がした。


医師によると、結石の位置をずらしただけだとか。

排泄されるまで、痛みはまた出るかもしれない、とのこと。

結局結石は無事に排泄されたのだが、その時以来、何となく五感がおかしい。

五感というか、感覚か。

仏教らしくあげると、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は特に変化はなかったが、視覚と……何か感じ取る感覚には、何となく違和感は残った。

それは結石が出てからも続いている。

花畑を見たせいか。


が、医師に相談しても、相談された医師も雲をつかむような話だったろう。

本人である俺だって、どこがどうおかしくなったのか、よく説明できなかった。


この出来事は、このことが起きる三年くらい前の話だ。

その違和感の効果というか、正体はこのことだったのか。


死にかけてから、あるいは死んでからどこぞに転生するなんて話はまさにファンタジー。

が、死んだ人が棺桶の上で正座している姿が見える、というのは……。

共感できる人はまずいないだろう。


ただ一つ言えることは、今、自分は何者で、何のためにここにいて、何のために何をしているかははっきりと理解できる、ということだ。

故に、大事にすべきことは、目の前のファンタジーではなく、自分に課せられた役目を果たすこと。


しかし、その役目を果たしてる真っ最中に、そのファンタジーから話しかけられたのだ。

特殊な能力何ぞとは無縁の、僧侶という点以外はただの凡人であり社会人。

それに振り回されてしまったら、間違いなく社会人としての信用を失い、生活の場を失ってしまう。

妄想は、妄想だけにとどめておくべきだし、妄想を中心とする現実世界は有り得ない。

そう、有り得ないのだ。


有り得ないはずなのだが。


※※※※※


俺の目の前に現れた彼女は、肉体はなかった。

 ここはどこ? あなたは誰? 何してるの? 状態。

 死んだら生前の記憶が亡くなるんだろうか?

 いくら寺の僧侶でも、死んだ経験は流石にないから分からない。

 ただ、彼女は自分の名前は知ってるんだろうか?

 高校時代の同級ではあるが、俺の名前を知らなくても不思議じゃない。

 俺だって知らなかったんだから。

 けど、聞かれたことをそのまま答えていいんだろうか。

 ひょっとして、死んだことを知らされてショックを受けて、こっちに何かやらかすんじゃなかろうか。

 やらかすにしても、読経を止めるような真似はしてほしくない。


(自分の名前は言えるか?)

(え? 三島美香、です。って、初対面の人からいきなりそんな物の言い方されたくないんだけど?)


 自分の名前は憶えてたか。

 けどものの言い方は互い様のような……いや、そうでもないか?


(俺の後ろに人が並んでるのは見えるよな? 知ってる顔はあるか? そいつの名前知ってるか?)

(え、えっと、お母さん。それにお兄ちゃん。あとは……えっちゃん、さとちゃん、ゆうま君、りっくに……。何でみんな泣いてるの?)

(オーケー分かった。あー……話の続きはもうちょっと待っててくれるか?)

(え? どうして? って、あなた、誰? それとあたしのこと格好……)


 質問攻めはいいけども、その答えを聞かされてパニックを起こされたらこっちが困るんだよ。


(もう十分もしたら相手してやるから)

(相手? 何の?)

(いいから、少し待ってろ)


 心の中で何を思っても読経は続けられる。

 けどあれこれ考える余裕はない。

 それより、俺が何をしてるか彼女には理解できないみたいだった。

 死んだ後どうなるか分からない。

 だからこの経験は貴重とは思うが……もしも彼女の幽霊なら、他の幽霊は見えないのはなぜだろう?

 というか、霊感はゼロなんだが。


「では、出棺の時間まで少々時間がありますので、それまではゆっくりしててください。すいません、お願いします」


 読経が終わった後から霊柩車に棺を乗せるまでの作業は葬儀社スタッフの役目。

 その間は俺もしばし休息をとれる。

 が、今回は違った。


(待たせたな、美香さん。俺はお前んちの菩提寺から来た磯田昭司。俺は忘れてたんだが、高校三年の時同級生だったらしい。で……俺のやってることは理解できるか?)


 同級生といっても親しい間柄じゃなかった。

 いくら相手が幽霊っぽくても、呼び捨てで名前を呼ぶのは、あまりいい気分じゃないだろう。

 それに、お前が死んだからお勤めをしてる、だなんてことをいきなり言って、混乱させるのもまずかろう。


(ボダイジ? って何? って、高校三年の同級生のイソダショウジ君? ……あぁ、昭司君ね? 覚えてるよ? でも……あぁ、髪の毛伸ばすと……髪の毛以外ほとんど変わってないんじゃない? 久しぶりだね。って確か磯田君って……あぁ、家がお寺なんだっけ。で、えっと……手を合わせて何かしてたわよね。でもなんでこっちに向かってその格好で手を合わせてたの?)


 まさか覚えていたとは。

 嫌な覚え方してほしくはないんだが……。

 でも俺んちが寺ってこと、親しい奴以外には話してないんだが。

 いつ知ったんだろう?


(それに昭司君の後ろ、家族も同級生たちも近所の人達も揃って、結構人が結構いるんだけど……しかもみんな黒い服着て、なんか気味悪い。昭司君も……って、その格好で手を合わせてるのって……)


 あなたは既に死んでます。

 なんて言えない。

 病院の先生とかだって、家族には宣告することは合っても、本人に言ったことがある人っていないはず。

 俺が言っていいことなのか?


(それに、なんかみんなの会話がよく聞こえないんだけど。昭司君の声しか聞こえないって感じ。みんな、何であたしに話しかけてくれないの? 何でみんな、あたしの足元の方を見てるの?)


 いや、俺、喋ってないし。

 て言うか……死んでますよ、と教えることができる人って……俺しかいないのか?!

 だって、法要が終わって緊張感がやや解けたこの人達の話声が聞こえないってんだから。

 ちなみに俺は今、棺のほぼ真横の、その部屋の壁際にいる。

 棺の傍では甲斐甲斐しく葬儀スタッフが動きまわり、その邪魔にならないように参列者達が棺の前にいて、棺の中の彼女に話しかけたり互いに会話してたりする。

 俺みたいに遠くにいれば、その会話の言葉は確かに聞こえづらい。

 だが彼女は、不安そうな顔をして俺の方を向いていてはいるが、その会話をしている人の傍にいる。

 お勤めをしている最中に姿を現した棺の上で、ずっと正座のまま。

 会話の内容も聞こえないはずがない。

 なのに、その会話を理解することができない。

 そして、遠くにいる俺の、心の中で思う言葉は聞こえてる。

 心で通じ合う、なんて冗談は流石にこの場では不謹慎か。


(ねぇ、ちょっと、昭司君っ。あたし、一体どうなっちゃってるの? この格好の説明、まだ聞いてないよ?)

(どうなる、と言われても……。この後火葬場に行って、荼毘式をして火葬。二時間くらい経ってから葬儀、なんだけど……)

(え? 火葬? 誰が?)


 ひょっとして、自分が死んだこと理解できてないのか?

 やっぱ、伝えなきゃダメだろうなぁ……。


(えっと、俺は今日、美香さんのお母さんに呼ばれてきたんだ。その……美香さんが亡くなったって報せを受けてな)

(え? あたし?! あたし、死んじゃったの?!)

(話を聞いたんだが、病気で入院してたらしいな)


 いわゆる業病ってやつだ。

 治る見込みはなかったらしい。


(……うん、そうだ、病気になったんだよね。入院して、どうしようもなくて……それで……。そっか、それでこんな格好になってるのか。……死んじゃったってことは……みんなと、もう、会話できなくなったんだね……。でもどうして昭司君とは会話できてるの?)


 俺が知りたい。

 つか、なんでほとんど面識のなかった彼女の姿が見えるんだ?


(霊体験なんてしたことないし、それは分からん。ちなみにこれから火葬、そして葬儀の順で)

(あたし、火葬されるの?! 嫌っ! やだっ!)

(火葬場の釜に入るのはその棺。俺が会話してるお前は入らなくていいんじゃないか?)

(え? えっと……どういう……こと?)

(どうもこうも、火葬されるのは肉体。今の美香さんは、いわゆる幽霊みたいな感じ、かな。だからあなたは、肉体に付き従って一緒に釜に入る必要はないんじゃないかな……)

(え?)


 いや、え? じゃないし。

 ていうか、ずっと座りっぱなし?

 移動できないの?


(言われてみればそうね……。キャッ!)

「うおっ!」


 いきなり悲鳴を聞かされると驚くもので。

 その驚きが声に出てしまった。


「磯田、どうした」


 傍にいた同期に声をかけられた。

 高校の一、二年の時の同級の河合で、会話は何度かしたことがある。


「あ、いや。何でも……」

「そか。まぁお勤めお疲れ。しかし……いつ死ぬか、なんて分かんないもんなんだな」

「……仲良かったのか?」

「良かったっつーより、同期で知らない奴はほとんどいないだろ」


 すいません、知りませんでした。


(ちょっと、昭司君!)


 美香が何か話しかけてくるが、俺に話しかけてくる奴との会話を優先しないとまずいだろ。


「磯田、お前、葬式も出るのか?」

「いや、親父……住職がやることになってる。俺じゃ荷が重い。まだ下積みしな」

(ねぇ、昭司君ってばっ!)

「そうか……。お前と普通に話しできるのって、俺と……三輪と高梨くらいか?」


 三輪と高梨は三年の時の、俺の同級。

 普通に話ができる、というのは、俺は高校三年間、テストは毎回赤点だったから。

 成績は常に最下位争いしてた。

 ようするに、普通以上の成績の奴らからは見下されてたって感じだ。

 そんな奴とまともに会話する気はない、ということなんだろう。


(えっと、確か河合君だっけ? ちょっとどいてくれる? ねぇ、昭司くーん?)

「でもまぁお疲れ」

「おう。……彼女と最後の対面してきな」

「うん、見てくるよ。また後で」

(昭司君ってば!)


 美香は、河合との会話の間中、俺の視界に入ってその会話に割って入ろうとしてた。

 不機嫌な顔が、何となくかわいい。

 でも顔色が青白く変化しつつある。

 ちょっと怖い。


(……浮いてるな)

(そうなのよ。ふわふわ浮いてるの。歩こうと思えば歩けるけど、浮いてる方が早く移動できるし、便利)


 幽霊ライフ、なんて言葉が脳内に浮かぶ。

 使い道が全くない言葉だな。


(でも、お前はみんなに挨拶しなくていいのか? みんな、棺の中のお前の顔を見に行ってるぞ?)

(でも、あたしの声、みんなに聞こえてないみたいだし……)

(俺だって、まさか亡くなった人とこんな風に会話できる何と思いもしなかったよ!)

(そうなの? 仕事柄、しょっちゅうあるんじゃないの?)


 あってたまるか。


(幽霊を見るだけじゃなく、会話ができるなんて生まれて初めての体験だよ。周りにそんなことしてると思われないようにするのがかなり大変だわ)

(気にしすぎじゃないの?)

(誰もいない空間に向かって独り言する人って、不気味に見えない?)

(それもそうね……。って、あたし、幽霊状態?)


 それ以外の、彼女の状態の呼称を知らない。

 それよりも。


(……俺、お前の事知らなかったんだよな。なのに今になって、俺はお前に一方的に話しかけられて……なんかヘンな気分だ)

(知らなかったの? ちょっと失礼過ぎない?)


 クラスの人気者。

 成績はいい方のはず。

 俺とは正反対だからな。


(自己紹介から始めないと気持ちが落ち着かない)

(必要ないでしょ。……あたしのことを拝みに来れるようになった元同級生。それだけで十分よ)


 必要ないことは知らなくてもいい、ということか。

 まぁ別にそれでもいいけど。

 でも。


(こうして見送りに来てくれる同級生たちは、互いにもっとよく知ってるんだろ?)

(それはそうだけど……今会話してくれる相手、昭司君しかいないもの)


 まるで高校時代の俺だな。

 友達と呼べる相手が少なかった。

 けど、人数が多けりゃ、俺みたいに会話できる相手も現れるんじゃないか?


(火葬場ならもっと人が集まってくる。俺以外に相手してくれる奴、いると思うぞ? 霊を見たことがある、なんてこと言いそうな奴もいるんじゃないか?)

(霊を見ることができるかどうか、なんかじゃなく、あたしとお話しできる相手がいるかどうかよ。実際昭司君は、今まで幽霊を見たことがなかったんでしょ?)


 ごもっとも。

 まぁ火葬場、そして葬儀の時間にならんと、いるかどうかは言えんな。


「では出棺になります。貴重品などはお持ちください」


(だそうだ。んじゃ行くか)

(えっと、あたしはどうすればいいの?)

(どう……って……)


 霊柩車に乘る……っていっても変な話だし。

 来客たちは、葬儀社が用意した送迎用のバスで移動するはず。

 あ、俺は……。


「あ、和尚さんは、ご遺族の親類の方が送り迎えしてくださるようですから、そちらへどうぞ」

「あ、はい、ありがとうございます」

(……あたしは?)


 と申されましてもな。


(……ついてくるか? もっとも俺はお勤めが終わった後、棺が釜に入ったらすぐ寺に帰る。今日はそれでお役御免だ)

(え?! 聞いてないんだけど! あたしはどうなるの?!)


 ……そっちの世界のリアルについては……よく分からんから何とも言えん。

 どうしよう?

 とりあえず……。


(火葬が終わったら、みんな、バスで式場に向かうんじゃね? それについて行ったらいいと思うよ?)

(……なんか、すごく退屈になりそう……)


 話し相手が現れることを祈ってるよ。

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