春香と拓馬の長い棋譜 ~天才美少女棋士である私が幼馴染のお兄さんに負けるまでの物語~

吉田ジゴロウ

1勝0敗

「うー、冷えてきましたねぇ」


 お習字教室の帰り道。私、秋山あきやま春香はるかは10月第4週の風に寒さを感じていた。

 つい2週間前までは半袖だったんですが、もう長袖でも足りないぐらいです。まったく、この令和特有の気候的ジェットコースターには困っちゃいますね! 帰ったら母にセーターとタイツを出してもらわないと。


 そんなことを考えながらのおうちの玄関扉を開ける。

 すると見覚えのあるスポーツシューズがちょこんと置いてあった。ああ、あの人が来てるのか。


「おかえりなさい。ご飯できてるわよ」

 

 ニポリ製の暖簾のれんをくぐると母が出迎えてくれた。


「ただいま。今日のおかずなに?」

「ハンバーグよ。手洗ったら早く食べちゃいなさい」

「いいですねぇ! ハンバーグ大好きです!」


 ウキウキで手洗い場に向かう私に母がもう一声かけてきた。


「あ、そうそう。拓馬たくまくん来てるわよ」


 うん、だろうと思ってました。


 手洗いを終えてダイニングに入ると、体操服を着た面長の男の子が美味しそうにハンバーグを頬張っていた。


「おっせーぞ、春香。俺待ちきれなくて食べちゃったよ」

「別に待っててくれてなくていいですよ」


 彼は望月もちづき拓馬くん。私より一つ年上の11歳。週に2、3度ウチに夕飯を食べに来ています。

 私の母と拓馬くんのお母さんは昔からの大親友で、拓馬母の帰りが遅くなるときはこうして私の家で食事の世話をしています。当初は借り猫のようにおとなしかったんですが、いつの間にか(私に対して)図々しくなったというか馴れ馴れしくなったというか、まぁいいんですけど。


「あ、おばさん、夕飯ごちそうさまでした。今日も美味しかったです」


 そう言ってペコリと頭を下げた。こういうところは立派だと思う。母もニコニコしている。


「ところで春香、将棋って知ってっか?」


 スッと私の方に向きなおった彼の瞳が蘭々と輝いている。何やら嫌な予感がします。


「いや、そういうゲームがあるってことしか知りませんが」


 ハンバーグを頬張りながら答える。うん、今日もお母さんのハンバーグはおいしい。合挽き肉だけど。


「知らない? 将棋を?? マッジでー!? あー、そっかー春香は知らないかー!!」


 目を細めながら興奮している。私の無知がよほど嬉しいらしい。もう5年生なんだからもすこしオトナになってもらいたい。


「私は甲府一カワイイってこと以外はフツーの女子なんで知らないことぐらいありますよ。で、私が将棋を知らなかったらなんだって言うんです?」

「お前のカワイサが甲府一かは置いといて…… 将棋は楽しいうえに強くなればお金も稼げる最高のボードゲームだぞ。男とか女とかも関係ないし。その将棋の指し方をボクが教えてあげようというのだよ春香チャン? 」


 教えてもらわないとあとでしつこそうだったので、拓馬くんの言うことを聞くことにしました。

 彼が先頭になって2階の私の部屋へずかずか入っていく。私より先に私の部屋入るのやめてほしいなあ。


 拓馬くんはニコニコしながら手提げ袋から折りたたみ式の板をコタツテーブルの上に置いた。板には規則正しくたくさんの升目が描かれている。将棋盤と言うらしい。

 次に手提げから小箱を取り出しフタを開けると勢いよく板に叩きつけた。ちょっとビックリする。

 箱が持ち上げられるとヘンテコな五角形の木片がバラバラとこぼれた。木片にはかわいくない字体で漢字が彫られている。駒と言うそうだ。


「俺をまねして駒を並べてみ?」


 言われるがまま駒を並べていく。


 パチン、パチン、パチン。


 駒が盤を叩く音は心地よいと思った。

 が、途中「飛車と角は逆!」と水を刺された。先に言えや。


 並べ終わったら基本的なルールを教えていただいた。駒が動ける方向と範囲、敵陣に入るとパワーアップ出来ること、王を取られたら負け、といったことです。


「んじゃ早速勝負と行こう。大丈夫!こういうのは負けながら覚えるもんだよ!」

「はあ」

「ハンデとして角落ちでやってやるよ!」


 ハンデと言うなら一番強そうな飛車とかいう駒を落としたらどうか。ハンデを与えながら勝負に勝って二重に愉悦を味わおうという根性が意地きたない。ぜったい負けてやるもんですか。


「あ、そうそう!大事なこと忘れてた。負けが決まったら『負けました』とか『ありません』って言うんだぞ。マナーだからな!なんなら今から練習しとく?」


 絶対負かす!


 とはいえどうしたものか。聞けば拓馬くんはクラブの先生にも勝てるほどの腕前とのこと。ぼんやり指していれば苦い敗北を味わうだろう。何か作戦をたてなきゃ。


 ……。


 おそらくですが飛車を中心に攻めるのが一番強そうです。あとはこの銀という駒も動ける範囲が広くて強そう。敵陣地に入れば金に成れるし。拓馬くんの陣地には角がいないから、飛車と銀でまっすぐ攻めると効果的っぽい。


 パチパチと互いに手を進める。

 20回ほど駒を動かしたころ、それまでウキウキだった拓馬くんの表情が曇ってきました。


「……お前、ほんとに将棋指すの初めて?」

「もちろん。将棋なんてお父さんが日曜に『明日出社やだ』って言いながら死んだ目でMHKの将棋番組見てるのを一緒に眺めたことがあるぐらいですよ」

「おじさん大丈夫かよ……」


 父のメンタルヘルスは置いといて、どうやら有効な攻めになっているようです。

 拓馬くんも陣地を押し上げて攻めてきてるが私は銀を歩の後ろにつけ、そのまた後ろに金を配置している。王も攻められる方向を限定すべく少しずつ移動させている。


「世のお父さんは割とそんな感じって聞きますけどね。ところでこの桂馬ってやつ、右にも左にもいけるんでしたよね?」


 と問うたところ「右にも左にもいけるけど斜め一歩前にしか行けない」などと明らかな嘘を吐いたのでデコピンした。


 30分後。

 私は拓馬くんの王を飛車、角、香車、金などで攻めたてていた。彼の王様はほとんど丸裸です。逆に私の王の周りは歩も金も銀もいて守りはバッチリ。

 これはもしかしてホントに勝ってしまうかな? ワクワクしながら私は拓馬くんの王の頭に銀を打った。


「王手!って言うんですよね?」


 拓馬くんの表情がみるみる青ざめていく。いい顔するなあこの人。ゾクゾクして自分の口角が上がっているのがわかる。

 拓馬くんは余裕がなくなったのか思考が口から漏れ始めていた。


「王を下に逃せば……」

「あと3回ぐらいで飛車が効くようになりますよ」

「銀の横を抜ければ」

「角の通り道ですねぇ」

「わかった!中央突破!」

「香車、見えてますよね?」

「……」

「ああ、これが詰みってやつなんですねえ。漫画とかで出てくるんで意味は知ってましたけど、どんな状況を指してるのかよくわかりました」

「……」

「こういう時に言うセリフがあるんでしたよね? 確か『負けました』とか『ありません』でしたっけ? 見せてもらいたいですねぇ、お・て・ほ・ん♡」


 そう煽ってやると拓馬くんはプルプルと震え出し涙目になって叫んだ。


「チクショ――ッ! 次は勝ってやる―――ッ!!」


 立ち上がり部屋のドアを乱暴に開け、ぴゃあと我が家を出て行った。ああ、勝つのって気持ちいいなあ……!


 テーブルの上には将棋盤と駒が残ったままだ。悔しさのあまり持ち帰るのを忘れたんだろう。窓から秋風がそっと吹き込み、カーテンを揺らした。


 私は勝敗の決した盤面をニマニマ眺めながら人生の新たな歓びを噛み締めていた。


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