JunkParts

ちくわ

叙唱

ジャンク屋


 見知らぬ街。見知らぬ人。


 目的地へと導いてくれる、唯一の頼りは手元の手紙。簡素な手書きの地図上の、バツ印がつけられた四角い区画には、何の店かが容易に想定できる『ジャンク屋』という何の捻りもない店名が書き添えられている。


「あった、あそこだ」


 最寄りのバス停に降りてから、紙の上と目の前とを頻りに視線を往復させながら彷徨って十数分、ようやっとバツ印の近くにたどり着いた。


「叔父さん…無事かな……」


 ジャンク屋へ向かうべく歩みを進めると、歩道の脇から、青年に声をかけられた。


你好ニイハオ!おにいさん、署名おねがい」


 その青年は深々と帽子をかぶり前髪も長くメガネをかけている為、口元でしか表情が窺い知れない。風貌は明らかに怪しいが、対応してもよいものかと悩む隙もなく、青年は署名簿らしきクリップボードを押し付けてきた。すでに幾らか署名が書き連ねられていて、中々に熱心な活動だとはかり知れた。


「なんの署名ですか?」

「劇場を守るんだよ。新しいビルを作るからって取り壊されちゃうかもしれないんだ。劇場がなくなったら劇団員の僕たち困る。だからお兄さんお願い。ここに名前書くだけでいいから。ネ?」

「それなら…」


 手渡された筆記具で、所定の枠に『亜形夜也』と書き込む。


「ん。ありがと!」


 青年はそれを確認すると満足げに頷き、クリップボードを回収して早々に立ち去っていった。その姿を目で追っていれば、手前の店前に立っている小柄な女性と目があった。彼女はにっこりと微笑み、こちらへ駆け寄って来る。


「ご主人様!」

「え、ぼ、僕ですか…?」


 突然にそんな呼び方をされて、どまぐれてしまう。


「そうですよぉ、ご主人様!ここにいたんですね、もう。ねえねえ、早く帰りましょう?他のメイド達も待ってますよ!」


 その格好からして、彼女が立っていたあの店はメイド喫茶なのだろう。これはいわゆる客引きというものでは、と察して押しの強い彼女に流されないように身構える。


「いや、あの僕は用事があるので…」


 そこで、どこからか警笛がけたたましく鳴った。音の聞こえた方を見れば、一人の警官が単音と長音を激しく主張しながら、つかつかと早歩きでやって来る。


「げっ、出やがった」


 女性は警官の姿を確認して、表情を歪ませた。


「じゃ、ご主人様。待ってますから」


 そう言って僕に店の宣伝と思しきチラシを押し付け、警官とは逆の方へ、まさしく逃げるように走り去っていく。その赤いチラシをジャケットのポケットに入れている間に、警官は横を通り抜けて女性を追っていった。


「なん…だったんだ…」


 一時の間に過ぎ去っていった二人と、先程の青年を思い起こし、都会の洗礼とはこんなに忙しないものかと思い知らされた。


 そして、目的地ジャンク屋の目の前へ。その扉は固く閉ざされ、とても営業している様子ではない。


「叔父さん、僕だよ!」


 ドアをノックして声をかけてはみるが、当然反応はない。送られてきた手紙に鍵が同封されていたものの、家主のいない間に勝手に入っていいものかと二の足を踏む。


「兄ちゃん、その店なら営業してないぞ。店主が姿くらませてな」


 店の前に立ち止まっていると、近くにいた男性に声をかけられた。


「あの、僕この店の主人の甥です。叔父さんに何かあったんですか?」

「甥?そうか、言われてみりゃ確かに似てる。まあ、俺も詳しくは知らねえよ。ただ、前から体悪そうにしてたからな。どっかで野垂れ死んでんじゃねえかって…いや、身内に縁起でもない事言うもんじゃないな。悪い」

「いえ、気にしないでください。叔父さんが他に居住してた所ってありますか?」

「無いと思うぞ。俺が知る限りではここを根城にしてたはずだ」


 たまたま声をかけてきたのかと思ったが、男性はかなり叔父さんと親交があったらしい。この近くにいたのも、叔父さんの事が気掛かりで様子を見ていたのかもしれない。


「んで、兄ちゃんはあの偏屈に何か用があったのか?」

「手紙を貰って来たんです。店を継いでくれって書かれてて」


 持っていた手紙を渡せば、男性はしげしげとそれを読む。


「なるほどな。相変わらずよくわからねえ奴だ」

「これ、何か違和感とか気になる事ないですか?僕は一部分が不自然に赤文字なのが気になってて…」


 僕は男性を試すように尋ねる。しかし返ってきた言葉は意外なものだった。


「赤字?ああ、文字色が二種類あるのは分かるが、これが赤字か。すまんな、色弱なんだ」


 色弱とは、特定の色が判別しにくい事を指す。その判別しにくい色や程度は個人によるが、男性は赤が見えないらしい。


「字は間違いなく旦那の筆跡だし、特に何が変だとかは思わんな」

「そうですか…ありがとうございます」


 初めは警戒してみたものの、色弱であればこの人は信用ができるだろうと分かった。


「で、お前は言われたとおり店を継ぐのか?」

「それはまだ…直接話を聞いてみないと、って思ってここまで来たんですけど。今は学校が休みで、とりあえず叔父さんが帰ってくるか、休みが終わるまではここに滞在しようかと」


 僕は地元で美大に通っている。自慢ではないが、真面目に勉めているため、卒業に支障がない程度に休みを増やす多少の余裕がある。いつまでも、というわけにはいかないが、その期間に、行方不明になった叔父さんの事を調べたい。


「そうかい。ならここで暮らす心得を教えてやる」


 男性は、神妙な面持ちで語りかけてくる。


「狂餐会には関わるな」


 その声色は酷く重く、まるで忌み言葉のようにつぶやいた。


「きょうさんかい?」

「ここらの頭おかしい連中の集まりだ。敵に回すな。味方にもするな」

「…覚えておきます」


 関わるな、というのは恐らく守れない約束になる。だからそう返した。


「あの、お名前聞いてもいいですか。またお世話になると思うので」

「どうしてそう思う」

「いえ、すいません。思う…じゃなくて、お世話になります。きっと」


 周りに知人が誰もいないこの土地では、今信用できる人間はこの人しかいない。できるならば今後も話がしたい。それを正直に吐露すると、男性は少し考え込む素振りを見せる。


「…高橋」

「高橋さん。よかったらここ、また来てください」

「気が向いたらな」


 そう言って、高橋と名乗った男性は立ち去っていった。


 懐から鍵を取り出して店内に入ると、その中はいくつかダンボールが積み上げられていて、それ以外には大した家具もなく、大まかに見ればテーブルにソファー、パソコン、本棚だけ。事情を知らない人からすれば、ここで生活をしている人間がいるとは到底思えないだろう。


 ともあれ、叔父さんが行方不明になった理由、原因はこの店を調べれば何か分かるかもしれない。僕はしばし店内を物色する事にした。


 店の奥のトイレ、シャワールームには何の変哲もない。ゴミ箱の中は丸めた書類が捨てられている。ダンボールの中には売り物であろうジャンク品。テーブルの上にはメモ帳と赤いペンと黒いペン。そしてデータの入っていないデジタルカメラ。手のひらに収まる程の小型でシャッターも無音。これは何かに役立つかもしれないと思い、拝借してカバンの中に入れた。


 妙だと思ったのは本棚の暗号の本や外国語の本と、ソファーにポツリと鎮座していたぬいぐるみ。叔父さんがそういう物を所持する人だとは知らなかったが、ぬいぐるみは誰かの忘れ物かもしれないし、気になる点はそれらだけだった。失踪の理由に結びつくような発見はない。


 最後に、テーブルの上のパソコン。叔父さんの個人的な情報を求めれば、一番期待すべきなのはこれだ。見るからに古いそのパソコンの電源ボタンをカチリと押し込む。すると大層な起動音を上げながらパッと画面に光が点く。


 画面に映されたのは『顧客リスト』という表示と、入力枠、それに付随した『検索』ボタンのみ。起動した時点でこれなのだから、使用目的はそれしか無いのだろう。こんな形で個人情報を盗み見るのは気が引けるが、叔父さんと関わりのあった人の事を探れるならば、と思い立った所でこの土地には知った人などいない事を思い出す。


 『高橋』と試しに入力し検索ボタンをクリックすると、吐き出されたのは『一致なし』。高橋さんが偽名であるかもしれないが、続いて思いつく限りの苗字を検索しても何もヒットしない。よほど閑古鳥の鳴く店でなければ、日本に多い苗字で1件も顧客が無い事はないだろう。恐らく、この検索は苗字と名前まで完全に一致させないといけないらしい。


 そんな事をしている内に、突然入り口のドアが開く音がした。


「おっ。開いてんじゃん」


 入ってきたのはスーツにサングラスの男性。それはカタギの人ではないな、と感じさせる風体だった。


「ど、どちら様ですか」

「見てわかんない?借金取り。そっちこそ誰だい、兄ちゃん」


 見た目の印象が合致していたようで、借金取りと自称した男性は訝しげに俺を見つめる。


「僕は店主の甥です」

「ふうん。で、おじさんは?」

「わからないです。どこに行ったのか…」

「わからない?じゃあ君はなにしにここにいるの」

「手紙が来たので…店を継いでくれと」

「なのに呼んだ本人がいないなんて不思議な話だなぁ?」


 借金取りの男は含みをもたせた言い方をする。それにたじろいでいると、


「君、もしかして借金のカタにされたんじゃない?」


 追い打ちをかけるような、そんな言葉を浴びせられた。


「そ、そんなはず…」


 そんな事はありえない。そう言い切りたいが、もう数年も会うことのなかった叔父さんが、今どんな生活をして何を思って過ごしていたのかを思い知る事は難しい。


 そこで再びドアが開かれる。現れたのは黒いスーツを着た白い長髪の男性と、白衣を羽織っているがその中は水着に近い程の露出の多さをしたピンクの髪の女の子。


「お邪魔します」

「旦那ーいるの?」


 各々そんな事を言いながら入って来たが、勿論中に叔父さんはいるはずもない。一瞬、女の子と目が合うが、借金取りの男の方が驚きの声を上げた為に、視線はそちらへ移った。


「嬢…!」

「なにしてんのアンタ」

「俺は貸したお金回収しに来ただけだよ」


 借金取りの男は嬢と呼ぶ少女に強く出られないのか、先程までの威圧感を出す人とは別人のように腰が低い応答をする。


「旦那は?開いてるから帰ってきたかと思ったのに」

「もう帰って来ないんじゃないかな。この子に借金押しつけたみたい」


 その言葉により、二人の視線は僕の方に集まる。


「君は?」

「店主の甥です」

「ただの血縁者なら旦那の借金と関係ないでしょ」

「関係なくないんだよ。兄ちゃんがここ継ぐらしくて。だから兄ちゃんに肩代わりして貰おうかなって。それかここをジャンク諸共渡すか。ここ、そもそもうちのビルだし。家賃も貰えないんじゃね」


 少女は擁護してくれたが、そうは問屋が卸さないらしい。


「そんな、叔父さんの行方の手がかりがあるかもしれないのに…」

「じゃ旦那の借金返してくれる?君、額聞いたらびっくりしちゃうよ」

「それは…」


 そんな言い方をするという事は、生半可な額では無いのだろう。ただの学生の僕には、無論そんな借金の肩代わりが出来るような余裕はない。言い淀んでいれば、もう一人の男性が助け舟を出してくれた。


「じゃあその旦那の借金、僕が肩代わりするよ。それでいいでしょ?」

「まあ俺は金さえ回収できればそれでいいけど」

「でもそんな…悪いです」


 借金取りの男はあっさりと快諾するが、僕からすれば見ず知らずの人にそこまでしてもらうのは心苦しい。


「君の為じゃないよ。僕だってここが無くなると困るんだ」


 それが本心か善意を押し付けないための方便かはわからないが、どちらにせよそこまでしてくれるという事は、この人は叔父さんとよほど仲が良いのだろう。


「大体あんたうだうだ言える立場?ここ無くしたくないなら素直に受け入れなさいよ」

「う…」

「じゃ、あとで棚袴の事務所に話つけておくね。お互い事を荒立てくないでしょ?」

「…へい」


 白衣の少女は率直な物言いで痛い所をついてくる。言葉に詰まっている間に、借金取りと男性の間で話が進んでしまった。事務所に話をつけると言うあたり、黒スーツの男性は只者ではないのかもしれない。借金取りの男は少女だけでなく彼に対しても強く出れないのか、素直に身を引き店を出ていった。


「すいません…ありがとうございます。肩代わりしてもらった分はどうにかして用意するので…」

「いいよ気にしないで。それよりうちの協会に入ってくれる方が嬉しいな」

「協会?」

「狂餐会っていうんだ。僕はその会長をしててね」


 その言葉を聞いてハッとする。高橋さんから聞いた『関わってはいけない』組織、その名称だ。


「あれ、知ってる?」

「いえ…」


 僕の反応を目ざとく見抜かれ、思わず否定しながらポケットの中のチラシを握りしめた。


「何も怪しい勧誘じゃないよ。各自が好きな事を好きなようにできる。それをお互いに支援するってだけの集まり。旦那だって会員だったからね。ここがこれだけジャンクを集められてるのも会員の手助けがあるから」

「叔父さんが…」

「そうそう。旦那は幹部だったから会費も免除してたし。君が入ってくれるなら君も幹部として迎えるよ」

「幹部なら会費タダよ。不利益はないでしょ」


 叔父さんが狂餐会と関わっていた。これは何の手掛かりも無い所に飛び込んできた新しい情報だ。高橋さんには近づくなと言われたし、そうでなくとも怪しさしかないが、叔父さんが居なくなった事と狂餐会が無関係とは言えない。


「分かりました。よろしくお願いします」

「じゃ呼び方決めなきゃね」


 覚悟を決めて狂餐会に加わる事を告げると、少女がそんな提案をしてくる。


「呼び方?」

「狂餐会はお互いの名前呼ばないから。私は嬢って呼ばれてるわ」

「嬢…よろしく」

「よろしく」


 嬢はその呼ばれ方に誇りを持っているように、自信ありげに不敵な笑顔をみせる。


「僕の事はそのまま会長って呼んでね」

「はい」

「…そうだね、君は旦那でいいよ。『旦那』の枠が空いちゃったし」


 会長のその言い方には違和感を感じた。まるで、叔父さんがもう帰って来ないと確信してるようだからだ。


「で、あんた店継ぐとかなんとかって本当?」

「これ」

「…来いってアンタこれ赤…」


 手紙を見せると、嬢は軽く読んだ後そこまで言いかけて言葉を止めた。


「なに?」

「いや、アンタ甥なら知ってるでしょ。あの人が偏屈で天邪鬼って。来るなって意味じゃないの?」

「まあ…確かに嘘ばっか言う変な人だったけど」


 わざとらしく聞き返すと、嬢は叔父さんの人間性をそう語る。嬢の言う通り、叔父さんは冗談を好みいつも嘘を付いていた。嘘をつく時の仕草を判別できるようになるまでは、幼い僕を困らせる人でしかなかったのだが、不思議とそんな関係が心地よく悪友のような人だと思っていた。


「さ、嬢。今日の所は帰ろうか」

「はい」


 元々会長と嬢は叔父さんがいるかもしれないという事でやって来たもので、そうではなかった現状、僕に対して特に用があるわけでもなく、当然そんな感じで店を出ていった。


 消して短くはない旅路を経た今日は、僕も早々に休んでおこう。しかしベッドは無いので、先客のぬいぐるみを抱えてソファーへと寝転ぶ。


 叔父さんに会いたい。今更、途方もなく、身勝手に。そんな事を思いながら瞼は徐々に降りていった。





 ――こうして僕は、この街に滞在する事になった。

 この街に蔓延る狂気にもまだ気づかずに――


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